"日本史の快楽 中世に遊び現代を眺める" の紹介
上横手雅敬、角川ソフィア文庫、平成14年初版、600円(税別)
p42,p89-p90を参考にしました。

古今著聞集 第八 (好色第11)Kokonchomonju より
仁和寺の住待の覚性(かくしょう)は千手(せんじゅ)という寵童(ちょうどう)を 愛していた。笛が得意でルックスもよかった。あるとき筝(そう)と和歌が優れた参川(みかわ)がやってきて、覚性の愛は参川のほうに傾いていく。 そうした中、千手はいなくなってしまう。しばらく後、宴会で千手のことが話題になり、覚性は無理に千手を呼び戻す。千手はその時の和歌に自分の心境を歌い、聞く人々の涙を誘った。覚性もそれを哀れみ千手とその夜を共にした。 翌朝になると今度は、参川が心移りを悲しんだ和歌に残して去っていった。

愚管抄(ぐかんしょう) gukanshou
後白河法皇の親衛隊長であった平資盛(すけもり)は法皇との間に 性愛の関係があったらしい。

承久記 jyoukyuki
勢多伽丸(せいたかまる)は仁和寺御室(おむろ)の道助(後鳥羽上皇の皇子)の寵堂(ちょうどう)であった。しかし承久の乱で敗れた佐々木広綱(ひろつな)の息子であったため、その責任が問われた。勢多伽は幕府に連行されたが、道助らの命乞いにより一時的に釈放された。 しかし広綱の弟の信綱(のぶつな)に引き渡され切り殺されてしまった。六波羅探題に連れ去られて行った後、道助は次のように詠んでその死を悲しんだという。

埋木(うもれぎ)の朽ち果つべきはとどまりて
若木の花の散るぞ悲しき

楢葉(ならのは)和歌集 naranoha wakashu
道助と勢多伽との関係を珍覚(ちんかく)という僧は唐の玄宗と 楊貴妃の関係にたとえている。

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