娘のヘルパー日記



スタッフミーティング(2001年)
2001年1月27(土)雨・午前10時〜12時
<伝達事項>
○ キャリアアップ制度について
    身体介護担当者について、社内規定により昇給制度が設けられている。
○ 新規サービス内容の説明
○ 次回ミーティングの案内
    2月2日(金)午後3時〜5時
    ボランティア協会インストラクターによる救急看護・福祉用具の話
    資料代200円必要

<ガイドヘルパー取得者による、盲人ガイドの講習・アイマスク体験>
○ ガイドヘルパー心得10か条
   ・ 安全性(安心感)〜ガイドは常に確実で適切な判断を心がける
   ・ 自然で視覚障害者・ガイド双方にとってのやりやすさ
   ・ 過度の介助になっていないか
   ・ 環境状況を適切に伝えているか
   ・ 対象者に応じた速度や形を取っているか
   ・ 敬意と思いやりをもって目の代行に徹しているか
   ・ 言葉使いや態度は相手の人格を尊重し、対象者のプライバシーを尊重しているか
   ・ リラックスして楽しく役立ったガイドヘルパーになっているか
   ・ 常によりよいガイドヘルパーを目指しているか
   ・ 視覚障害者の移動を阻害するものを問題視する姿勢を持っているか

○ アイマスク体験の感想
  〜アイマスクをとれば元に戻るという健常者のわれわれが、アイマスクをかけて歩行・飲食などの体験をしてみた
  〜にわかに盲目になったとき、どうなるのだろうか
   ・ 階段の連続性は上りやすい
   ・ 階段のくだりが吸い込まれていくようで怖く感じる
   ・ 階段の段差の高い低いがわかりづらい
   ・ 階段の始まり、終わりをはっきりと伝えてほしい(「あと2段で終わりです。」など)
   ・ 声かけひとつで、何かに接触するのではないかと、逆に足が止まってしまうこともある
   ・ ガイドにすがり付いてしまうような感じで歩いてしまう
   ・ ガイドに密着してしまうので、頼りきってしまう
   ・ 歩行・階段の昇降時、ガイドに預けている以外のもう一方の手で、手すり・壁など、ものに触れていると安心
     〜屋外階段など、汚れている手すりもあるので要注意
   ・ ドアを開けて外に出たら、風が冷たく感じられた
   ・ コップでものを飲むとき、口元に持っていくのが難しい〜両手をコップに添えると楽
   ・ スプーンで砂糖をすくうとき、どれくらいの量をすくっているのかわからない

○ 街で視覚障害者を見かけたときの健常者の反応
  〜声をかけたくても、一歩引いてしまう現実
   ・ 一人で行動している視覚障害者には、声をかけていいものか、ためらう
   ・ どのように接していいのかわからない
  〜少しでも、視覚障害者に接する機会があれば、このような不安も払拭するだろうとわたしは思う。
    全盲の友人に出会ってから、わたしの意識が大きく変わったように。

○ 全体を通しての感想

 健常者であるわれわれが、視覚障害者に限らず、何らかの障害を持った人を手助けするとき、あまりにも「〜してあげる。」「〜してあげている。」という感覚になっていないだろうか?障害者は立場が弱い、と思い込み、一段上に立ったような気持ちで接していないだろうか?

 逆に、介助されるほうが、「面倒かけて申し訳ない。」「お世話になってすいません。」と、必要以上に萎縮していないだろか?
 そのような萎縮を招くような介助になっていないだろうか?

 わたしは、幸いにして、全盲の友人がいる。ランニングを通して知り合った彼だが、彼を通じて視覚障害者の存在を身近に感じることが出来るようになった。彼のおかげで、彼なりの視覚障害者の暮らしぶりにも、触れることが出来た。

 彼の家では、彼が一人だけで在宅のときでも、夕方になったら、「そろそろ外は暗いかな。」といって電気をつけるという。全盲なのだから、明るい暗いもわからない、電気をつけても何も見えない、けれど夜になったら電気をつけるという普通の暮らしぶり。「だって、夜に電気もついていない家で、ごそごそ音がしていたら、通りかかった人は不審に思うだろうから。」との彼の配慮だ。その他、あらゆることに、見えないがゆえの工夫が凝らしてあるのだ。

 そんな彼だが、時々怒っていることもある〜「盲人にもプライドはあるんだ。」〜あたりまえのことなのに、彼のことを盲人であるがゆえに、「〜しておいてやったら、いいだろう。」というような態度で接する人も、時々いるという。

 おそらく、わかりやすい例でいえば、たとえばバイキング料理(ビュッフェ形式)のお店で食事をするとき。自分の好きなものを好きなだけ取って食べることが出来る、というバイキングだが、「(どうせ見えないから料理を選ぶことも出来ないだろう、)適当に取ってきてあげるから、座って待っていて。」と、最初から言われたとしたらどうだろう。「自分で好きなものを選ぶ」というバイキングの楽しみは奪われ、ただ、与えられたものを何かもわからずに口に運ぶことになってしまう。少しだけ手間はかかるが、一緒にお料理の並んでいるところまで行って、お料理の種類を告げて、選んでもらうことぐらい出来るだろう。ほんの些細なことなのだ。

 みんなと一緒に注文した幕の内弁当を食べるときなど、彼は何が入っているのか、近くの人に尋ねるという。おはしを使って、うまく物をはさみ、口に運ぶ彼だが、口に入るまでそれが何かわからないのは、やっぱりいやだという。彼のように、明るく何でも回りの人に尋ねることの出来る人なら、お弁当もおいしくいただけるかもしれない。しかし、中には内気で口数の少ない人だっているだろう。みんなでお弁当をいただくときには、みんながそれぞれ楽しめるように、お互い気を配ることが出来るはずだ。

 そしてそのようなことは、健常者だから、視覚障害者だから、という区別はない。ひとつのグループで一緒に行動するようなとき、仲間はずれがでないよう配慮するのは、大人の行動としては当然のことのはず。会社関係や利害関係があるときには、このルールが崩れることもあるかもしれないが、少なくともわたしと彼が属しているような、趣味のグループでは、誰もがそういった行動をとろうとしている。普通の大人同士、人間同士の付き合い方があるし、その中で、視覚に関する部分だけを手助けすればいいのではないだろうか。

 視覚障害者だからといって、気を使いすぎて腫れ物に触るように接する必要もない。接するわれわれが、緊張してかちんこちんになっていたのでは、視覚障害者も居心地が悪いだろうし、リラックスできない。わたしたちも、さまざまな人との出会いを感謝するように、彼のような視覚障害の人と接することを楽しみ、その偉大さを感じ取ることができるような、人間同士の付き合いをしていきたい。





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