職場名人

Hitoshi Takano APR/2005

 2005年4月2日(土)、私の職場における競技かるたの大会をおこなった。通称を「職員名人戦」と いう。
 我が職場も今年度より週休2日制が始まり、その最初の土曜日の休みに、記念すべき第1回を開催した。 平成17年度になってしまったが、一応、平成16年度扱いとし、平成17年度からは、練習時間を確保 しやすい夏が終わったあとの、秋(9月か10月)に定期的に開催する予定である。
 私の職場で、慶應かるた会の出身者は4名いる。今でも、現役でとっているのは2名ということで、今回 は予選なしで、選抜2名による3番勝負ということになった。
 現役の学生諸君の協力のもと、記録もついて、審判もついての豪勢な大会になった。勝利の美酒を 飲めるようにと、トロフィーではなく優勝カップも用意した。(予算の関係で、持ち回りにするが…)
 なかなかに本格的な大会になった。
 そもそも、新卒で勤務し始めて丸22年の私が、勤続3年の後輩と語り合って、何故こんなこと を始めようと考えたか。
 ひとことで言って、競技かるたへの取り組む新たなきっかけが欲しかったからだ。
 就職しても、現役の練習に顔を出し、それなりに各地の大会へも行っていたころは、全日協公認の 大会に出ることが、競技かるたに取り組む、ひとつの動機付けになっていた。しかし、30歳の声を 聞くのと期を同じくして結婚し、家庭も持った。日曜日には、通っているキリスト教会の中で、様々 な役割を担うようにもなった。仕事も、それなりの責任が増してきて、忙しくなってきた。そうする と練習のために時間を作り出すのも難しくなる。練習も充分でないのに試合に出るのは、自分として な納得がいかない。試合に出ることを目標にすれば、少しは無理をしてでも練習に行こうという気に もなるのだが、疲労を抱えて練習にいって、ぎっくり腰などになると、いろいろな面に悪影響がでて しまう。実際、個人戦ではなく、神奈川県の団体戦に現役諸君とチームを組んで出させてもらったこ とが励みになり、これを一つの動機付けとして練習に臨んでいたことがあったが、これでぎっくり腰 をやってしまったのだ。
 そこで考えた。全日協の公認大会は事前登録があり、当日のキャンセルは迷惑をかけることになり、 日程も決まっており、急な用事への対応も難しい。業務の繁忙期とも重なる。神奈川の団体戦も時期 が悪い。何か目標となる試合を考えるなら、いろいろ融通のきく大会を自分たちで身近に企画すれば よいということになったわけだ。
 優勝カップを用意し、「職員名人戦」とおこがましくも「名人」という名前をつけたのも、仲間内 の企画ではあっても、本気度を高めるための工夫である。
 我々の職場であれば、8月には練習時間がわりと豊富にとれるので、8月練習で9月本番、もしく は8月・9月練習で10月始めくらいに本番というのが、都合がよい。本来ならば、これでいきたかっ たのだが、平成16年度は、個人的には12月に引っ越しなどもあり、準備が遅れてしまい第1回だけ、 いわゆる業務繁忙期の状態の中での開催になってしまった。
 1月から3月にかけて、忙しいながらも練習時間を作ろうと考えていたのだが、休みの予定も会議の 都合でつぶれて、ついぞ、かるたをとるのは昨年8月以来という状態で、試合に臨まざるをえなかった。 一方、対戦相手は2月に引っ越しや、3月に海外出張があってそれなりに忙しそうだが、私よりは練習 に顔をだせている状況だった。
 個人的には、正直、経験値と過去の実績で私が上回るものの、最近の練習量と若さと体力の点では相手 方が上回り、ほぼ互角の勝負と見ていた。そして、相手のかるたの特徴から考えて、キイワードは「勢い」 だと思っていた。「勢い」に乗せたら、相手の勝利。いかに相手を「勢い」に乗せないか。相手の「勢い」 をそらせれば、勝機があると踏んでいた。それには、「落ち着き」と「我慢」を実践できるかが鍵だった。 2〜3枚差で勝つつもりで、後半追い上げられるのは仕方ない。そのためには中盤終了までには、5枚差 はリードしてないときついかなと考えていた。そして、相手を勢いづかせないためには、お手つきをしな いこともポイントだと思っていた。

 午前10時30分、札を並べ始める指示が出て、第1試合が始まった。暗記時間終了後、最初は、相手 の連取からスタートした。あせってはいけない。不思議と冷静だった。相手がお手つきをするという確信 がわいてきて、その相手のお手つきにも助けられた。中盤が終わる頃には、勝ちパターンと考えた予測通 り5枚程度のリードがあり、追い上げらても2枚差で勝てればいいと気持ちに余裕がもてた。終盤相手に 取られても仕方ないと思っていた自陣左下段「ゆう」を拾うことができ、有利に展開することができた。 最後の「おと」も出ると感じた勝負感が見事に的中し、敵陣を抜いて6枚差で勝利を納めることができた。
 昼休みをはさんで、午後の第2試合は1時から札を並べはじめた。1試合目をとったのは、気持ち的に 大きかった。しかし、約20歳の年齢差と体力差を考えたとき、2試合めの負け方にもよるが、3試合め になったら、3試合目は相手が相当に有利と考えていた。ここで決めるしか初代職場名人へのチャンスは ないという気持ちはあったが、気負いはなかった。なぜなら、こちら以上に相手がこれを落としたら最後 と3試合目に余力を残さないような取りをしてきたので、かえって落ち着けることができたからだ。
 3試合目は、相手もこれなら相当疲れている。しかも、今度は昼休みがない。若いといっても回復に時 間がかかりそうだし、なにより2試合目の暗記が残ってしまうのではないかと感じたのだ。
 序盤は私が5〜6枚リードしたのを中盤、相手が追い上げ、10枚前後で追いつかれた。この追い上げ の勢いと集中力がすごかった。私が気にしていた「勢い」だ。この勢いが余ってお手つきをするはずだと 思っていたのだが、してくれない。2試合目で決めたい。しかし、この試合はとられるかもしれない。そ うだとしても、3試合めにつなげるためには、せめて僅差にしておかないといけない。お手つきは禁物。 そう自分に言い聞かせていた。シーソーゲームの中、しかし、私はお手つきをしてしまった。敵陣に送っ ていた「わすれ」を自陣に置いてあった場所を払ってしまったのだ。集中力が一瞬切れた時に詠まれて しまった感じで、それ以外のときであれば、あんなに魅入られたようにお手つきはしなかっただろう。
 たしかに、このセミダブで、相手は勢いにのった。左下段同士の対角線「みかき」「みかの」はこちら が出てとられた。攻めた私も「畳」にふれたため、相手から「触りましたか」と聞かれてしまった。たし かに、相手に「勢い」があった。
 相手は、1枚、こちらは3枚。問題の「みかき」を相手は残した。敵陣が出ると予測するならば、3枚 をわけて置き、攻撃陣形をつくるのだが、このとき、3枚詠まれる内に「みかき」が、出るかもしれない と漠然と思った。しかし、1枚か2枚は自陣が出るのではないかという気もしていた。右下段に3枚並べ て守ることにした。「わすれ」のお手つきは自分の責任で、これが敗因とわかっているから、相手が出て も仕方がない。不思議と落ち着いていた。手前から「はるす」「よを」「ありま」だった。まずは一番外 側の「ありま」。守っているわりには、遅めに一枚だけ払った。この一枚を攻めに来なかった自分を試合 後、相手は悔やんでいた。そして「よを」が出て、ラストは「はるす」。この2枚を、きっちり守って運 命戦にて勝利を納めた。「みかき」は100枚目だった。

 初代の職員名人を名乗れることになったのは、非常に嬉しいし、競技かるたに取り組む動機付けたりう る試合になったことを実感できたこともよかった。
 試合内容も、迫熱していて、ギャラリーである現役にもいい試合を見せることができたこともうれしか った。
 そして、もう一つ大きな収穫があった。それは、番勝負を体験できたことだ。同じ相手と同じ日に三番 勝負をおこない、先に2勝したほうが勝つというスタイルは、名人戦・クイーン戦の挑戦者決定戦とクイーン戦でおこ なわれているものだ。(名人戦は五番勝負)
 そういう機会にとんと縁のない選手としては、貴重な体験だった。団体戦が、単に個人戦5組の集合試 合でないように、番勝負も、同じ人との対戦を単に同じ日に続けてやるのとは違うということが実感でき た。
 番勝負という大きな一勝負という括りで考えて、一試合ごとに作戦や戦略があるということを実感した のだ。NHKの衛星放送で見ながら、頭では1試合目はこっちがとったから、2試合目の心理はどうこうと 勝手に評論していたが、自分でやってみると、より実体験として、番勝負の奥深さや面白さがみえてく る。
 名人戦やクイーン戦に出たいと願う人は、もちろん、タイトル戦をより深く面白く観戦したいという 人は、ぜひ、日頃の練習の中で、機会を設けておこなうといいと思う。
 職場名人戦でもいいし、同一誕生日対決でもいいし、優勝カップやトロフィー、賞品、賞状などの 気分を盛り上げる用意をして、おこなうと真剣さがましていいと思う。体験的にぜひおすすめしたい。
 最後に、職員名人戦の手伝いをして、詠みや記録、審判などをしてくれた上に、賞状まで用意して くれた現役諸君にこの場を借りて御礼申し上げたい。

 また、秋もよろしくお願いします。


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