二・二六関係文書


[ラヂオ放送]
(1936.02.29)

兵に告ぐ
 敕命が發せられたのである。既に 天皇陛下の御命令が發せられたのである。お前逹は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從して誠心誠意活動してきたのであらうが既に 天皇陛下の御命令によつてお前逹は皆復歸せよと仰せられたのである。此上お前逹が飽く迄も抵抗したならば夫は敕命に叛抗することになり逆賊とならなければならない。正しいことをしてゐると信じてゐたのにそれが間違つて居たと知つたならば徒らに今迄の行き懸りや義理上から何時までも叛抗的態度を取つて 天皇陛下に叛き奉り逆賊としての汚名を永久に受けるやうなことがあつてはならない。今からでも決して遲くはないから直に抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。さうしたら今までの罪を許されるのである。お前逹の父兄は勿論のこと國民全體もそれを心から祈つて居るのである。速やかに現在の位置を棄てて歸つてこい。
戒巖司令官   香椎中將


[傳單]

     下士官兵に告ぐ
一、今からでも遲くはないから原隊に歸れ
二、抵抗するものは全部逆賊であるから射殺する
三、お前逹の父母兄弟は國賊となるので皆泣いてをるぞ
   二月二十九日    戒巖司令部


 いはゆる、日本近代史上最大のクウデタとしての二・二六事件ですが、あまりにもアッサリと終つてしまつたのは非常に残念なことであると思はれる訳です。徹底性といふ点では竹橋事件(1878)の方がすごかつたです。これは、近衛兵が叛乱を起こしたのですから強烈です。なんでも銃殺されたのも50人ではきかなかつたとか何とか。

 まぁ、それはよいのですが、ともかくもこの青年将校は「昭和維新」とか云つてをりました。しかし、天皇のためには勅命にも叛く「非義の勅命は勅命に非ず」(大久保利通)と云ひきつたやうな明治維新の活動家(志士)とは、自らの行動に対する自覚といふか、そこら辺のメンタリティが根本的に異なつてをつたのでせう。よく武力闘争から法廷闘争へ移つたのだ、とか云はれますが、そもそもその法廷は明らかに統制派の牙城な訳でありまして、そんなところに乗り込んだトコロで、さう簡単に自分の主張が通るはずもないのです。

 結局、多くの青年将校は自分たちが政治行為を行つてゐるといふ自覚に欠けてゐたと云えます。三島流の陽明学派ぢやないんだから行動すれば宜しいといふわけではなく、政治行為として行為した以上、その完遂こそが目的となるわけです。その点でマキャベルリは正しいと云えます。マキャベルリの『君主論』は最近中公文庫でいゝ訳が出てゐますからそちらに譲ります。

 わたくしに云はせますと、軍人はやつぱり陛下の股肱であつて、それを出ることが出来なかつた訳です。物部と蘇我で、結局物部は大連(大王の隷属氏族)の域から出られなかつたといふのに似てゐます。(さうか? )

 それよりはむしろ、二・二六事件に民間人として参加し、獄中にあつてもなほ、「天皇陛下、何と云ふ御失政でありますか、何と云ふザマです」といゝきつた磯部浅一の姿に、鎖国に固執する孝明天皇へ「綸言汗の如しとのみ一概に申し詰め候はゞ、矢張り一偏に落ち申すべく存じ奉り候事。」(吉田松陰)として鎖国勅諭の訂正を求め諌言の上書を行つた維新の志士たちの精神を見ることが出来るのではないかなぁと思ふわけです。

 まぁ、磯部くんは結局獄中で思想を純化していき、遂に日本の国家体制(国体)とは天皇機関説に他ならないことに気が付くのですが、そこまで踏み込むと大変なので、こゝでは省きます。この方の獄中日記は、みずゞ書房の『現代史資料』にあると思ひますが、一番手軽なところでは、筑摩書房の現代日本思想大系に『超国家主義』といふのがありますから(多分抄録)、こちらが手軽で読みやすいと思ひます。橋川文三が編者ですが、解説が大変に面白い文章です。


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