身の回りの出来事


発掘!あるある大辞典から取材をうけて  
 テレビ番組の「あるある大辞典」では、原因不明といわれている痴呆症の発症要因について分析中、10月8日の放映に向けてデータやアンケートを収集されています。
                                              (00年8月ごろ)

 インターネットを通じて情報収集に応募したところ、東京の制作会社から電話で問い合わせがありました。おもに父親の病状についてのものでした。
 
 <応募者 様>

 過日はお電話にてお話し下さいましてありがとうございました。
とても貴重なお話、感謝しております。

 今回、番組では主に痴呆症の説明と有力とされている予防法について取り上げていきたいと考えています。
 私共は制作会社のスタッフです。連絡先は下記の通りです。昨日、お話いただきましたおたくさまが書面でまとめられていらっしる内容を教えていただければと思います。
 宜しくお願い致します。
                                             (00年8月17日)
<「あるある大辞典」ご担当さま>

 わざわざお問い合わせいただき、ありがとうございます。
父の病気(アルツハイマー型痴呆)がきっかけとなって、痴呆や介護について興味を持つようになりました。ひとまず、一般知識として、ヘルパー2級取得中です。

 添付ファイルの文書は、ヘルパー2級講習会のレポートが中心ですが、講習会が終了したら、父の痴呆の進行具合を中心にしたHPを作成したいと思っています。拙い内容ですが、何かの参考にしていただければ幸いです。
 文書末尾にメモしてある、他のHPからの拾い読みが、アルツハイマー型痴呆発症の一因として私にはとっても衝撃でした。
                                             (00年8月17日)
<「あるある大辞典」ご担当さま><追伸>

 再び失礼いたします。
私の父のアルツハイマー型痴呆症について、家族の目から見た、原因&誘因を分析してみました。今まで、医学的にみても痴呆症は、原因不明で進行性の病気、と認識していましたので、すっかりあきらめてしまって、その原因などを振り返って考えたことがほとんどありませんでした。

 父の場合、<遺伝+本人の性格+生活環境>ではないかと考えています。

 <遺伝>、とは、父方の祖母(父の母親)も、晩年はボケていたと聞いています。
痴呆症、という言葉もなかった時代なので、「雷にあたってボケた。」などと言われていました。私のごく幼い頃の記憶しかありませんが、同居していたものの、階段の下の北向きの部屋で過ごしていて、近寄りがたい雰囲気だったようです。

 <本人の性格>とは、世間一般でいわれているように、几帳面・頑固・怒りっぽい・おやまの大将(自分で株式会社を設立、取締役社長に就任)・仕事一筋・とりたてて趣味がない、というところでしょうか。

 <生活環境>とは、先日お送りしたメールの添付ファイルの末尾のメモにあるように、父の人生、仕事一筋でやってきて、結局は何か満たされない部分が多かったのではないかと、思っています。そういえば、長女の私は40歳間近にして独身、次女も結婚生活はきわめて円満でうまくいっているようですが子供がありません。父は、73歳にして、孫さえもいないのです。

 決して私たち家族がうまいこといっていない訳ではないのですが、父はこれまでの人生、長いこと、がんばって来すぎたんでしょうね。
                                             (00年8月19日)
<応募者 様>

 ご連絡遅くなり申し訳ありません。
 「ホームヘルパー2級講習会」拝見させていただきました。おたくさまのお父様への思いが伝わってきます。

 正直申し上げますと、今回番組で「痴呆症」をテーマに取り上げながら実は私のなかではどこか遠い存在のような感覚を抱いてしまっていたと思います。

 大切なことは何も分からないままだったと思います。
 ただ今回の番組では主に若い人達へむけての予防法をメインで紹介していくことになりそうです。
 介護についてはまた別の機会に取り上げることが出来ればと思っています。

 それから今回の取材につきましてはまた追ってご連絡させていただきます。
                                             (00年8月21日)
<8月末の土曜日、「あるある」が我が家に取材にくる>

 インタビューの女性と、カメラさんと、お二方が東京から日帰りで大阪の我が家までお越しくださいました。約1時間半の間、ほとんどずっとカメラが回っていたのですが、10月8日の本番組ではわたしの顔出しは父親の病状の紹介のみ・・・、わたしの目指している「明るい介護」が伝えられなかったのは残念ですが、テレビ番組制作の難しさを垣間見ました。

当日放映の「あるある大辞典」は以下のHPで見ることができます。

http://www.ktv.co.jp/ARUARU/

こちらのHPを開いて、「放送テーマ/インデックス」〜「2000年」、「第202回 10.08 『ボケ』 」とクリックしてください。

  
こんな感じで「あるある」の番組は紹介していました。(父のCT写真も一部使われました。)

<このころから、漠然と家庭介護についてのHPを作ってみたいな、と思うようになる。>
 わたしが父の病気に直面して、まずは介護するものが病気の理解をしないといけないと思い、身近なところでホームヘルパー講習会に参加したり、00年4月よりはじめたパソコンのインターネットで情報収集したりし始めていました。

 今まで考えたことも無かった高齢者介護について、急速に理解が進みました。そんな中で感じたのは、以外に多くの人が、「家でもおばあちゃんを介護していた。」とか、「家のおじいちゃんも痴呆症で、最後は家族ではとっても世話できなかった。」とぽつりぽつり話してくださるので、皆さん、介護されている人は、表立って口には出さないけれど、いろんな悩みや考えを持っていらっしゃるのだということ。

 わたしの身の回りの人も多くの方がいろいろな体験をされており、また、インターネットでHPを覗くと、もっとたくさんの方がさまざまな体験をされています。

 高齢者の場合、その人により状態はさまざまですが、多くの体験談を聞くことによって、これからの父病気の進行と家庭介護に向けての覚悟のようなものもできてきました。病気のことを理解すること、介護の先達たちの体験談を聞くこと。この二つでわたしは大きく力づけられました。

 折りしもおり、受講中のホームヘルパー講習会では、各種レポートの提出が義務付けられています。だったらこれをきっかけに、わたしなりに父との日々をまとめてみようかな、と思うようになりました。わたしがそうであったように、わたしの経験したことが、いつかどこかで、後からくる人たちの何かの力になればいいな、とも思いました。そんな大それたことにならなくても、少なくてもこれはわたしと父と母の思い出にもなります。

 その後、00年9月にホームヘルパー2級課程を無事修了したわたしに、登録ヘルパーのお誘いが来ました。受講開始時は、まさか本当にヘルパーとして仕事をするつもりはなく、一般知識として覚えておきたい、くらいの動機でしたが、これも何かのご縁だと思い、まだ父の病状も安定していることから、自分の時間の都合のつくときに仕事をいただくようになりました。

 「人のお世話をする仕事なんて、わたしに出来るかしら。」と思っていましたが、いつのまにか一生懸命になってしまっています。それは、お世話をさせていただく方の笑顔のおかげです。きわめて状態の悪い方でも、お顔が和むときがあります。その一瞬がかけがえが無くて、ヘルパーの仕事を続けていきたいと思っています。
                                                         (00年末)





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