娘のヘルパー日記


ホームヘルパー日記〜ヘルパー2年目の夏
(02年6月のレポート)
【1】 現在対応しているサービスで困っていること、と、困っていることに対しての工夫している点をまとめてみました。

現在対応しているサービスは、4件5名。それぞれに事情は異なるので、1件ずつ列挙します。
その1*脳腫瘍の手術後の歩行練習中のOさん(大正11年生まれ・女性)

 一日1時間半の身体介護のすべてが、外出介助(歩行練習中心に買い物、通院など)である。「自分の脚で歩きたい。」と積極的に、単独歩行、または杖や手押し車を用いて、ゆっくりではあるが、確実に歩く練習を進めておられる。週6日、ほぼ毎日日替わりで異なるヘルパーが対応している。わたしの担当もそのうちの週1日。

 1時間半をずっと一緒に過ごすので、毎日の話題が大変と言えば大変である。安全の配慮をするのは当然のことだが、ただむっつりと押し黙って、散歩のお供をするのは、こちらとしても味気ない。新聞やテレビのトピックス、お尋ねしていいだろう範囲、お答えしてくださる範囲内でのご家族の話題、または私自身の話など、何かおしゃべりしながら歩くことにしている。季節の移ろいから、道中にある小学校の話題、工事現場からも話題を拾って歩く。

 ときとしてOさんの体調が整わず、「しゃべるのもしんどい。」とおっしゃりながらも、「頑張って歩くからよろしく。」とヘルパーであるわたしが促されることもあるので、ヘルパーが多弁すぎるのも、Oさんの歩行への集中力をそぐこともあるかもしれないので、配慮している。

 しかしいちばんの難関は、4週に1回廻ってくる通院介助である。市民総合病院に通院されているので、何せ待ち時間が長い。もちろん待合室の長いすに腰掛けているのだが、待ちくたびれてOさんもしんどそう・・・・わたしもくたびれて眠気も襲ってきたりする。こうなればOさんも疲れておられるのだから、なるべく話題を探さずに、ゆっくりすごしていただく。ただし、順番を呼ばれるのだけは聞き漏らさないよう気をつけておくように。

 毎日異なるヘルパーで対応しているので、話題にも各ヘルパーの特徴が出るだろうが、Oさんはほかのヘルパーのことをほとんどおっしゃらない。「皆さんいい人に来ていただいて、ヘルパーさんのおかげです。」とわたしたちに一様に感謝してくださる。

 雨の日こそ、お休みされるが、それ以外は暑い日差しの下でも寒い冬でも、積極的に一生懸命歩かれる。
「そういえば、ひと冬、風邪も引かれませんでしたね、お元気でよかったですね。」と言葉を掛けると、
「わたし、あほですから。あほは風邪引かん、というでしょう。」と明るく笑わせてくださるOさんである。
その2*筋肉が進行性で萎縮して動かしづらくなるという難病のIさん(大正14年生まれ・男性)

 ご子息が、当ステーションの利用者さんの担当ケアマネージャーということで、最初サービスに入らせていただくときは、それはそれは緊張していた。「もしもわたしがしくじったら、今後わたしの所属するヘルパーステーションには仕事が廻ってこないかもしれない。」という懸念からである。

 しかも私事ではあるが、我が父親(要介護3認定済み)の担当のケアマネさんでもあり、そのケアマネさん所属のデイサービスセンターに父が週2回通っているのである。つまり、わたしは我が父をケアマネさんに託し、ケアマネさんはご実家のホームヘルプサービスを偶然ではあるがわたしの所属するヘルパーステーションに託されたのである。

 さらにサービスに入るようになって、私事がさらに発覚。我が父親とわたしが担当させていただくことになったIさんは同世代。地元の名士として各種会合で面識以上のものがあり、平成元年に我が妹が結婚したときには、Iさんにも披露宴にご出席いただいた。(つまりわたしもIさんとは面識があったのである!)さらに奥様は、我が家に結婚のお祝いを持ってきてくださっているのである。その後、Iさんも我が父も寄る年波となり、各種会合を引退したため、それ以上のお付き合いはなかったので、しばらくぴんとこなかった。

 しかし、こんなことで驚いていてはいけない。生まれ育った地元で、地元密着型のホームヘルパーとして仕事をさせていただくからには、当然、以前から顔見知りの年長者の方のお手伝いをさせていただく機会もあるだろう。覚悟の上のヘルパー職である。 

 サービスに入り始めた当初は、Iさんご自身も、奥様もわたしを1ヘルパーと見てくださっていた。しかしどこからか氏素性は知られて、お互いの家族事情は周知のこととなったのである。

 さて、わたしは少し困った。Iさんは地元の名士であり、会社を切り盛りされていた取締役社長である。身体こそ難病のために少しずつ不自由になっていかれているが、意識や頭脳はしっかりされていて、1日の半分を通院やリハビリに費やされる以外は、書物や文芸春秋などを読んで物静かにすごされる。しかし、Iさんは、その難病のため、ゆくゆくは寝たきりになることを医師から宣告されているのである。意識のはっきりされているIさんが、体の弱っていくさまを、かつてから面識のあったわたしに見られているのを、嫌がられはしないだろうか?

 いまはまだ、身体介護といっても、杖歩行されるときに転倒されないかどうか、安全確保したり、車椅子を押したり、通院に付き添うことが中心であるが、Iさんの病状の変化により、そのうちサービス内容も変わってくることが予想される。

 とはいえ、わたしは与えられたこのサービスを、心をこめてさせていただくだけである。Iさんも難病であるが、我が父親も原因もわからない進行性の病気だ。お互いの内情がわかっているので、かえって介護者家族の気持ちがわかりやすいかもしれない。

 サービス開始からはや1年が経過しようとしている。春先に、若いヘルパーを伴ってIさん宅にお邪魔したその次の日、「ヘルパーさん、交代するの?慣れているし、事情もわかっているから、Oさん(=わたしのこと)が続けて来てもらえるといいんだけど。」と奥様に言ってもらえたときは、ひとまずいままでのところは及第点かな、と、胸をなでおろしたのである。

その3*戦争未亡人で長い間独居のHさん(大正8年生まれ・女性)

 ずっとお一人で生活してこられたHさんは、生活に張りを持たれ、歳を取ることに甘んじることなく、凛とした生活態度を続けていらっしゃる。狭心症の持病があり、足も弱ってきて長い距離を歩くことができなくなって来られているが、そんなことはおくびにも出さず、きれいに歳をとっていらっしゃる。

 ヘルパーの援助目標も、「声かけや会話を通じて、利用者に楽しみを味わえるように援助する。」であり、家事援助でのサービス派遣となっている。

 「少しヘルパーさんを選ばれるような部分があるけど、しっかり行ってきてください。」とチーフに送り出されて、これもまた、無事に一年が経過しようとしている。

 Hさん宅にはじめてお邪魔したときには、「雑巾は固く絞って、畳の目に沿って雑巾がけをするように。」と事細かにお掃除の指示を受け、「(もちろんわかってはいるけれども、一を聞いて十を知るようなヘルパーになろう。)」と、Hさんのこれまでの生活を重んじることが出来るよう、細心の注意を払うようになった。

 最初は、「どんなヘルパーが来るんかいな?」と、きっとHさんも身構えておられたに違いない。しかし、膝のやや動きづらいHさんと一緒にお掃除(わたしは掃除機、Hさんは拭き掃除)したり、鉢植えの植え替えを手伝ったり、一緒にお茶をよばれたりしているうちに、少しずつ、気心が知れていった。(実は、お茶については、「はい、ご苦労さま、疲れたでしょう、お上がりなさい、わたしも一緒にお茶のむから。一緒に飲んだらおいしいからね。」と、いつも誘っていただくので、いつもよばれている。)

 そんななかで、ある日、「ちょっとこっちへ来て、座りなさい。あんた、これくらいの歳で、こういう大学出ていて、どこそこに住んでいて、こんな仕事している、こういう人がいるんだけど、いい坊ちゃんなのだけど、どう思う?」と切り出され、「今度来るとき、写真と釣書、持ってきなさい。」と、有無を言わさぬ口調でおっしゃられた日には、参ったまいった〜〜〜。何とかその場を切り抜け、また次の日もしどろもどろで切り抜け、そのあと2〜3回はその話が出たのだが、ようやくお断りすることが出来て、ほっとしている。

 その後も、Hさん宅にお邪魔しているが、いつも変わらぬ寛大な心で迎え入れてくださり、Hさんのこれまでの人生で学ばれた生きた説法をお話いただき、いつもこちらが勉強させていただいている。
 Hさんも、「あんた達ヘルパーさんが来てくれるから、こうやって一人でも頑張っていける。」と私たちの訪問を、心強く思っていてくださるようである。
その4*脳梗塞の後遺症で手足のしびれがあるHさん(大正6年生まれ)

 01年2月にサービス開始したときは、24時間オムツ着用・歩行も捕まり立ち程度・食事もヘルパーが全介助だったのが、一年半を経て、夜間のみリハビリパンツ着用・歩行もヘルパーの見守りのもと単独歩行でき、食事もスプーンで自力摂取出来ている。

 しかし、手足のしびれが残り、医師からも「痺れは取れない。」と言われているそうで、かなり動かすのがつらそうなときもある。

 脚の痺れを訴えられるため、屋外での歩行練習が取りやめとなったりするし、指が思うように動かないので、手指のリハビリもなかなか進んではしようとはしない。Hさんに、気持ちの悪い痺れの残る中、進んでリハビリをしてもらうにはどうしたらいいのだろう?

 たとえば、春先にわたしが夕刻のサービスでHさん宅を訪問したとき、Hさんはパジャマの前をはだけたまま、ベットに寝ておられたことがあった。

わたし:「あら、どうしたんですか、前を留めておかないと、ちょっとまだ寒いですね。」
Hさん:「ああ、(訪問)看護婦がきて、体温測って、自分で前を留めろ、ってゆうて、そのままほって帰っていきよってん。」

 看護婦さんは、Hさんが自分でパジャマのボタンを留めるのがリハビリのひとつと考え、Hさんにそれを促したようだが、指を動かしづらいHさんは、面倒なのか留めるのが嫌になったのかして、そのままになっていたようだ。いったんやる気を失ってしまったHさんに、もう一度強要するのも悪いような気がして、わたしがHさんのボタンを留めて差し上げた。

 Hさん:「この姉ちゃんは留めてくれるのに、さっきの看護婦は何もしよらへん。」
とつぶやくHさん。

 本当は、これは正しくないのだ。看護婦さんの指示どおり、手指のリハビリを兼ねてボタンとめをしなくてはならない。看護婦さんのあとに訪問したヘルパーのわたしは、Hさんにとって、「(見かけの)いい子ちゃん」になってしまったのだ。

 食事のときにも、出来るだけお箸を使っていただけるように、最初は必ず、お箸をHさんの前に差し出すのだが、食事を唯一の楽しみにされているHさん、いったんはお箸を握られるのだが、やはりおはしではもどかしい。スプーンの登場となってしまう。

 機嫌を取る、のではないのだが、出来るだけ気分の乗ったときに、楽しい雰囲気で手指のリハビリを出来るように、余裕のあるサービスをしていきたい。
その5*上記のHさんの奥様は少し痴呆が出始めている

 とても人の良い奥様だが、高齢のためか、痴呆の症状が出始めている。日付がわからない、曜日がわからない、火の始末が出来ないことがある、冷蔵庫に何があったのか忘れてしまう、お買い物の勘定がわからない、買い物に行っても何を買おうとしていたのか忘れてしまう、などなど。

 Hさん宅にサービスに入り始めて、1年半が経過しようとしているが、奥様の状態は良くなっているとは思えず、要観察&要声かけである。

 しかしいちばんの問題は、奥様の病状が確定されていないことである。家族さん(ご近所だが離れて暮らしておられる息子さん、長女さん、次女さんがおられる)たちが、奥様を病院に連れて行くのに気が進まないとかで、奥様の痴呆の状態が判明していないのである。

 つまり、痴呆といっても、単なる高齢による老年性の痴呆もあるならば、原因不明のアルツハイマー型の痴呆もある。その他、ほかの病気のある1現象として現れる痴呆もあるのだ。

 それら各種痴呆によって、対処の仕方も異なるだろうし、薬の処方でも異なってくるはずだ。ごく初期のアルツハイマー型の痴呆ならば、薬によって進行を遅らせることも出来るというが、この薬も、痴呆が進行してしまえば、もう効かないといわれている。早い目の受診が大切だと思うのは、こんな雑学のためである。

 病気が特定できなくて、ただ、「なんだかおばあちゃん、呆けてきたみたい。しっかりしてね。」では、奥様が気の毒というもの。ヘルパーとしては、「早く病院に行って、正しい診断を受けてください。」と強く言うわけにもいかず、心を痛めているのである。

 そんななかで、わたしに出来ることは、出来るだけ奥様のストレスにならない生活をお手伝いすること。気持ちがイライラすると、痴呆も進むという。そんなことにならないよう、出来るだけ奥様の気持ちの負担を取り除き、気持ちよく住み慣れた家ですごしていただけるよう、声かけをし、家事を分担して一緒に台所に立ち、また、おしゃべりをしながら買い物にも出かけるようにしている。
【2】 現在対応しているサービスで、目標に掲げていること

 比較的容態の安定している利用者さんが多いので、気持ちよくサービスに入らせていただけるよう、心を尽くしている。
 身体介護でも、家事援助でも、技術は大切である。がしかし、たとえば家事援助で調理をするとき、料理の味付け一つにしても、自分流ではなく、利用者さん流に合わせられるよう、利用者さんの好みを見分けることが出来るように、心を尽くすのである。

≪ちょっと脱線してヘルパー職について思うこと≫
 本来は、ずっと一軒のお宅でヘルパーの仕事が続いていくべきではなく、利用者さんが自立され、ヘルパー不要となることが第一目標であるはず。
 利用者さんが、必要とされるあいだだけ、ヘルパーがお手伝いさせていただき、回復され、元気になられた後は、「そういえば、ヘルパーさんに来てもらっていたな、どこの子だったかな、アイリス、とか言って、きれいな色のポロシャツを着ていたな。」などと、時たま思い出していただける、そうなればいちばん良いのだが現実は・・・・。

 わたしが今の所属先のヘルパーステーションでヘルパーとして仕事をはじめて、はや1年半が過ぎようとしている。悲しいかな、そのなかで、お二人の方をお見送りした。たまたまお二人とも男性で、老夫婦2人暮らし。一生懸命介護されていた奥様が、あとに残られたのである。

 またまた悲しいかな、ヘルパーの仕事は、契約によるものだから、契約のご本人が亡くなれば終了。せめてお葬式のあと、お線香くらいは上げさせていただくのだが、その後ご様子をうかがいにお宅にお邪魔することは出来ない。

 あとに一人残られた奥様は、どうしていらっしゃるのだろう?ご主人を気丈にお世話されていただけに・・・と、とても心残りだ。そのうち一軒のお宅は、いつも通る道にあるので、前を通りかかるたびにお家を見上げているのだが、その後再び奥様の姿を見かけることはない。もう一軒は、少し離れたお宅。「おじいちゃんと喧嘩して、息子が出て行ってしもて・・・」と話されていた80歳代の奥様。さすがに心配で、家の前まで見に行ったら、息子さんらしい名前の方と、奥様の名前が連名で表札に挙がっていた。「一緒に暮らしておられるんだ、おばあちゃん、おひとりじゃないんだ。」とひとまず安心して、その場を立ち去った。
【3】 ホームヘルパーの仕事をしている中で、つねに心がけていることは・・・

いつも年長者に対して尊敬の気持ちをもって接すること。

人と人との出会いに感謝の気持ちで過ごすこと。

 今の年長者たちは、これまでの日本の繁栄を支えてきた働き者。大げさな言い回しではなく、本当にそうなのだ。どなたも太平洋戦争のことや、その後の復興のことなど、ほとんどおっしゃらないが、ちょうどいまわたしがお手伝いさせていただいている皆さん方は、戦争前後のころ、若者であった世代。その人たちが時代をかいくぐってこなければ、いまのわたしたちはありえないのである。
 
 そんな人たちの来しかたに思いをはせるとき、「いろいろあったんだろうけど、頑張ってこられたんだなあ。」と、年長者を敬う気持ちを持つことが出来る。

 そして、「いまちょっと、身体が不自由になったりして、わずかだけれども、手伝ってもらうことが必要になっておられるんだなあ。」と思うと、自分に出来ることを探すのである。

 ヘルパーの仕事も人対比人。人間寄り集まればどうしても馬が合う、合わないがあり、「悪い人じゃないんだけど、自分には合わないかな。」と思える人が出てきたりする。

 そんななかで、他人であるヘルパーを家の中に入れてくださること、そして、「やあ、よく来てくれましたね、いつも有難うね。」と言っていただくこと。アイリスに登録している利用者さんもヘルパーもたくさんいる中で、いまの利用者さんにご縁があったことを、まず感謝するのである。

(たくさんのヘルパーステーションが乱立するなかで、ご縁があって、今の所属先のヘルパーステーションに登録させていただいたこと、そして、心優しいセンター長としっかり者のチーフ、経験豊かな先輩ヘルパーさんや裏方に徹していただいている事務所スタッフの方々にかこまれて、気持ちよく仕事させていただいていることを、いちばん感謝しております。)






葉ホームヘルパー講習会
葉パパの介護記
葉娘のヘルパー日記
葉身の回りの出来事

娘はマラソンランナー




メール アイコン

トップ アイコン