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関西大学 商学部 

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高柳会計人会

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高柳会計人会は関西大学商学部 高柳ゼミ卒業生等を中心に会計・経理・税務等に従事する職業人が会員となり年1回例会を開催し会員相互の研修と親睦を図っております。

弔 辞

 謹んで高柳龍芳先生の御霊前に申し上げます。

 いまはもはや先生のやさしいお顔を見ることも、お声を聞くこともできなくなったことは、私どもにとりましてまことに悲痛きわまりないことと打ちひしがれております。七十二歳というお年も、長寿社会といわれる現在ではあまりにも早すぎたご逝去といわざるを得ません。

 先生は、昭和三十七年に関西大学に着任され、以来三十七年間の永きにわたり関西大学で教鞭をお取りいただきました。この間、先生は、教育・研究の面においてはいうまでもなく、大学および学部の運営に関しても多大な貢献をされてこられました。とりわけ、全国的に学園紛争の嵐が吹き荒れていた頃に学生主任として学園紛争の収拾に第一線で大いに尽力されてこられました。また、昭和五十七年には関西大学商学部長、平成四年には関西大学大学院商学研究科長として、学部や大学院の充実に尽力されてこられました。

先生は、学部及び大学院で「監査論」をご担当になり、幾多の俊英を世に送り出されてこられました。ご専門のドイツ監査制度に関する長年の研究成果は、著書『監査報告書論』『ドイツ監査制度論』『決算監査士制度』等の多くの著書や論文として世に問われ、平成元年三月には関西大学より商学博士の学位を授与されておられます。

 また、先生は学外にあっては、吹田市の監査委員、税制審議会委員等として地元に貢献されるとともに、日本会計研究学会理事、日本監査研究学会理事など学会の要職を歴任され、さらには昭和五十九年から五年間公認会計士第二次試験委員としてご活躍になられました。

 先生のご生涯は、ご家族のために、会計学研究のために、関西大学のために、そして学生のために捧げられてきたと言って良いでしょう。また、先生は、スポーツを愛し、ロマンを求め、そしてつねに若々しい柔軟な発想をもって私どもを指導してくださいました。また常に私どもに元気を与えてくださる先生でもありました。

 先生のお見舞いに伺ったときにも、先生だけではなく奥様を初めとしてご家族皆様で先生の病気との闘いに挑んでおられる様子にただただ感動いたしました。お見舞いと激励のために伺ったのに、逆に私の方が激励してもらったような感じを抱いたことを思い出します。このようなご家族の様子を拝見し、私は、必ず先生の体調が戻るものと固く信じておりました。そして体調が良くなれば、以前のように先生の家にゼミの同窓生が集まり、おでんを食べながら語り合うことを夢見ておりました。しかし、先生の体調がついに戻ることなく、帰らぬ人となられたのは、まことに残念の極みであり、大きな財産を失ったという気持ちでありますが、先生からの教えを大きな心の財産として頑張っていきたいと思っております。静かな眠りにつかれたいまは、先生に、ただ、ありがとうございましたと述べるのが精一杯でございます。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

平成十三年五月十四日

            葬儀委員長         

 関西大学商学部教授 明神 信夫

お悔やみ(同窓生)  この欄に掲載ご希望の方は、その旨を明記して次までご連絡ください。

  連絡先 E-mail koyamacpa@pop21.odn.ne.jp

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 小山先輩こんにちわ。
高柳先生のお通夜の日に名刺をいただきました、三好ゆきひろです。

ほんとうなら、高柳先生とのお別れに、こちらからお手伝いを申し出るべきところを、こんなときに風邪をこじらせてしまい、お葬式に参ることさえもできず、とても残念です。

あの日、お通夜のあと、在学中に仲良くしてくださっていた一年、二年上の先輩方に、飲みに連れて行ってもらいました。名古屋からきた同輩、卒業後も大阪に滞在して公認会計士の試験勉強を続ける同輩も一緒でした。久しぶりの仲間との語らいは、なつかしく、楽しいものでした。

僕は、酒に弱くてほとんど飲むことができないので、普段、飲みに行くときは乾杯のビールを残したまま何か別のお酒を一杯だけ選んで飲みます。卒業式の日、高柳先生のお宅でゼミ生そろっておでんをいただきました。それまで僕は、日本酒などほとんど口にすることがなかったのに、高柳先生が用意してくださっていた「氷室酒」がうまくてしようがなくて、幹事だというのに顔を真っ赤にして帰ったのを覚えています。
思えば、日本酒をその日の一杯に選ぶようになったのは、そのころからのようなきがします。

自分の体の中のどこかに、高柳先生の「かけら」が入ってるんだなと思いました。

飲み会の後、また会おうねと、連絡先を互いに交換してわかれました。
こうして高柳先生を通じた、仲間と仲間のつながりをたいせつにしていくことが、いちばん高柳先生の供養になるのではないかな、と感じました。

またお便りします。

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昭和61年高柳ゼミ卒の桝本と申します。
 5月14日付の朝日新聞朝刊で訃報を知りました。

 ご逝去の知らせを受け、ただただ、驚いております。ご生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。
       

 

平成13年5月12日 高柳先生がご逝去されました。

先生のご冥福をお祈り申し上げます。

お知り合いの同窓生にもお知らせください。

 

 先生からいただいた寒中見舞い・・・アクロバットリーダーが必要です。

  

  謹んで寒中お見舞い申し上げます

 私のうちには  

 二年前より も一人の私が同棲しております 私の一部が変幻し 寄生しているのです

 ときおり 私をいたぶったり 悩ましたりしますので この邪魔者を何とか追い出したいものと 度々 退去勧告をなし 挑戦を続けてもみたのですが どっこい私に似ての頑固者 まるで侵略者の如く居すわって しりぞく気配はトンとございません

 とにもかくにも こやつは私の分身であります関係から しばらくは仲良く共生していこうと覚悟を決めております 裏腹とは申せ 相い共に今後ともよろしくお願い申し上げます

 『 こう痛うては 共生などとシャレてはおれぬ ガンよ 心して 呼吸せよ! 』

平成十三年 大寒

                                            高柳 龍芳    

     年の瀬を越すも越さぬもわが意志に 

              あらずと識るはつれなきものか

     ふたたびもみたびも命よみがへり

              いま あめつちの極みに立ちぬ

     計測できぬ 余命の数をなお数ふ 

              落陽は今日もうつくしかりけり

 

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先生の横顔-1 (関西大学教育後援会 2000)

1928年、産湯は坂東太郎、育ちは浪速。海兵、三高から京大経済学部。実務界を経た後、神戸大学大学院に戻り、監査理論の研究に携わる。「監査報告書論」・「決算監査士制度」はドイツ監査の検討を踏まえての、わが国監査制度への批判の書。その他、監修・共著「ヴィゾツキィ・監査一般論」を始め多くの著書があり、特に「監査論ノート」は、企業会計ばかりでなく公会計に至る広範囲な監査領域を網羅しての解説で好評。その人となりは、柔剛・清濁あわせ飲み、自由闊達にして天衣無縫。多感な青春時代はボート部の選手。剣道・拳法いずれも若き日に段位を保持。ゼミでの冬合宿では、昼は学生にスキーのコーチ、夜は飲酒の講義を尽くされた。興趣至れば遠き日の恋愛哀話・喧嘩談義に花を咲かせ、学生と共に剣を取るのを楽しみとされていた。学内では商学部長、大学院商学研究科長などを歴任、学会においては日本会計研究学会・日本監査研究学会の理事などを、また学外では吹田市監査委員・公認会計士第二次試験委員等を歴任。商学博士 99年度より名誉教授。

先生の横顔-2 「游士悠々」 (洪游会本部会誌 2000)

 古来、中国には「游士」と呼ばれる士がいたと言う。[史記]によれば游士とは、諸国を巡り歩いて游説する人を指して言った。所謂伝説上の吟遊詩人であったのかそれとも「游手(中国語の空手)」を使う士であったのかは今に明らかではない。

 私が洪游会初代会長中野 満先生を思い出す時 常に脳裏に浮かぶのはこの「游士」という言葉である。鷲尾君(現日本拳法会副会長)が かって先生を語るとき「鋭い眼光、鍛え上げられた身体、正義のためなら何者も恐れない強靱な信念」の人と評したけれどその反面 先生には悠々たる人情の厚みと飄々として私利を超絶した趣があり、この世に游び住むことのできた哲人でもあった。伝説の中に生きた游士にふさわしい人物像である。その物欲や名誉にこだわることのなっかた人品骨柄こそ実に多くの弟子たちの尊崇を集めたのである。今もなお 先生は神仙の世界にあって拳法の奥義を游々と説き歩いているに違いない。

 生前 満先生は「攻めるにあらず 護るにあらず 身を修めるにあり 一生用いざるものを一生探求するところに 拳の哲理あり」との訓えを遺された。先生のこの浪漫主義の高さに私は打たれる。洪游会道場が生誕して50年この遺訓は当道場に学ぶ拳士たちにとっての導燈となった。この道場に游びかつ鍛えられた拳士にしてこの遺訓の神髄を体現しその哲理を会得した者こそ游士と呼ばれるに相応しい。

 戦前 黒山麿塾頭が創立し洪火会が上六にあった。立派な道場を擁していたが戦争末期の大阪大空襲によって灰燼に帰してしまった。

 「洪火の洪とは 大きいという意味である。」洪火とはしたがって大きな炎を指している。いわば洪火会は「大きな志を抱く“もののふ”達を育成する道場」であった。思想的支柱となった黒山塾頭を中心に澤山宗海・中野 満等の武術家によて武芸百般にわたる研究と鍛錬が続けられた場所である。

 わが「日本拳法」はこの洪火会道場において編み出された武道である。その理論的技法を編み出し築き上げたのは澤山宗海宗家であるが完成させるまでの日本拳法の現在あるのは 宗家を取り巻く一団の武術家の血と汗の鍛錬の賜物でもあった。この群像の中で ひときは輝く才腕を発揮してその道統を継いだ第一人者こそ後年洪火会の檠燈を掲げて洪游会を創立した中野 満先生である。

 創立以来 50年の月日を経みするに至った。この道場が 国家の経済的崩壊という廃墟の中から呱々の産声を挙げたころ いまだ世間が日本拳法など知るよしもないなかで拳士たちを育て、洪游会道場が日本拳法界の中核的存在となるに至ったその功績は まず第一に満会長にこそ帰するべきである。としてもなお その一端を私の弟・弟子でもある次の二人の人物が担ってきたことは特筆に値する。それは中野 満会長の右腕となりまた左腕となって会長を支え若者達の実践的指導に没頭してくれた「青木 隆」・「岡本圭造」の両君でありこの二人は洪游会道場の「竜虎」と称しても許されてよい人物達である。

 一方の青木君は 上六にあった洪火会道場が戦災によって焼失してしまう前 そこで拳法の修練を積んだ最後の拳士である。戦後 洪游会創立にあたっていち早く馳せ参じて爾来「道場の竜」となる。他方の岡本君は 洪游会創立とともにこの道場の門を叩き 爾来雨の日も風の日も ひたすら鍛錬に没頭し 当道場における子飼いの天才拳士に育ち後進の育成に当たっても 力の限りを尽くして高い貢献をなした「道場の虎」である。

 縁あって 戦前に洪火会の塾生として学んで以来 洪游会創立の当初より道場に馳せ参じで若き日の情熱を燃焼し ひたすら拳法の道に励んだ喜びが 当道場に寄せるようになった私の愛着の原点である。今や洪游会道場の50周年を迎えることとなったその喜びは一入であるが 今後なお 洪游会がますます発展していくことを心より祈念して止まないものである。

最近の行事  (主催:高柳先生を囲む会)

 平成11年5月23日 高柳先生を囲む会 (退職記念パーティー) 関西大学100周年会館にて

 

先生のご挨拶

この度は私の古稀の集りにわざわざお越しいただき またはお志をお寄せいただきありがとうございました ご多忙の中 些々たる私事のためにお時間を割いていただき 心よりお礼申上げます

古稀を迎えますとともに三十七年間勤めた関西大学を退職することとなりました 退職後も 暫くは大学院の講義を担当することとなるでしょうが 定った職務からは解放されることとなりますので 今後は自由にわが道を歩むこととなるでしょう

顧みますれば 少年時代は 西洋の文明と激しく対立して戦争に明け暮れたわが国にあって 海軍に身を委ねることで わが命に自ら区切りを与える時代に生きました その後再びの生を受けて 戦後の時代は 銀行や会計専門家など実務界に身を置いて 何をなすべきか迷い続けた青春時代でありましたが 昭和三十七年に 関西大学という教育界にようやく職の安定をえて 諸君たちとの奇しき出会いを持つことができました

かって還暦を迎えるに当って諸兄姉は私のために祝宴を催してくれました その折りの感激はいまなお忘れがたく 私に与えられた余命を より一層 有意義に生き直せとの励ましと受け止めたことでした その後十年 激しかった学園紛争に続いて 絶え間のない学制改革の波に呑まれて揺れ続ける大学の生活でした

今日 古稀とともに退職を迎えるに当って ようやく本当の自由を獲得した心境でございます 光陰矢のごとしと申しますが 関西大学での生きようは まことに夢のようでございました 光陰は また百代の過客と申しますが 人生の僅かばかりの寸刻の学生時代であったにすぎない日々を 私の傍らを通り過ぎていった諸兄姉が 人生のおわりに近いこの時期に 再び参集し私のために祝宴を挙げてくださるという これほど教師冥利に尽きる思いをさせていただいたことに 感謝を込めて厚くお礼を申し上げます

世話役の方々の思いがけないご厚意に甘えさせていただきましたが お多忙にも関わりませずご出席賜りました諸君には ただただ深謝のみ 本当にありがとうございました

平成十一年五月二十三日

高 柳 龍 芳


大学を去るにあたり

古稀幻想

 

関西大学に奉職してより三十七年、私は貴重な宝を授かったと思っている。「一寸の光陰軽んずべからず」と教え子に説き続けてきた。その光陰を軽んじてきたのは教え子達ではなく、それは私だったのではないかと、今実感している。光陰は百代の過客である。教え子達は光の矢となって私を通過していった。過客にすぎないはずのその矢たちは、事あるごとに私の前に現れ、時に甘え、時に励ましを与えてくれるのである。
 「還暦」のときこの矢は束となって私が、再び生まれ変わり、生き続けることへの激励のために祝杯を挙げてくれたのである。私に対するこの矢たちの優しい眼差しに打たれて、危うくも、ジンと胸打つものが溢れてきて、最後の挨拶に立ち往生してしまったことを思い出す。再び、この春に「古稀」を祝って、矢たちが参集してくるという。その時には、今度こそ決して不覚の涙は見せないぞと、今から覚悟しているのである。

高 柳 龍 芳

 

高柳会計人会開催

平成11年11月20日 関西大学 千里山学舎にて開催  

      お元気になられた高柳先生

多数の会員のご参加のもと高柳先生ご夫妻を囲み、なごやかに開催されました。

先生の近況

先生は長かった闘病生活から無事復帰されました。先生のご健康を皆様とともにお祈りしたいと思います。

 

高柳 龍芳 先生の年賀状より

「正月は冥土の旅の一里塚」とか 

昨年は いささか体調不如意となり 半歳にわたっての治療入院 天国と地獄の

はざまに迷走を続け 暮れも 迫るころ ようやく娑婆に帰還してまいりました

「めでたくもあり めでたくもなし」とは申せ ふたたび迎える正月は まことに美しく 穏やかにて候

「初春はヤッパリ浮世の吟醸盃」

(平成12年元旦)

高柳ゼミ卒業生の皆様の名簿を管理いたしております。住所変更等がございましたら、下記連絡先までお知らせください。

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関西大学のHP http://www.kansai-u.ac.jp/

関大ナビ・・・関西大学関係のホームページ集 http://kansai.pekori.to/

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