身の回りの出来事



伴走バンクにご協力を!
(02年9月7日)
 今年の夏も暑かった・・・・そんな一夏の終わりに、マラソンの友人マッちゃんから伴走データバンク開設のお知らせをいただきました。マッちゃん自身もウルトラまでこなす健脚ランナーであり、もちろん伴走も多くされています。伴走バンク開設は、ブラインドランナーの存在をもっともっと知ってもらうためにも、とてもいいことだとおもいます。

 本年2月の泉州国際マラソンにて、初めてレースにて伴走を経験したわたしですが、その後のブラインドランナーの方々とのかかわりを振り返るとともに、マッちゃんの伴走バンクへの思いを込めたメールをご紹介いたします。

   △マッちゃんの伴走バンク開設お知らせメールはこちらから

   △伴走データバンク「伴に走ろう」はこちらから

   △わたしのブラインドランナーの方々とのその後のかかわりはこちらから

   △いつも小さな発見をくれるブラインドのSさん(女性・30才代)についてはこちらから
≪マッちゃんの伴走バンク開設お知らせメール≫

 全国のブラインドランナーと伴走者を結ぶデータバンクがメインの伴走データバンク「伴に走ろう」を制作しました。サイトオープンに伴い、伴走バンク普及にご協力をお願いいたします。

 伴走バンクは、ブラインドランナーが気軽に伴走可能な人を検索できたり、ブラインドランナーに伴走という手段で手助けをするためにブラインドランナーを検索できるシステムです。

 このサイトは個人のサイトではなく、ブラインドランナー及び伴走ボランティアのために作りました。この伴走バンクがブラインドランナーにとって有益なものにするには、多数の伴走可能な人の登録数が必要です。

 そのため、ホームページをお持ちの皆様にリンクという形で「伴走バンク」普及のご協力をお願いしています。皆様ご自身が伴走をされなくても、伴走バンクを宣伝していただくだけでも知名度があがり、多数の皆様に認知されます。多数の方に認知されることで伴走者が登録され、伴走者不足で悩んでいるブラインドランナーの助けになるというわけです。

 何卒、皆様のご理解ご協力をよろしくお願いいたします。

(02年8月29日着信)
≪わたしのブラインドランナーの方々とのその後のかかわり≫

 わたしとブラインドランナーの出会いといえば、たまたま自分のホームグラウンドとしている大阪城で、Mさん(50歳代前半・男性)が走っておられて、知り合いになり(98年春ごろ)、わたしの家の近所だということで、いまでは遠慮も何もしなくて気軽に家に上がりこむくらい、気の置けない存在となっている。

 そしてMさんを通じて視覚障害の人たちの世界を垣間見て、ブラインドでありながら走っている人たちのとても前向きで明るいことから、とても大きなちからをもらっているのである。

 白い杖を頼りに身軽に日常生活を送っているMさんに、「(目が見えなくても)すごいことができるね、偉いね。」というたびに、「そんなことないよ。自分から進んで目が見えなくなったわけでもなく、目が見えなくなってしまったから仕方無しにこうしてるんだから。もし、僕の前に選択肢があって、目が見えなくなる、という困難な選択肢を進んで選んだとしたら、偉いね、と言われるかもしれないけどね。」と語ってくれるのである。

 今年の夏は、毎週月曜日を定期的にMさんと走る日として、Mさんの自宅まで誘いに行って、公道を4キロばかり走り、大きな周回コースのある公園に出かけていく。朝に弱い低血圧のわたしが走るのは夕方から夜が中心。Mさんと一緒に走るのも、夕方以降である。

 しかし、わたしたちの住んでいるのは大阪の下町。下町がこの時刻ともなれば、自転車やら人やら、乗用車やらがごちゃごちゃ入り乱れて、それはそれは危険いっぱいの公道である。衝突事故に留意し、危ないと思ったらすぐに立ち止まって道の脇によける。小さな川沿いの遊歩道も利用しながら、公園にたどり着いたらほっと一安心。気持ちよく夜の風を感じながら走っている。

 そのMさんは、9月7日に行われた、標高差3000m・全長65キロを走る立山登山マラニックを11時間ほどで堂々完走した。⇒⇒⇒完走の様子はこちらから

 そして、毎週木曜日の酒練&るみ練。

 ブラインドのSさん(女性・30歳代)のために一人の女性が伴走して淀川べりで始まった酒練(01年春ごろから)も、もう1年以上たつという。ところが、淀川河川敷は街灯が無く、日の長い夏の間は女性2人でもなんとか薄暗くなる前に練習を終えることが出来たが、秋の訪れとともに日が短くなり、真っ暗な河川敷で乙女たちが安心して走ることが出来なくなってきた。

 そんなとき、伴走者の女性の発案で、ネットでボディガード役として走ってくれる男性を募ったところ、心強き数名の男性が仲間に加わってくれたという。仲間の輪が広がったことでメーリングリストに発展し、毎週木曜日の練習が確実に行われるように各自が仕事などを調整し、調整がつかない場合でもメーリングリストで発信しておけば、必ず誰か伴走を引き受けてくれる人が、いつもの時間にいつもの場所にてSさんと合流できるのである。

 わたしは残念ながら、仕事の都合で、夕方6時に淀川べりには到底行けそうに無い。7時半でも無理なくらい。こんなにぐずぐずしていては、酒練が終わってしまう・・・酒練には行けないかな、と残念に思っていたところ、今年の夏まえから大阪城でるみ練が始まった。Sさんのための酒練から派生したるみ練、ブラインドのRちゃん(女性・もうちょっと若いかな)の仕事先が大阪城のほんの近くだというので、開催場所が大阪城に決定したようだ。

 大阪城といえばわたしのホームグラウンド!家から走って30分で行けるところだ(電車を乗り継いでいっても、乗換えがあるので30分近くかかることもある)。これはなんとしてでも参加したい!おお慌てではあるが仕事服から着替えて走っていくことにした。

 ただし、るみ練も6時スタート、わたしは仕事の都合により、スタート時刻には間に合わないので、Rちゃんを迎えに行くことは出来ない。いつも酒練に参加しているメンバーが、毎週週代わりで一人、大阪城まで出張練習に来てくれるのだ。そして3キロ周回コース×4周のランを開始する。

 わたしが大阪城に到着したときには、たいてい、心強き伴走者を伴ったRちゃんは3キロ周回コースの最後の1周か、もう、12キロを走り終えて給水をしているくらいの時間だが、「Rちゃん、O(=わたしのこと)です、やっと到着したよ〜。」といって合流する。

 そして、走り終えたRちゃんを荷物を預けたコインロッカーから着替えのJR構内のトイレに案内する役目を買って出ている。駅構内の広い身障者用のトイレで着替えるRちゃんを待っていて、ホームまでお見送り。女性だけでなく、男性に引っ張って走ってもらっていることも多いので、Rちゃんも、着替えを待ってもらうのが男のひとだと、ちょっと気兼ねかな、と思うので。

 時間的に一緒に走ることはなかなか出来ないけれども、自分にできることをほんのちょっとだけども、出来たらいいな、と思っている。いっときに無理して、沢山かかわるよりも、細く長くでもいいから、ずっとかかわっていけたらいいな・・・。。


≪Mさん関連のこの他の記事はこちらから≫

  △全盲のMさん、駅のホームから転落(01年1月11日)

  △ 相次ぐホーム転落事故〜Mさんのその後
<年末にホームから転落した全盲のMさん、元気にフルマラソン完走!>(01年2月21日)

  △視覚障害ランナー夫妻交通事故死から(01年5月5日)
≪いつも小さな発見をくれるブラインドのSさん≫

 02年2月の泉州国際マラソンにて、初めてレースにて伴走を経験したわたしだが、そのとき一緒に走ったのが、ブラインドのSさん(女性・30歳代)である。⇒⇒⇒そのときのレースレポートはこちらから

 そのSさんと初脚合わせの日のことは、大変印象に残っている。いつもSさんが練習されている長居公園の周回道路で一緒に走る練習をするべく、公園内にある身体障害者スポーツセンターの前で待ち合わせていた。時はちょうど真冬の一番寒いとき・・・運悪くにわか雪が降ってきた。かなりの量の大きなボタン雪で、視界もさえぎられぎみ・・・。通り雨ならぬ通り雪、にわか雪の様相だったので、スポーツセンター内でしばし雪宿りをすることにした。

 初めて二人でお話する機会を得て、わたしは何からしゃべっていいのか戸惑いがちだったが、Sさんのほうからいろいろと語ってくださった。今の仕事のこと、どこで練習しているのか、そして視力を失ったわけなど・・・。

 しばし話が弾み、ふと窓の外に目を向けると、雪も小止みになってきて、まもなく上がりそうな様子。「あ、もうすぐ雪もやみそうです、走りに外へ行けそうな感じになってきましたよ。」と窓の外を見ながら様子を知らせたわたしの視線の先を追うように、Sさんも窓の方向に顔を向けて、「そうですか、やんできましたか、走れそうでよかったです。」と相槌を打ってくださった。

 明るさも何も見ることが出来ない暗黒の世界にいるSさんが、わたしの口調に合わせて首をかしげて、窓の外を見やってくださったのである。スポーツセンター内でどの位置にあるソファーに腰掛けて、窓がどの方向かわかっていたのだろうか?それともわたしの声のトーンで、わたしがどの方向に顔を向けたのか察知して、反射的にその方向を見やったのだろうか?本当に不思議な一瞬だった。

 この夏も、お盆のさなかの酒練&るみ練、いつもは淀川べりと大阪城と、場所を違えて行っているのだが、その日ばかりは大阪城で合同で走って、「お盆でも仕事で頑張っている自分たちに乾杯!」と、噴水の横でコンビニ食料とロング缶で盛り上がった。その後、SさんをJRホームにてお見送りしたが、発車を知らせるアナウンスが鳴って、まさに扉がしまろうとしたそのとき、「じゃあね、Sさん、気をつけてね。」と思いをこめて手を振るわたしに振り返すかのように、絶妙のタイミングで小さく手を振ってくれるSさんに感激!

 わたしもいつも、気の置けない友人と別れるとき、つい手を振ってしまう癖があるのだが、たとえばMさん(ブラインドの男性)を家まで送っていって、「じゃあね、Mさん〜〜。」といつも手を振ってしまって、「あ、そうか、Mさんに手を振っても見てくれないんだ・・・。」と思い直すことがしばしば。Mさんは男性だし、別れ際に手なんて振ってくれる癖は、ないのが当たり前かな。

 でも、Sさんは、まるで女学生のように手を振ってくれるんだ、と思うと、とってもうれしくなってしまった。おまけにわたしが手を振るのとまったく同じタイミングだったので、廻りで誰かが見ていてもまったく違和感がなかったと思う。

 Sさんに出会うとと、いつもこのように小さな発見がある。とってもうれしくなる発見である。

 こんな彼女ら、彼らにかかわることが出来たおかげで、わたしの視覚障害のひとに対する感覚が大きく目を見開くことが出来たと思う。

<Sさんにこのわたしの感激をお伝えしたところ、ちょっとしたコメントをいただきました>
 〜(Sさんのコメント抜粋)〜
 手を振るのはついついしてしまうんです。振ったあとで、ぜんぜん別の人にしてたかも?って思うのですが、振る前にはそんなこと考えないんですよね。

会社で、聴覚障害の女の子がいて、わかれるときにウチの手に自分の手を合わせて、いっしょに振ってくれるんです。そのたびに、とてもうれしく思います。






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