No. 92
Titre
Maigret et l'affaire Nahour
邦題名
(直訳名)
メグレと賭博師の死
(メグレとナウール事件)
執筆記録
Rédaction
スイス、ヴォー県エパランジュにて
1966年2月8日完成
Epalinges, Vaud, Suisse; le 8 Fév. 1966
参照原本
Éditions
プレス・ド・ラ・シテ版 1987年6月刊
Presses de la cité; Juin, 1987
邦訳本 矢野浩三郎・訳、河出書房新社#34、1984年04月刊

(←)
プレス・ド・ラ・シテ版
1987年6月刊
Presses de la Cité
Juin, 1987

         (→)
   河出書房新社#34
     1984年04月刊

     


物語の季節
Saison
1月14日(金)の深夜、気温は零下12度。パリは珍しい大雪に見舞われている。
道路の除雪作業をするトラックから融雪のための塩が撒かれている。(La neige,
qui était en abondance les jours précédents; Chap.1er)
メグレは約30年間、パリの隅々まで知り尽くしていたが、この凍てつくような雪
の街の風景はめったになく、まったく別の世界に飛び込んだような感じがした。
(Paris semblait vide et il ne se souvenait de l'avoir comme ainsi, figé dans le
froid, que deux ou trois fois dans sa vie; Chap.1er)
雪は相変わらず灰色の空から降り続き、車も通行が困難で立ち往生したり、ノロ
ノロ運転だったりしている。家々の窓からは灯りが早くからともされている。
(Derrière presque toutes les fenêtres brûlaient des lampes électriques et la
neige tombait toujours d'un ciel gris ardoise; Chap.3)
メグレの状態 
Son état
大雪の後、道路が凍結していて、パルドン家から自宅への帰り道にメグレは滑
ってしたたかに転倒する。
刑事部屋では10人も風邪で寝込んでいるので仕事が混乱しないはずがない。
メグレ自身も風邪を引きそうな感じがしている。

事件の発端
Origine
定例行事となっていた夕食会を楽しく終えて帰宅し、就寝した真夜中にパルド
ン医師からの電話でメグレは起こされる。呼び出されて行ってみると、パルドン
は途方にくれた顔をしていた。急患だからといわれて若い婦人を診てみると背
中を銃で撃たれ、出血がひどいので応急的な止血と包帯をしたのだが、後始
末をしているうちに連れの男と一緒にスポーツカーで消えてしまったという。
メグレは雪の中、付近の分署を尋ねて車の情報などを確かめるがあまりはっ
きりしたことはわからない。重大事件が起きたという連絡もなかった。その足で
警視庁に行ってオルリー空港を当たってもらったところ、その赤いアルファロメ
オが駐車してあるのが見つかる。次の日、モンスーリ公園沿いの邸宅で殺人
事件が起きたという連絡が入り、現場に急行するが、被害者の男が持ってい
た銃で前夜のパルドンが手当をした若い女が撃たれたらしいことがわかる。

題名の意味
Ça veut dire
一見何の変哲もない殺人事件が捜査の進展に伴い、スキャンダラスな内容に
見られ、書き立てられることがある。この事件もその典型的な例であった。原題
の『ナウール事件』とは作中の新聞記事がつけた事件名である。
数学理論を駆使して賭博の賭け目を当てて稼いできたレバノン人ナウールが
殺されたのだが、その直前にそのオランダ人の妻が若い青年と駆け落ちするの
を引きとめようとして撃たれたこともわかった。それらの殺傷事件の裏には複雑
な愛憎の相関図があった、となれば新聞が騒がないわけはない。
この作品でも、若き日にジャーナリストとして活躍したシムノン自身を髣髴とさ
せる若造の新聞記者マキィユが出てきて取材に走り回り、記事を書き立てる。

ヴォルテールの
<忌まわしい微笑>
[Hideux sourire de
Voltaire ]
についての質問
と回答
「高校時代にメグレはヴォルテールの<忌まわしい微笑>のことを知ったが、こ
の偉大な人物の胸像を前にして若いメグレはこの表現には同感できなかった。
それ以来、彼は傲慢な、挑戦的な、あるいは陰険な微笑を多く目にしたが、こ
のとき初めて忌まわしい微笑という言葉を思い起こしたのだった。」
((c) G.Simenon : Maigret et l'affaire Nahour; Chap.7 )
18世紀の知識人の代表格であったヴォルテールは、その博識と痛烈な風刺・
批判精神ゆえに迫害も受け、外国で活動せざるを得ない境遇にも陥りました。
著作の内容に対する批判や論争も多く、またその魔法つかいのような容姿に
よる揶揄の対象でもあったようです。どこかで寝巻のズボンをはきかえている
風刺画を見たような記憶もあります。そこで捜査員の皆さんへのお願いは、彼
の「忌まわしい微笑」(Hideux sourire de Voltaire)の云われを調べてほしい、
と思っています。ただし懸賞金なしだったらダメかも・・・?

<松本氏からの回答>
毎度おなじみフローベール『紋切型辞典』の「ヴォルテール」には"Célèbre par
son "rictus " épouvantable." "rictus " だと嘲笑・冷笑・引きつり笑い。ジョ
ゼフ・ド・メーストル『ペテルブルグ夜話』(Les soirées de Saint-Petersbourg)
では、"ce rictus epouvantable courant d'une oreille à l'autre" と、耳まで口
をあけた恐ろしい笑いにされています。知らない本からこの箇所だけ拾うので
あやふやですが、「伯爵」の頭にあるのはウードンHoudon 作のヴォルテール
像。像の額、目、と悪口を並べて行ってこの「笑い」になる。
「嘲笑」イメージが定着する一方、ユゴーはヴォルテール没後百年の1878年に
「イエスは泣き、ヴォルテールは微笑んだ」と言います、「この神の涙と人間の
微笑みから現代の文明の優しさが生れた」Jesus a pleuré, Voltaire a souri ;
c'est de cette larme divine et de ce sourire humain qu'est faite la douceur
de la civilisation actuelle.
福音書の精神と「理性の微笑」は敵対しないということになる。

付記
(メグレ夫人手編
みの襟巻)
かなり前メグレ夫人が編んでくれた分厚い毛糸の襟巻は、なかなか機会がな
くて使っていなかったが、厳寒の真夜中に事件で呼び出されたのをいい機会
に、夫人から言われて巻いて出かけたのだったが・・・
(" Mets ta grosse écharpe. "Une écharpe de laine épaisse qu'elle lui avait
tricotée et qu'il n'avait presque jamais l'occasion de porter; Chap.1er)
事件が進展するのと平行してこの「手編みの襟巻」を巻いたり取ったりという
記述がとても頻繁に出てくる。

「自宅から殺人現場に向かうとき・・・首に巻く」
(Il enroulait la grosse écharpe autour de son cou, endossait son pardessus;
Chap.2)

「部屋の暑さでめまいがして・・・取る」
(Il retira son pardessus, son écharpe, car, après une nuit presque sans
sommeil, la chaleur lui montait à la tête et lui donnait le vertige; Chap.2)

「署にもどるので・・・首に巻く」
(Et Maigret s'entoura le cou de sa grosse écharpe, endossa son pardessus;
Chap.3)

「空港で待ちながらビールを一杯やって赤くなり」
(- - - et regrettait de s'être encombré --- de l'écharpe étouffante; chap.4)

「ホテルで分厚すぎる襟巻を取ることができてほっとする」
(Il se debarrassa de son pardessus, eut un soupir de soulagement en enlev-
ant son écharpe trop chaude; Chap.5)

「息苦しくてちくちくする襟巻をいやがって」
(Pestant contre l'écharpe tricotée qui l'engonçait et lui chatouillait le cou;
Chap.5)

各 章 の 表 題 と 場 所
Table de matière et les lieux cités
1 (なぜ医者を呼ばずに零下12度の街中に
けが人を引っ張り回したのか?)
(Pourquoi ne pas avoir appelé un docteur
au lieu de trimballer la blessée dans les
rues par douze degrés sous zéro?)
リシャール・ルノワール大通り boulevard Richard
Lenoir, 11e
シュマン・ヴェール街 rue du Chemin-Vert, 11e
ヴォルテール大通りboulevard Voltaire, 11e
レオン・ブルム広場 place Léon Blum, 11e
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
オルリー空港 aéroport d'Orly
2 (何も見ず、何も聞こえず、ナウール氏が銃
で撃たれたことを起こされるまで知らなかっ
たというんですか)
(Vous n'avez rien vu, rien entendu, et vous
ne vous attendiez pas à ce qu'on vous
réveille pour vous annoncer que M. Nahour
avait été abattu d'une balle.)
リシャール・ルノワール大通り boulevard Richard
Lenoir, 11e
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
モンスーリ公園通り avenue du Parc-Montsouris,
14e
3 (プロの賭博師なんて実際にいるのか?)
(Existe-t-il réellement des joueurs profess-
ionnels?)
モンスーリ公園通り avenue du Parc-Montsouris,
14e
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
リシャール・ルノワール大通り boulevard Richard
Lenoir, 11e
4 (この事件ではみんなが嘘をついているので
はないか?)
(Est-ce que, dans cette affaire, tout le
monde ne mentait pas?)
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
オルリー空港 aéroport d'Orly
モンスーリ公園通り avenue du Parc-Montsouris,
14e
5 (少女が間違えたり、嘘をつくことが大きな罪
悪だとは思っていないような微笑み)
(Sourire, toujours comme une petite fille
prise en faute et qui ne considère pas un
mensonge comme un gros pêché)
リヴォリ街 rue de Rivoli, 1er
リュクサンブール公園 jardin du Luxembourg, 6e
モンパルナス大通り boulevard Montparnasse, 14e
ノートル=ダム・デ・シャン街 rue de Notre-Dame-
des-champs, 6e
モンスーリ公園通り avenue du Parc-Montsouris,
14e
6 (チェスの勝負のような尋問、二人の男が注
意深く牽制したり応戦したりする)
(L'intérrogatoire comme une partie d'échecs,
chacun des deux hommes préparant avec
soin ses feintes et ses ripostes)
モンスーリ公園通りavenue du Parc-Montsouris,
14e
リヴォリ街rue de Rivoli, 1er
7 (彼女のそばにX氏と呼ぶ謎の人物の存在)
(La présence à ses côtés d'un personnage
mystérieux qu'on appelait monsieur X)
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
リシャール・ルノワール大通りboulevard Richard
Lenoir, 11e
8 (それは「ナウール事件」となった)
(C'était devenu "l'affaire Nahour")
モンスーリ公園通りavenue du Parc-Montsouris,
14e
オルフェーヴル河岸 quai des Orfèvres, 1er
最高裁通りboulevard du Palais, 1er
ドーフィヌ広場 place Dauphine, 1er
ヴォルテール大通りboulevard Voltaire, 11e

メグレ警視の事件に明記された店舗・施設(*印は実在のもの)
Les Bonnes Adresses reconnues du commissaire Maigret
ティユール・バー
Bar des Tilleuls
2階が会員制のクラブと称する賭博場になっている
サン=ミシェル大通り boulevard Saint-Michel, 6e
プチ・ベイルート
Petit Beyrouth
レバノン料理のレストラン。被害者の行きつけだった店
ベルナルダン街 rue des Bernardins, 5e
オテル・デュ・ルーヴル
Hôtel du Louvre *
伝統と格式のある一流ホテル
リヴォリ街 rue de Rivoli, 1er
マリニャン
Marignan
広い客席を持つレストラン
シャンゼリゼ通り avenue des Champs-Elysées, 8e
(カフェ)
(Café)
男を見張るのに便利な場所にあるカフェ
モンパルナス大通り boulevard Montparnasse, 14e
ブラッスリ・ドーフィヌ
Brasserie Dauphine
警視庁の刑事たちの溜まり場。メグレの昼食時の定席がある。
ドーフィヌ広場 place Dauphine, 1er

警察関係者の動向 Situation de collègues

リュカLucas : 事件当夜は夜勤でオルリー空港へ問い合わせる。被害者の夫人がオランダから戻るのをメグレと一緒に空港で待つ。その後夫人の宿泊するホテルで見張りをする。ソファにひっくり返って腹の上に手を組んで居眠りをする。

ジャンヴィエJanvier : 被害者の前夜の行動を確認するため賭博場とレストランの聞き込みに行く。

ラポワント Lapointe : 殺人事件の通報を受けて車でメグレと現場に赴く。英語ができるのでオランダ人の部屋係の女を尋問する。

トーランス Torrence : 殺人現場となった家の見張りの交代要員となる。ソファにすわって雑誌を読んで過ごす。

ムルスMoers : 殺人現場の検証をする。メグレから別の場所で見つかった弾丸を預かって現場に残された銃身と照合する。

マニクル Manicle : 14区警察の警視。メグレとは20年来の旧知の仲。小柄で口髭を生やしている。殺人現場に立ち会う。

ドゥマリー Demarie : 11区分署の巡査長。夜勤の時間つぶしに漫画を読んでいる。

ルーヴェル Louvelle : 11区分署の巡査。真夜中に現われたメグレにコーヒーを入れる。

マラテュー Marathieu : オルリー空港警察の署長代理の刑事。もったいぶった言い方の声はメグレの気に障り、名前が覚えられない。深夜のうえに雪で航空ダイヤが乱れているときに駐車場に赤いアルファロメオが駐まっているかどうか調べさせる。

ノワレ Noiret : これまでは地方の裁判所を回っていたが、定年間際にパリへ転勤となった検事。

カヨット Cayotte : まだ若い判事。事件に首を突っ込む前に2〜3日間自由に警察に動いてもらうやり方をする。愛煙家で19世紀の文豪の書斎のような執務室にいる。

ラウール・ラルドワ Raoul Lardois :メグレの同僚で警視庁の賭博班の警視。

バロン Baron : 英語ができるので被害者宅の見張りの交代要員となる。

ジェフ・クールマンスJef Keulemans : アムステルダム警察の警視。40歳代だが金髪と赤みがかった顔色で10歳は若く見える。メグレとは旧知の仲で捜査に協力する。

コリネ医師 Dr.Colinet : 司法解剖の担当医師。

パルドン医師 Dr. Pardon : メグレのもっとも親しい友人。夕食会のあと、やり残しの雑用をしていると奇妙な男女が傷の治療に訪れる。
事件にかかわる登場人物  Personnages dans l'affaire

フェリクス・ナウール Félix Nahour : 42歳、褐色の口髭を生やし、小柄でぽってり太ったレバノン人。若い頃から勉強はそっちのけで賭け事に熱中し、数学理論を駆使して賭博の目を予測して大儲けをするようになっていた。自宅で射殺されているのが見つかる。

リーナ・ナウール Lina (Evelina) Nahour : フェリクスの妻。アムステルダム生まれのオランダ人。透き通るような青い目をしていて、プラチナ色の淡い金髪。19歳のときドーヴィルで開催されたミス・ヨーロッパの美人コンテストに出場して優勝した。その際カジノでフェリクスと出会ったのが縁で結婚した。すでに子供を2人出産しているが、幼げな表情で人を魅了する。27歳。

ピエール・ナウール Pierre Nahour : フェリクスの5歳年上の兄。ジュネーヴで父親の銀行の子会社を経営。

モーリス・ナウール Maurice Nahour : フェリクスの父親。レバノンの首都ベイルートで輸出入業者相手の銀行を経営している。75歳、縮れた白髪、エネルギッシュな顔つきをしている。

フゥアド・ウェニ Fouad Ouéni : フェリクスの秘書、51歳。暗い目つきのレバノン人、貧困に育ち、フェリクス家に住み込んで運転手から使用人までの雑用も無報酬でこなしていた。

ネリー・ヴェルチュイス Nelly Verthuis : リーナの部屋係の女。24歳。オランダ北部の生まれで、飾り帽子をつければココアの缶にあるような娘。フランス語はわからないといい、しかも澄み切った青い目で見
つめるので、ますます一言も理解できなさそうに思える。

ルイーズ・ボダン Louise Bodin : ナウール家の家政婦。不幸な希望のない人生を恨んでいるような意固地な顔つき。警察に対してもぶっきらぼうな挑戦的な態度を示す。

ジョベ嬢Mlle Jobé : 南仏のムージャンにある別荘でナウール家の2人の子供たちの世話をしている。

ヴィセンテ・アルヴァレードVicente Alvaredo : コロンビアの首都ボゴタの富豪の息子。比較法学の勉強のためパリへ留学している。26歳。リーナを熱愛し、離婚調停後に再婚しようと考えている。

アンナ・ケーゲル Anna Keegel : リーナの親友。アムステルダムに住む事務員。小柄で美人ではないが、リーナに対し大きな影響力を持っている。ドーヴィルのミス・ヨーロッパのコンテストに出場を勧めたのも彼女である。

ルロワ=ボーデュー Leroy-Beaudieu : 被害者フェリクスの公証人。遺言書を保管している。兄ピエールとは学友。メグレとは以前別の事件で協力している。

ブートロス Boutros : 被害者のなじみにしていたレバノン料理店の主人。

マキィユ Maquille : 新聞記者。20歳そこそこで丸ぽちゃのケルビム天使のような顔をしているが、記者の中では最も執拗な取材攻勢をする。


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