ほんね

1:これがゴンタの生きる道 01/3/10
2:お金。 00/2/18
3:病気になって苦しかったこと 01/2/6
4:嫌いなものは嫌い。 00/9/5
5:受験制度に思うこと 00/2/24
6:愛ゆえに… 04/5/25
7:一期一会 04/6/5
8:同情 04/10/30

1.これがゴンタの生きる道

 何のために生きているのかなんて僕には全然解からないです。たぶん人生に目的なんてないのでしょう。あえて言えば遺伝子を残すこと??それだけでは虚しいということで、人はあーだこーだカッコいい目的をでっちあげたりします。でも、僕は他人から尊敬されるような立派な人生の目的を持とうとは思わなくなりました。生きているときは不遇だったが死んでから功績が認められた偉人さんもいるが、僕はそんな生き方は絶対したくないです。どんなに歴史に刻まれるようなすばらしい功績を残したって、出世して名誉を得たって、財産を築いたって、自分が人生を楽しめなければ大した意味はないんじゃないかな。 ただ、感動的な経験をなるべく多くしたい、「今、自分は幸せだ」と思える時間をなるべく長くしたい。そして、その感動や幸せを大切な人々と共有したいと思うのです。

 これまでの僕にとっては、目の前にあるやるべき事を一つ一つこなしていくことが人生であり、そのことに何も疑問も持ちませんでした。しかし、死を強く意識するという経験をしたせいか、自分がやりたいことをやって納得できる人生を送りたい、そうしないと死に際に後悔することになる、という気持ちが強くなりました。どこで読んだか忘れてしまいましたが、僕らは「絶対落ちる飛行機」に乗ってるようなもんです。遠慮してないで、自分の望むフライトを楽しみたいですよね。

2.お金。

 まだ収入のない僕が言うのは大変恐縮ですが、「安くても価値がないものは買わない、高くても価値があるものは買う。」のが理想です。言い換えれば量より質。この方針で行けばゴミが減るし、部屋の中がスッキリするでしょう。エコノミーじゃないけどエコロジー!

 あと、日本人は将来のことを考えて貯蓄ばっかりしてるけど、使うべきお金は使うべきだということ。お金を持ってることによる安心感もあるかもしれないけど、一度しかない人生、自分への投資(それは勉強だったり、趣味だったり、ファッションだったり…)は惜しむべきではないでしょう。それに使える時に使っておかないと、もしかしたら明日死ぬかもしれないでしょう、もったいないっ。

 なんか自分はお金持ちにはなれない気がしてきました。

3.病気になって苦しかったこと

 これまでの闘病生活にはいろいろな苦しみがありました。

 でも、白血病細胞自体に苦しめられた印象はないのです。その治療のための西洋医学、もちろん絶対的に必要だったのですが、こいつが結構いじわるなんですね。最たるものが2年続けたインターフェロンの自己注射です。熱が出てだるい!食欲も減退する!そりゃテンションも下がる!おまけに自分で自分に注射しなけりゃならないストレスもありました。それに検査もつらかったです。骨髄穿刺(マルク)は何度受けても怖くて痛くていやなもんです。大腸内視鏡検査、気管支鏡検査もつらかったなああ。これからの医学は病気を治すことと並行して、治療や検査に伴う苦痛を減らすことをもっと考えていかないといけないでしょう。

 それから、病気の苦しみとしては「死への恐怖」というのがありました。まだ若造の僕は、強い生への執着をもってます。死んだら何もかもおしまいだと思ってます。だから死への恐怖は強かったです。一方、最近は日常に追われ、死を意識することがほとんどないです。たまには死を意識したほうが毎日を大切に生きられるような気はするのですが。

 そして、実はつらかったことは、この病気を隠しつづけて健康人のふりをすることでした。「僕、白血病なんだ。」なんて言おうものなら、夏目雅子さんとかアンディー・フグさんとかを思い浮かべて、「可哀相だな。」とか「大変だな、がんばれよ。」って同情される確率はかなり高いでしょう。知らないところで酒の肴にされるかもしれないでしょう。だから僕は長い間、病名は誰にも言いませんでした。でも本当は言ってしまいたい気持ちもありました、「ほんとはしんどいんだ!」と。特にインターフェロンを使っているときはそうでした。

 もう隠し事はしたくないと思うようになりました。信頼できると思った人にはオープンに話すようになりました。でも、大学に復学してから新しく知り合いになった人に「何の病気だったの?」と聞かれることがあるけど、あまりにさらっと聞かれると戸惑ってしまい、そのときは「有名な病気だよ。」とごまかしちゃってます。

 大学入試の時も、面接では絶対に自分の病気のことは言いませんでした。不利になると思ったからです。病気持ちで就職活動している人はたくさんいるでしょうが、みんな苦労しているだろうと想像します。(自分はこれからそうなるのですが…。)病人が最大限にパフォーマンスを発揮するには職場の理解が必要であることは確かなのに、採用してもらいたい気持ちが強いと隠そうという考えが浮かんでしまいます。

 「○○の仕事は体力勝負だぞ。」という言葉をよく聞きますよね。大抵の仕事で使われているような気がしますが、無神経に言わないでほしいっ!こういうことを言う人は体力はあるかもしれないけど、ちょっと想像力に欠けると思います。体力のない人が能力を発揮できない職場の体制のほうがむしろ問題でしょう。

4.嫌いなものは嫌い。

 僕は自他共に認める嫌煙家です。その立場から発言します。

 百歩譲ってタバコにリラックス効果(?)があり「かっこいい」としても、メリットの数倍のデメリットがあるのは明らかでしょう。 タバコ中毒の皆さん、吸いたければどうぞ勝手に吸ってください。でも、煙を吸いたくない人だってたくさんいるんだから、場所をわきまえましょう。特にレストランなどの食事の場で吸うのはやめてください。 勝手に吸って、とは言ったけど、喫煙は確信犯的に医療費を引き上げる行為です。だから、それに見合った税金を払うべきであって、税収が落ちない程度にもっとタバコ税を引き上げてもよいと思います。

 医師にもタバコを吸う人がいるけど、そういう人はちょっと信頼できません。タバコの害について十分の知識があるにもかかわらず合理的な判断を下せない人に命を預けたいとは思いません。「え、あの先生も吸うのか…。」とがっかりしたことが何度もあります。

 ニコチンには精神依存性と耐性(初期の効果を期待するために増量が必要となること)があり、ほとんど麻薬に近いんですよね。「個人の嗜好だから口出しするべきではない」なんて言葉は麻薬には使わないのに、なぜかタバコには使われるって、なんかおかしくないですか?

 ニコチン中毒になってしまってやめたくてもやめられなくなっている人たちは、本当に気の毒です。ニコチンパッチがいいらしいので医師に相談してください。

 

 お酒に関しては、弱いのであまり量的には飲めませんけど嫌いじゃないです。ただ、酒の強要は嫌いだし、されたら確実にムカつきます。きっと顔にでてますね。特にイッキ飲みの強要は最悪です!イッキ飲み自体は大して楽しいことではないけれど、それしか盛り上げる手段がみつからないからやってますよね。時に人の命を奪うことすらあります。大学では(社会でも?)未だにこれが横行しているから、入学後はかなり憂鬱になりました。大学入学まもない一時期ある部活に所属していましたが、ヤな感じの飲み会が多かったのでやめたりもしました。
 お酒は自分のペースで飲みたいと思っている人って案外多いんじゃないかな。

・・・イッキ飲みについて詳しく書かれたページ。

 あと、こんなことを言うと笑われるかもしれないけど、嫌いなこととはちょっと違うのですが、実はやりたくないことの一つに動物実験があります。ただし、医学の発展には絶対に欠かせないとは思っています。自らの生存のために他の種を殺すことは、ごく自然に行われていますね。ベジタリアンでもない限り、僕たちは動物を間接的に殺しています。

 だけど、結局人間は感情に支配される動物なんです。どうも可哀相に思ってしまう。とても精神的に苦痛だから自分はすすんでやりたいとは思いません。他の誰かにおまかせします。魚やカエルならまだやれそうだけど、高等動物はちょっと。イヌなんてもってのほかです。なぜなら、我が家で飼ってたイヌのゴンタくんは実験犬としてよく使われるビーグル犬なんです!僕が実験でビーグル犬を殺すなんてとてもできそうにありません。わざわざ強烈なストレスを背負ってまで医学の発展に尽くそうという崇高な精神は残念ながら持ってません。研究するんだったら、試験管内実験(in vitro)や臨床研究をやりたいと思っています。大学の研究室で取り組んだ実験ではDNAとか培養した細胞を使ったので、問題はありませんでした(ホッ)。

5.受験制度に思うこと。

 中学校の内申書というのは最悪だと中学生のころから思っています。だいたい、なんで全ての科目でいい成績をとらないといけないんでしょうか。あんまりオールマイティーを求めないでください、と学校の先生たちに言いたい!誰にも得意不得意はあります。例えば、野球で20勝するようなピッチャーに「もっと盗塁しろ!」と要求しませんよね。それに、内申書制度があると普段のテストが大事だから、日常的に受験状態になってきます。予備校の校訓に「日々是決戦」ってあったけど、中学生にそれを求めるのはいかがなものでしょうか。また、先生の機嫌取りも大事になってきて人の顔ばかり伺う根性が身についてしまいそうです。

 試験において大事なのは、客観性や公平性だと思います。内申書には先生の主観が入るし、学校間の格差という無視できない問題があります。後者がある時点で使えないこと決定のはずですが。

 そういう意味では面接も慎重にやらないといけないでしょう。面接にもかなり面接官の主観が入ります。あまりにコミュニケーションがとれない人とか、危険な思想を持っている人を排除するぐらいの消極的役割しか果たせないと思います。面接の数分間でひとりの人を理解することなど不可能ですし、「ワタシはできる」と言う面接官がいるとすれば、その人こそ思い上がりの激しい問題人物だと思われます。

6.愛ゆえに…

 「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!」

 この言葉、若い男性の方なら知ってるかもしれません。漫画「北斗の拳」の中でサウザーという敵キャラが発した言葉です。夕方のテレビの再放送でこの言葉を耳にしたのは小学生の頃だったと思いますが、とても強烈な印象として今でも心に焼き付いています。まさに僕にとっての名言といえます。

 この言葉は確かに真実を表していると思います。

 大切な人を失う。それは死別かもしれないし、恋の終わりかもしれない。そのときの苦しみ・悲しみは愛に比例して深くなるということは、誰しも経験的に知っているでしょう。

 サウザーはこの悲しみに耐えられず愛を捨てた人物として描かれていました。でも、愛ゆえの苦しみや悲しみは人間にとって必要なものなんでしょうね。それを乗り越えることによって、強さや優しさを学んでいくのだと思います。

 今後の人生の中で、僕はおそらく何度もこの言葉を思い出すでしょう。愛のない人生を送りたくはないですから(笑)。

7.一期一会

 一期一会:(茶の湯で)すべての客を、一生に一度しか出会いの無いものとして、悔いの無いようにもてなせ、という教え。(新明解国語辞典)

 僕はこの言葉が好きですが、より心に響くようになったのは、臨床実習として1ヶ月毎に違う診療科を回り、たくさんの患者さんと接するようになってからです。近年の臨床実習は従来と違い、ただの見学ではなく、実際に患者さんを担当し、毎日診察をし、カルテも書くという形に変わってきました。

 患者さんとやっと慣れて打ち解けてきた頃にその科の実習は終了となります。受け持った患者さんとは、将来自分がその科を選び、その地域の病院で働くとなれば、再会する可能性もあるのですが、一生会わない可能性も十分あるわけですよね。そう思うと、実習最終日は少し寂しい気持ちになります。

 一方、仕方のないことですが、なかには相性がどうしてもよくない患者さんもいて、そういう場合は最終日には解放感を覚えます(笑)。

 これからも数え切れない出会いと別れがあると思うと、ちょっと不安でもあり、楽しみでもあります。一人一人と悔いの無いよう接していきたいと思います。

8.同情

 日本人の若者がイラクに行き、自衛隊の撤退を求める武装集団に拉致され、数日後の今日、本人らしき遺体が見つかったようです。このニュースに対して、「彼はなんて愚かなんだ。」とか「自業自得だから、同情できない。」という論調がマスコミや国民の間にあるように感じられます。町村外相は事件発覚後まもなくの時期に「なぜそういう旅行をしたのか理解に苦しむ」と彼を非難する発言をしています。僕の友人たちも「彼の親には同情するが、彼には同情できない」と言っていました。

 僕も彼の行動は無謀すぎると思います。しかし、彼には同情します。理由は単純です。彼の行動は確かに愚かだけど、死に値するほど愚かだとは思えないからです。そして、彼の親族には心から同情します。息子が拉致され殺害されただけでもものすごくつらいのに、さらに息子が国民から非難の声を浴びせられる。想像を絶するストレスだと思います。町村外相は自分が政治家であり、その発言が重みを持つことを自覚しているのでしょうか。自覚しているのだったら、あんな無神経な発言はしないでしょうね。(そういえば、この人は沖縄の米軍ヘリが落ちた現場でもオバカな発言をつい先日したばかりでした。)