発病から移植まで

中2('92)  学校の血液検査でWBC(白血球)9000。K病院小児科でマルク(骨髄穿刺)するも診断つかず。(異常なし?)小児科だよ、あの頃僕は若かった。
中3('93)  再び学校の血液検査でWBC15000。しばらく親に言わなかった。
 夏休み、K病院内科に1週間検査入院した。マルクの結果、慢性骨髄性白血病(CML)と診断される。
 その後、大学病院に転院するまでの数年間、僕に告知はされなかった。が、医師や親のコソコソした様子や骨髄移植関係の書類から、CMLであることは早いうちに確信していた。ただ最初のうちは、なるべく考えないようにしてこの現実から目をそらそうとしていた。ドナーはこの時点では見つからなかったようだ。この頃から医者を目指そうと思うようになった。それは、病気を知ることで病気に勝てるんじゃないか、という根拠も何もない理由からだった。
高1  WBCが70000まで増加、秋からハイドレアの服用開始。もっと早く飲み始めてもよかったのに、と今となっては思う。特に自覚症状はなかった。
高3('96)  10月からインターフェロン(イントロンA)の自己注射開始。数ヶ月すると髪の毛がゴッソリ抜けた。カツラを購入して装着した。学校に行きたくなかった。受験も重なり、精神的に一番つらい時期だった。過去に戻れるなら、高校の卒業式をもう一度、健康体でやり直したい。
浪人  インターフェロンを続けながら予備校で受験勉強。週2回に減量したため髪の毛は復活した。でも、この頃は癖毛になっていた。インターフェロンを注射した翌日は熱が出て、だるかった。
大1('98)  入学した大学の附属病院に転院する。インターフェロンはよく効いている。染色体検査では20細胞中、Ph1染色体陽性細胞はゼロだった。このまま移植せずに済めばいいなあ、インターフェロンもいつか止められたらいいのにな、と思っていた。
 10月、両足の中指にひどい潰瘍ができてインターフェロンを1ヶ月間中止。不思議なことに、癖毛が元に戻った。
 突然99年2月、急性転化(リンパ性)。特に自覚症状はなかった。1ヶ月半入院してVP療法(ビンクリスチン&プレドニン)、第2慢性期へ再導入できた。この頃、バンクに登録して骨髄移植の準備を始める。
大2('99)  再びインターフェロン週2回。春、腰に原因不明の激痛が走り、MRIで検査する。
 8月、2度目の急性転化、再びVP療法を試みるが効かない!入院してマルクをした結果、今度は骨髄性の急性転化とわかる。WBC最高40000まで増加する。
 移植病院は、大学病院のベッドの空き状況や家族の通いやすさなどから、出身県で移植件数の多いMe病院ですることに決まっていた。9月Me病院に転院。右鎖骨下静脈に中心静脈カテーテルを挿入し、ダウノマイシン&キロサイドで白血病細胞(急性転化クローン)を減らす治療をする。このころは歯茎にまで白血病細胞が浸潤して痛かった。
 そして、翌月骨髄移植がなされた。