身の回りの出来事




2002年2月17日 第9回泉州国際市民マラソン〜ブラインドランナーと走る
(2年2月25日更新)

 この泉州マラソンで、初めてブラインドランナーの伴走としてレースを走ることになっていた。半年以上も前から伴走メーリングリストの関係者を通じて、伴走志願。マッチングできたのは、今回がフルマラソン2回目というわたしよりすこし年若いSさんという女性の方だった・・・・。

 とはいえ、ブラインドランナーと接するのは今回が初めてではない。4年程前に、偶然、自宅の近所に住む男性のブラインドランナーMさんと知り合いになり、しばらくの間、週1回定期的にいっしょに走ったり、電車&バスを乗り継いで山を走りに行ったりしていた。それまでは視覚障害者と接したこともなかったわたしは、その運動能力と前向きな性格(〜本人は、「僕、のん気なだけ」と謙遜して言うのだが・・・)にすっかり心を動かされていた。

 いつかはレース本番でいっしょに走りたい。強く願うようになったのだが、男性のMさんは相当な走力の持ち主。ジョギング程度なら一緒にできるのだが、レースとなると話は別。男女差によるペース配分の違いも考えられ、とてもMさんには付いていけそうにない。わたし程度の走力でも、必要としている人がいるかもしれない、そんな中から、今回の伴走志願となったのだ。  
 待ちに待ったそのSさんとマッチングできたのは、昨年11月も末のことだった。
 ところが、11月中旬のフルマラソン完走により、故障に陥ってしまったわたしは、思うように走れなくなってしまった。12月中旬に一度顔を合わせ、堅く握手をして泉州の完走を祈願。年末年始のお休みにいっしょに走りましょう、と言っていたのにもかかわらず、更なる悪循環でわたしの脚が動かない!そしてついに1月下旬の国際マラソンを欠場するほどになってしまった・・・。

 にもかかわらずわたしを信頼してくださって最後までわたしの体調が上向くのを待っていてくださった。「Oさん(=わたしのこと)、故障だったら伴走は結構です。」と断られても当然だったのに。明るく前向きなSさんと走っているお仲間はたくさんいらっしゃるし、Sさんの伴走をしよう、と申し出ていた人も複数以上いるとのこと。それなのに「伴走メーリングリスト」を通じてカップリングされたわたしのことを優先してくださっていたのだ。

 当日は、Sさんと、いつもSさんと一緒に練習されている皆さんともターミナル駅で合流し、スタート会場に乗り込む。ナンバーカードの受け取りから、チャンピオンチップの取り付け、ナンバーカードを上下逆にならないように安全ピンで身体の前後につけるところまで、すべてを仲間の皆さんがフォローしてくださった。自分自身の出走準備(更衣からエネルギーの補給もある)もあるので、かなり気ぜわしい。やっとのことで自分の準備を終えたころには、Sさんもウォーミングアップの準備が出来ていて、軽く15分ほどジョグ。本来ならば自分のことをてきぱきとこなし、Sさんにも気配りするべきなのに、すべてまわりのお仲間に頼ってしまった。

 私達は一番後ろのブロックから予定通りキロ5分45秒くらいで走り始める。泉州マラソンでは、ブラインドランナー一人につき、伴走&サブ伴走として、2名のランナーが認められているので、スタート時の雑踏をすり抜けるにもガード役を果たしてくださり、とても助かった。おまけに給水所では、サブ伴走の方が先回りして、2人分の紙コップをとってくださる。伴走のわたしが左手に伴走のロープを持っていて、すべての給水所がコースの左側にあるため、わたしの右手で2人分の給水を取るには至難の業だったのだ。さらにレース前半では、ナンバーカードをつけた見知らぬ男性ランナーが、私たちの後ろに廻ってくださり、無理な追越をするランナーからわたし達を守ってくださった。

 沿道の風景を言葉で伝えたり、だんじりばやしの声援を受けながら前半は快調なペース。ところが、Sさんがやや体調不良であったことも手伝って、半分を過ぎてだんだんペースが落ちて、トイレロス(トイレに案内するときは、女同士でよかったと思った!)などもあり、途中数箇所に設けられている関門がだんだん心配になってきた。

 25キロを過ぎてさらに脚が重くなったようで、途中から降り出した雨にもたたられ、後半はかなり全身に疲れが出てきたようだ。31キロの関門を45秒だけの余裕で通過。33キロからは大きな橋ののぼりが待っていることを考えると、ほとんど貯金もない。

 橋のたもとにはSさんの応援隊が待っているはずだ。「みんな、待っていてくれますよ、しっかり走ってたどり着きましょう。」案の定、先に沿道からわたし達の姿を見つけてくれて、大きくチアホーンが鳴った。「あそこに居てくれている!」もう一度彼らの前を通過するためには、4たびのブリッジを越えてこなければならない。

 Sさんももちろん、懸命に前に前に足を動かしている。しかし身体は疲労困憊状態。「最後までしっかりいい走りをしましょう。」とずっと声をかけながら走っていたのだが、二つのブリッジを越えて、37キロの関門を40秒オーバーで目の前で閉鎖されたとき、わたしのほうが泣けてきた。Sさんもしばらく、言葉も出てこないほどだった。Sさんを無理にひっぱり過ぎたのではないだろうか、それに、自分がもっといっしょに練習できていれば、とも思えた。

 ゴール会場にはいとこさんとご両親が迎えにこられていて、温かい車で帰途に着くことができたようで良かったと思う。身体を酷使した状態で、白杖を片手にまわりに神経を張り巡らせて電車を乗り継ぐ家路など、とても忍びない。

 今回はわたしが自分のことにアップアップで、やっと体調を合わせることが出来たのだが、私自身の体調管理だけでなく、Sさんの体調もフルマラソンに向けて上向かせてあげることができるほどの
親密さを持って一緒に準備しなくては、伴走など務まらないだろう。自分の無力さを感じてしまった。自分がもっと強く大きくならなければ、とも思う。

 さらに今回は、日頃Sさんといっしょに走っている人たちに応援&サブ伴走などいっさいがっさいお世話になった。Sさんと一緒に走りたいというお仲間はいっぱいいるのに、皆さんを差し置いてわたしが伴走のロープを持たせていただいたのだ。

 Sさんのお人柄で、周りは暖かい人でいっぱいだ。そのことに触れることができただけでも、わたしの心も温まっていく。今回の出会いにほんとうに感謝。そして、今回だけに終わらせることないよう、これからも細く長く、かかわっていければ、と思っている。





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