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2. BoutReview XX No.01 --- ヒクソン・グレイシー 3. グレイシー柔術 4. コンデ・コマ・アカデミー |
〜格闘技界を揺るがした「グレイシー柔術」最強の男〜
Ricson Gracieヒクソン・グレイシー 59年11月21日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ、44歳。 身長175センチ、体重86キロ。 グレイシー柔術の総帥エリオ(90)の3男。 柔術界最強の男と呼ばれ、その卓越した技術と勝負強さは伝説となっている。 ブラジルの総合格闘技、柔術、レスリングなどの試合で400戦以上してほとんど無敗。 94年に総合格闘技大会「バーリ・トゥード・ジャパン」で初来日し、圧倒的な強さで優勝。 得意技は腕ひしぎ逆十字固め、チョークスリーパー。 ヒクソン・グレイシーは、45歳を超えながらルールのない闘いでは未だに誰も勝つことのできない抜群の強さを誇る、驚異的な格闘家です。 そして、ブラジルにおいて日本人から学んだ柔道を、スポーツ的ルールを取り払い、あらゆる格闘技に対抗できる実戦的システムに確立させてできあがった「グレイシー柔術」の代表的承継者なのです。
格闘技界を揺るがした「グレイシー柔術」は、もともとは日本の前田光世という柔道家がブラジルに持ち込んだ「武術としての柔道」が実戦に強い格闘技として再編成されたのが「ブラジリアン柔術」なのですが、その中でも、総本家と言えるのが「グレイシー柔術」なのです。 ブラジリアン柔術は、組技を基本としますが、パンチやキックのような打撃も視野に入れた格闘技です。ブラジルでは、組技も打撃もあるバーリ・トゥードという方式の試合で実戦をつんできました。 動物の多くは戦う時に組み合っていきます。人間も例外ではありません。特に立ち上がって行動する人間はバランスを崩しやすい為、戦った時、よりグランドの状態(いわゆる寝た状態)が多くなります。護身等の実戦を重視した結果グレイシーが寝技を発展させてきた理由です。 世界の格闘技を見渡しても寝技を主体とするものは数える位しかありません。そんな中でもチョーク(いわゆる首締め)による攻撃が認められるのは柔術と柔道しかありませんでした。 チョークが最も残酷な攻撃手段とみなされている西洋の格闘技には全く存在しません。最近では一部のプロ興業(シュートやVT等)でも認められる様になりましたが、そのルーツは柔術にあるといえます。 チョークは相手を窒息失神においこむ技ですが、相手をいたずらに傷つけることなくFinishさせられるので、法治社会である現代においてもしもの時に非常に有効な手段の一つとなるでしょう。 また、グレイシー一家の教えによれば、「グレイシー柔術は、力の弱い者のための格闘技」なのです。「小さい者であっても、技によって大きな相手に勝てる」ということなのです。 自分の肉体を有効に使い、力を抜くことによって技を有効に使うことができるのです。身長180センチに満たないヒクソン・グレイシーは、それを実戦で証明しています。 彼の祖父ガスタオン・グレイシーは、ブラジルでスコットランド系移民の2世で、ゴム栽培や金などで世界的にも景気の良かったアマゾンの大都市ベレンで、学者で政治家で、街の有力者でした。 1913年、当時アマゾンの入口であるパラ州へ日本人移民を受け入れる事業の関係で、日本人「前田光世」と出会いました。 前田は、講道館柔道の猛者で、柔道の普及を主目的として「世界柔道武者修行」でアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、キューバ、メキシコ等を渡り歩き回っていましたが、35歳にして慢性的リューマチのために試合ができなくなってしまい、第二の人生をアマゾンの開拓に懸けることにしてブラジルのベレンにたどり着いた時でした。開拓事業の傍ら、市内において関心のあるものたちに柔術を教えていましたが、ガスタオンは、前田に問題の多かった息子カーロスに柔術を教えて根性を鍛えなおしてくれるよう頼みました。当時14歳だったカーロスは前田から人一倍熱心に柔術を学び、4年間後の18歳の時に家族が引っ越した先のリオ・デ・ジャネイロで知り合った仲間を集めて柔術を教えだした。 カーロスには4人の兄弟と3人の姉妹がいましたが、一番下の弟エリオは体の弱い、激しい運動の出来ない子供で、兄のカーロスが友達に柔術を教えているのを庭の隅で黙って眺めているだけでした。しかし、そのエリオが16才の時に突然、柔術に目覚め、兄と一緒に柔術をするようになり、そしてエリオが教えるようになって生徒の数が増え始めたのでした。そして本格的な道場を出すようになり、エリオが指導、カーロスがマネジメントを担当するようになりました。 エリオは身長170cm、体重65キロとそれほど大きくなく、非力でしたので、パワーの必要のない、テコの原理と独自のポジショニングを活かしたエリオの教え方が現在のグレイシー柔術の基本となっています。 その後、グレイシー一族を中心にグレイシー柔術は普及し、ブラジル国内に多くの道場と生徒を増やしていきますが、それには、グレイシー柔術があらゆる格闘技と試合をして負けないという実績があったためでした。 しかし、エリオの長男ホリオン・グレイシーは、アメリカに渡り道場を開き、普及を行う中で、ルールのない実践的な格闘の競技を行い、実際に最強の者はだれかを決めれるイベントを考えました。そのためにあらゆるジャンルの格闘家の参加による、ルールのない戦いとして1993年に「ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」(最強格闘技選手権大会)を企画し開催しました。これには、打撃系から寝技系までさまざな選手が参加し、打撃系が強いと信じられていた中で、第一回目の大会では、グレイシー家6男のホイス・グレイシーが優勝し、寝技系のグレイシー柔術の優位性を証明しました。 これがブームとなりロサンゼルスを拠点とする「グレイシー柔術アカデミー」の生徒が増えていきました。
グレイシー柔術最強の男と言われるヒクソン・グレイシーは、ズールという選手を相手
に20歳でデビューして以来、バーリ・トゥード(“何でもあり”の試合のこと)、柔術、柔道、アマチュアレスリング、サンボ、喧嘩(笑)で400戦以上を闘い、一度も負けたことがない驚異の戦歴をもっています。日本での10戦に満たない試合で彼の見せた闘いは、まさに圧倒的な達人のたたずまい で、少なくとも見た目においては常に圧勝でした。 ヒクソンは、ロサンゼルス郊外の自然に囲まれた海辺に住み、森の中で瞑想とヨガ運動のようなトレーニングを行います。彼は自然から力をもらうことが秘訣で、後は神様が勝たせてくれれば勝つし、神様がもう充分だからやめろといわれれば辞めるつもりだ、という信心深い宗教家のような自然主義者です。食事も野菜中心の軽いダイエット食で、回数を多く取ります。日本での試合があるときには1ヶ月前に家族を引き連れて来日し、一緒に山ごもりをします。彼は自らを「サムライ」と称し、大変謙虚で礼儀深い人間です。 彼の信心深さ、謙虚さ、妻と子供たちとの日課練習、家族を大事にし、そして無理をしない練習内容など普通の格闘技選手とは異なっている面が彼の強さの秘訣なのかもしれません。精神的面に重点を置いた仙人のような生活と訓練スタイルは大変興味深いものがあります。
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