身の回りの出来事




視覚障害ランナー夫妻交通事故死から

 視覚障害のランナー夫妻がランニング練習中に交通事故死。痛ましい事故で、残念でたまりません。奥様は、友人が伴走して100キロマラソンを完走されたこともあるのです。

 視覚障害のランナーの方と話してみて、思うことをしたためています。

 こちらの記事の中盤からは、この記事をご覧いただいた多くの方からのメールをご紹介いたしております。(日付順に掲載しております。) どうぞ下のほうへ、スクロールください。
(01年5月5日)

 GWに突入した初日の土曜日、いつもおだやかに流れている淀川のはたで、痛ましい事故が起こった。夫婦ともども視覚障害を持つマラソンランナー2人が、操作を誤った若者のワゴン車にはねられ、交通事故死。

 わたしはこのニュースを、故人らの告別式当日の新聞記事で知った。夫妻仲良く海外マラソンを走っている写真とともに掲載された記事を見て、愕然とした。わたしと同じランニングクラブの仲間が、亡くなった女性ランナーの伴走をつとめている(四万十川100キロウルトラマラソン完走)こともあって、「ぜひ紹介してね。」と、その機会を楽しみにしていたのだ。

 わたしの友人にも視覚障害のランナーがいる。同じランナー仲間で、彼もきっと故人たちの練習仲間に違いない。矢も立てもたまらず、彼に電話をしてみた。

 お通夜にも駆けつけたという彼は、悲しみの底にも怒りを隠せなかったようだ。「ワゴン車の若者を憎んでも、彼らは戻ってこないと思うと、心のやりどころが無い。」と。

 お通夜では、夫妻が仲良くマラソンを走っている写真が飾られ、ランナー仲間が大勢駆けつけていたという。飾られた写真を目で見ることの出来ない彼は、会場で放映されていた生前の二人を撮影したビデオから、彼らの元気な声を聞いて思わず涙がこぼれたと言っていた。

 ご冥福を祈っても祈りきれない。新聞に掲載された生前のおふたりの写真を見ているだけでわたしも涙が込み上げてくる。友人の視覚障害ランナーとの電話も切ることが出来ずに、なんやかんやと話は進んだ。

 彼が言うには「まだまだ盲人に対して偏見がある。」〜「日本は仏教の国なので、輪廻転生の教えが(ねじれて伝わっている部分が)あり、前世に悪いことをしたから、その報いで目が見えなくなった、とか言われることがある。」 なるほど、輪廻転生にこじつけた偏見といえるかもしれない。イエス・キリストが人々の罪をかぶって十字架の刑に処せられたとのキリスト教の教えとは、教えが異なるのだろうか。(宗教については私自身、‘門徒もの知らず’で本当にお恥ずかしい限りなのだが。)

 「盲人に対する偏見」とは、たとえば、「今回の事故でも、あの二人は目がほとんど見えないから、道路の真ん中を走っていたのではないか、という人も出てきたりする。」のようなもの。ところが、視覚障害の人としばらく行動をともにすると、彼らの勘の鋭さに脱帽して、目の見える自分の感覚を疑ってしまうこともある。わたしが彼と伴走をして一緒に走っていたときも、「道の真ん中に出てきたんとちゃうか?僕の伴走をしてくれて、車にひかれたらおかあさんに申し訳ないよ。」と、いつも注意を促してくれるのだ。道路をわたる風の具合で、道の真ん中か、端っこのほうか、感じ取ることが出来るそうだ。

 また、彼は、「僕の友人で、飲みに行った帰りが深夜になって、車にひかれた人がいる。そんなことになったら、『盲人のくせに、夜遅くに出歩いて・・・。』と、難癖をつける人がいるものだ。」とも怒り始めた。「盲人だからといって、出歩いてはいけないことはないし、お酒を飲みにいってはいけないこともない、けれども何か事故があったときには、『目も見えないくせに。』といわれる。」と、世間の目の冷たさを常々感じているという。不慮の事故にあう可能性は誰しもがおなじ、気をつけるのも常人以上に気をつけているのに、何かあったら、必ず悪く言われるのに閉口しきっているようだ。死人に口なし、目無しとまで言わないでくれ、と。

 わたしは彼と知り合ったおかげで、視覚障害者に対してかなり見る目が変わってきた。以前ならば、目の見えない人がひとりで外出するなんて、考えもつかなかった。「そんなこと、出来るわけがない。」と。けれども彼なりの工夫、努力、感性をフルに発揮して、ちゃんと自分のことは自分で出来るのだ。

ハンディキャップを感じさせないその姿は、わたしたちの想像を超えた真摯な努力に裏打ちされているに違いない。彼は、「僕、そんな努力家と違うよ。目が見えないことにくよくよしないで、のんびり構えているだけ。のんきものだから。」と明るく交わしてしまうのだが・・・。

 彼はやはり訴えている。「視覚障害者に対して理解を!」視覚障害の人が安全に安心して外出できるような設備と、人々の配慮を。

 わたしも大勢の人に感じてもらいたい。視覚障害の人と接することにより大きな感動をうけ、感謝の気持ちを持つことが出来、彼らの姿勢に教えられることがどれほど多いことか。みんなが安心して気持ちよく生活を送れるようであってほしいものだ。


たくさんの反響ありがとうございました。
(01年5月29日)
<首都圏の30歳代半ばの女性の方より>〜仏教の中で法華経の教えをメールしてくださいました。(抜粋)

 視覚障害のランナーのかた、やっぱり知ってる方たちだったんですね。 なんだかやるせない事故だと思います。 健康な人でもこちらが悪くなくて事故に遭うことはあるとはいえ・・・ ご夫婦二人一緒だったことはせめてもの救いだったのでしょうか・・・

 HPの中に「日本は仏教国で・・・」云々という友人の方の一言があってなんだか私は其の一言にひっかかってしまって・・・。 
 
 確かに日本は仏教国なのですが、仏教の中にはいろいろあって、その方の言われる考え方は、念仏の思想なんですよね。 「今はつらいかもしれないけれど、耐えて念仏を唱えていけば必ず極楽浄土に行ける」と。
 
 念仏は、鎌倉時代の世の中が自然災害や疫病で大変だったとき、この世が良くなるとは信じにくい状況の中で、庶民にとって本当に簡単だったので、日本中に広まって、今なお日本の思想の根幹になっていると思います。
 
 それはキリスト教にも見られて、「神の与えた試練だから、この世は耐えなさい。神に祈りなさい」と。
 
 でも、では、「過去の原因を知ろうと思えば、現在の結果を見よ。未来の結果を知ろうと思うのなら、現在の原因をみよ。」と、確かに生命の永遠性を説いています。しかし、過去の結果だから仕方ないではなく、今の結果は、未来の原因となっていく。 だから現状をただ嘆くのではなく、この現状をどう変えていく努力をするかだ、信仰をたもって今の現状を打開していく生き方の中にその人の生きていく使命がある、というのです。
 
 現状の中で最大限に努力し、生きていらっしゃる姿にこそ、大きな意味があると思います。

(01年5月6日着信)

<返信>
 HPを勢いに乗って書いたものの、うまく伝わらない部分もあるんじゃないかと、いつもどきどきしています。

 仏教の教えについては、門徒もの知らず、で、わたしは勉強もしていないのでこんな風に書いてもいいのかな、と思っていました。とりあえずちょこっとだけ手直ししてみました。

 Mさんが、「前世の報いで目が見えなくなった。」と、思っているわけではなくて、どこかでそんなねじれた考えを持っている人がいて、それがMさんを傷つけ、怒らせるのかな、と思います。

 Mさんも、わたしも、能天気そのものなので、世間の偏見を気にしていないのですが、実際に障害を持っているMさんは時としてその偏見にきづ付く事もあるに違いないと思います。

<さらに着信>
 ほんと、書いて伝えるのって難しいですよね 
 Mさんが「前世・・・」云々て考えているんじゃなくて、周囲の人の中にそういう考えを持っている人がいる っていうふうに私はHPを読んでとらえていたんだけど・

 ・・ うーん やっぱり顔を見て話をするって大事ですね

(01年5月7日着信) 
<北陸地方の30歳代後半の女性の方より> 

 視覚障害者の交通事故、HP読ませていただきました。本当にいたたまれないですね。
 私のまわりには視覚障害者などのハンディをもっていらっしゃる方はいないのですが、レースでよく伴走者といっしょに走っている盲人ランナーを見かけます。

 彼らの頑張っている姿を見ると健常者である私は「視覚障害をもっていてもあんなに頑張っている。私も頑張らなくては・・・・」と励まされたりします。

 昨年の秋のフルマラソンの時も、某ランニングクラブのFさんが盲人ランナーの伴走をしていて、ちょうどいいペースで走っておられたので前半いっしょに走らせていただきました。

 その時、伴走者であるFさんの気配りにも感心させられたのですが、それにも増してハンデイキャップをもっていながらそれを苦にせず前向きに生きている姿に感動を覚えたものでした。

 目が見えなくてもいくらでも走れるんだし、同じ喜びを共有できるということは素晴らしいことだと思いますが、こういう事故があったりすると世間の目が冷たいと言うのも無理はないですね。

 ノーマライゼーションと叫ばれてから随分経ちますが、まだまだ障害者に対する偏見があるんですね。もっともっと障害者に対して気配りのできる世の中になってほしいと願ってやみません。

(01年5月6日着信)
<地元の20歳代後半の女性の方より>

 新聞記事も見ました。HPも読ませていただきました。走る仲間として心が痛む事故でした。
 腹立たしい限りですが、視覚障害だから仕方なかったのかも...、という勘違いをしている人は多数いるでしょうね。

(01年5月6日着信)
<北陸地方の30歳代前半の女性の方より>

 私の仲間にも盲人の方がいらっしゃいます。ランナーにも、針の先生にも(県立盲学校の先生です)。

 ハンデを感じさせないバイタリティー、陽気な性格、尊敬して余りあるすばらしい方ばかり・・・。

 偏見・・・本当なら残念でなりません。日本の世間とはそんなに心の狭いものなのなのでしょうか

 なくなられた御夫婦には心からご冥福をお祈りします。

(01年5月6日着信)
  
<地元の20歳代後半の男性の方より>

 新聞記事を見て最初は私も悲しみや怒りを感じました。

 しかし暫くして思ったのは、「自分も気をつけないといけない」という思いでした。普段はランナーとして生活していますが、ごく稀に車を運転する事もあります。言わば「いつ加害者側にまわってもおかしくない立場になる事もある」そう思いました。
 
 GW中にも事故の場面に二度遭遇した為、気をつけないといけないと思っています。

(01年5月6日着信)
<東海地方の30歳代前半の女性の方より>

 12月の青島太平洋マラソン(宮崎)の大会、とてもすばらしいいい大会でした。
私にとって本当に意味ある大会でした。

 盲人の部があるのでそのレースにエントリーされていた方と羽田からずっと一緒になりお話を伺いました。
 涙が出てきました。お話を伺うまで知らな過ぎました。
 でも、いろいろな苦労をさりげなく話される姿に逆にエネルギーを頂きました。もちろん伴走のかたにもとても感動しました。

 ランナーでもあり、ヘルパーとして多くの方との接点があるOさん(=わたしのこと)はっともっといろんなお話を伺っているんでしょうね。

(01年5月7日着信)
 <北陸地方の20歳代後半の男性の方より>

 ぼくも3年間、障害者の施設で働いていたので、社会の偏見をたくさん実感させられたことも多いです。しかし多くの人からいろんな協力や理解もしてもらうこともありました。

 障害を持つ人とかかわるということは本当にいい経験になりますし、多くのことを教えられます。そして自分も頑張らなきゃ、という勇気も与えられます。

 ぼくはいま実家のほうで、障害者福祉のアルバイトやボランティアをしたり、週に3回定期的に老人保健施設へ整体をしに行ってます。おじいちゃん、おばあちゃんの「ありがとう」の言葉がぼくにエネルギーを与えてくれますね。

(01年5月8日着信)

≪追記≫
この方は、その後、「整体院」を開業されました〜 「健友館フジマキ整体院」
 <地元の50歳代半ばの男性の方より>

 事故についてはすごくショックだし、残念でたまりません。
詳しい状況は知らないのですが、晴眼者であっても避けられないその場ではどうしようも無い事故だったのでは無いのですか?

 いずれにしても、歩道の整備や車止めの改善など、車社会を見直して人間にやさしい、本当に人間のためになる社会にすべきだと思います。

 Mさんの偏見に対する憤りは、わかります。

 偏見を持つ人はほんの一部の人で大部分の人は偏見を持っていないと思います。
小さい偏見は思ったより多くて、小さいことが大きい弊害を生んでいるのかも知れません。そうだとしたら、私たち一人一人がもっと理解して、理解を広めなければならないのでしょうね。

(01年5月8日着信)
<地元の30歳代半ばの女性の方より>

なくなったご夫婦は私の知人でした。
明るい奥さんと物静かなご主人。ホント素敵なご夫婦でした。
正に夫唱婦随(婦唱夫随のときもあったけど・・?)

目の不自由な方は、耳がとても良くて、私の声も一度で覚えてくれました。
最初に「この子がFちゃんよ。」と共通の知人から紹介されたんですが、次からは「Mさぁ〜ん」と声をかけるとすぐに「あ〜Fちゃん!」って・・・すごいでしょう!

私は、M夫妻と会うたびに”元気”をもらっていました。
だから、今回のことは、かなりショックでした。
生まれて初めて新聞を読んで、涙がでました。

ただ、こういうことは思ってはいけないことかもしれませんが、ある意味ふたり一緒で良かったかと・・・

それじゃあ Mさんのファイトに負けないよう私もがんばろう〜っと!!

(01年5月9日着信)
<海峡を超えて四国から、20歳代前半の女性の方より>

 交通事故の記事、拝見しました。何と言っていいのか分からないのですが、すごく悲しいことですね。

 きっと身近な人や自分が経験してみないと分からないことってたくさんあると思うんです。知らず知らずに自分も人を傷つけていたりする事があるんじゃないかなと・・・。

(01年5月11日着信)
<視覚障害ランナーの伴走を務めておられる30歳代半ばの男性の方より>

本当に、悲しい出来事でした。
あの事故の10日ほど前、大阪駅近くの歩道で見かけたのですが、道路の反対側で声をかけるのも危ないので、そのままお話していないんです。

なんだか寂しい思いですが、憎しみはありません。憎んでも仕方がないです。
でも、今後どうしていくかを考えるいい機会になったと思っています。

二人の事故は、さくら道(名古屋〜金沢間270kmマラソン)への会場へ行く道中で知り、お通夜にも行けませんでした。

伴走は私たちにとって切っても切れないものになっていますから、夜の伴走、とくに一般道を走る際の気の付け方など、考えることがいっぱいです。

(後略)

(01年6月12日着信)






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