>HOME

A-A'
―アンフラマンスの狭間で―

永野 潤

L.H.O.O.Q.

 1919年、マルセル・デュシャン(1887-1968)は、有名な「レディ・メイド」作品、「L.H.O.O.Q.」を発表した。この作品は、ダ・ヴィンチの「モナリザ」の複製画(絵はがき)に、デュシャンがえんぴつで口ひげと顎ひげを書き加え、余白に「L.H.O.O.Q.」という文字を付しただけのものである。
L.H.O.O.Q.  この作品は、反芸術運動としてのダダイズムの流れの中で作られたものであり、デュシャンは、「モナリザ」という「名画」に落書することで、芸術の権威を嘲笑し、批判したのだと言われている。
 「L.H.O.O.Q.」が作られた1919年、デュシャンは、大作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称「大ガラス」)」の製作に没頭していたのだが、1923年、8年間近くかかわってきた大ガラスの製作を中止したデュシャンは、以後一切の製作活動の放棄を宣言した(しかし、実は晩年「遺作」と通称されている大作「1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」を密かに製作していたことが、死後明らかになった。)こうして、デュシャンは引退同然の生活を送っていたのだが、「L.H.O.O.Q.」の発表から46年たった1965年に、彼は一つの興味深い「作品」を発表している。それは、もともとはデュシャンによって知人に配られたディナーの招待状なのであるが、そこには、何も書き加えられていない単なる「モナリザ」の複製画が貼りつけられ、余白には「rasee, L.H.O.O.Q.」つまり「ひげを剃られた、L.H.O.O.Q.」と書かれてある。
 「モナリザ」、「L.H.O.O.Q.」、「ひげを剃られた、L.H.O.O.Q.」。外見上はきわめて類似したこの3つのオブジェは、いったいどこが「違う」のか。そしていったいどこが「同じ」なのか。我々は、これら3つの作品を手がかりに、同一性と差異をめぐる問題について考察してみることにしよう。

レディ・メイド

rasee L.H.O.O.Q.  「L.H.O.O.Q.」は、デュシャンのいわゆる「レディ・メイド」と呼ばれる作品群の一つである。デュシャンは、1913年、台所用の椅子の上に自転車の車輪を逆さにとりつけたものを作り、これを自宅に置いて、時々車輪を回転させて楽しんでいた。また彼は、なんでもない風景を描いた複製画の絵葉書に赤と黄色の小さな点を書き加え、それに「薬局」というタイトルをつけた。デュシャンは1915年にアメリカに渡るが、彼はここで雪かきシャベルを購入して、その柄の部分に「折れる腕に備えて」と書き加えた。これら一連のオブジェを「レディ・メイド(既製品)」と呼ぶようになるのはこのころである。その後、1917年に、彼はニューヨーク・アンデパンダン展に、R.MUTTと署名された男性用便器を「泉」と題して出品しようとしたが、展示を拒否された。これもレディ・メイド作品である。
 デュシャンは、1919年に一時フランスに帰国した。当時パリでは、パリ・ダダ運動が勃興しつつあった。

 1919年に私は再びパリに戻りました。パリは〈ダダ運動〉が出現したばかりです。トリスタン・ツァラは、1916年にダダ運動が開始されたそのスイスから到着して、パリのアンドレ・ブルトン周辺のグループに加わっていました。ピカビアと私自身は、ダダに対するわれわれの共感をアメリカですでに表明しておりました。
(DUCHAMP1958 227[336])

 デュシャンはパリ・ダダ運動に直接加わることはなかったが、この運動への「共感」のもと、「修正されたレディ・メイド」である「L.H.O.O.Q.」を制作した。その意味でこの作品は、デュシャンの言うように「レディ・メイド/偶像破壊のダダイスムの結合」(同)だった。

作者の同一性の破壊

 モナリザという偶像の破壊がデュシャンの言うようにダダイスムの精神にのっとっていたとして、では、「レディ・メイド」とは、どのような精神なのだろうか。
 「L.H.O.O.Q.」の発表に先立つ1917年、デュシャンは、ニューヨーク・アンデパンダン展による「泉」の展示拒否に抗議する、「リチャード・マット事件」と題された次のような文章を発表している(『ザ・ブラインド・マン』誌第2号, 1917.5.)。そこには、レディ・メイドの思想の本質が簡潔に表明されている。

 6ドルの出品料をはらった作品はだれでも出品できるという。リチャード・マット氏は「泉」をひとつおくった。この品物はまちがいなく消えさり、こんりんざい陳列されなかった。
 マット氏の「泉」を拒否する根拠はなんであったか。
 (1)ある連中はそれが不道徳で卑俗だと主張した。
 (2)またある連中は、それが剰窃である――つまり、たんなる衛生器具屋の器具にすぎぬ、と主張した。
 さてマット氏の「泉」は不道徳ではない。浴槽が不道徳でないように。それは衛生器具屋のショウ・ウィンドーで毎目見ることのできる品物である。
 マット氏が「泉」を自分の手でつくったか否か、はたいして重要なことではない。かれがそれを選んだのである。かれは生活の日常的な品物をとりあげ、あたらしい題名とあたらしい観点のもとでその有用な意味が消えさるように、それをならべたのである。つまり、あの物体に対するあたらしい思考をつくりだしたのだ。衛生器具についてはお笑い草である。アメリカがつくりだした芸術品といえば、衛生器具と橋だけではないか。


 「不道徳」とされる便器をあえて出品したところには、ダダイスム的な反逆の精神があらわれているが、「レディ・メイド」の精神の独自性は、言うまでもなく(2)、つまり「剽窃の禁止」に対する侵犯にあった。「マット氏が「泉」を自分の手でつくったか否か、はたいして重要なことではない」。言いかえれば、レディ・メイドは、近代芸術がもっている作者と作品の特別な関係を否定してしまう。したがって、レディ・メイドとしての「L.H.O.O.Q.」は、単にダ・ヴィンチという作者の権威を否定するにとどまらない。それは、芸術作品における「作者一般」の権威を否定するのであり、その意味で、「L.H.O.O.Q.」は、「デュシャンが作った」ということすら重要ではない。実際、パリで作った「L.H.O.O.Q.」をアメリカに持ち帰ってしまっていたデュシャンに対して、フランシス・ピカビアが、それを自分の雑誌『391』の表紙に使いたい、と要請したとき、デュシャンは「君が自分で作ってくれ」と言った(ただし、掲載された「ピカビア作」の「L.H.O.O.Q.」は、顎ひげがつけ忘れられていた)。

作品の同一性の破壊

 また、レディ・メイドは、作者の特権性を否定するだけではなく、作品自体の特権性をも否定するものである。レディ・メイドは、便器や瓶かけ、複製画など、同じものが大量に生産されるものばかりである。そこでは、「いま・ここ」にしかない「唯一の」同一のものではなく、「2個あるいはn個の同一のモノ」(ボードリアール)が問題となっている。
 オリジナルな芸術作品としてのモナリザがもつ価値は、ルーブル美術館に、唯一のものとして存在しているということから来る価値と切り離せないだろう。ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術』において、それを「礼拝的価値」と呼び、礼拝的価値に基礎をおいた従来の芸術とは異なったタイプの芸術が、同じものの複製によって成り立つ写真や映画とともに到来したことを論じた。デュシャンのレディメイドと、それがもたらす「物体に対するあたらしい思考」も、複製技術による新しい芸術の到来と、芸術の礼拝的価値の解体を象徴するものであったといえるだろう。

意味の同一性の破壊

 さて、周知のように、この作品のタイトルは一種のことば遊びとなっている。「L.H.O.O.Q.(エル・アッシュ・オ・オ・キュ)」という5文字のアルファベットを続けて読むと、「エラ・ショー・オ・キュ(Elle a chaud au cul 彼女はお尻が熱い)」と聞こえる。モナリザの下にこうした卑猥なことばを書き付けるということ自体、ダダイスム的偶像破壊の意味があっただろう。
 デュシャンは、作品のタイトルやメモの中で、しばしばこうした「ことば遊び」を行っている。デュシャンによることば遊びの重視には、彼自身語っているように、レイモン・ルーセルの影響があった。デュシャンは、1912年、ピカビアとその夫人とともにルーセルの芝居『アフリカの印象』を見に行き、大きな衝撃を受けた。この荒唐無稽な芝居のテクストは、実はさまざまに張り巡らされたことば遊びによって成り立っていた。芝居を見たときには、デュシャンはそのことを知らなかったようだが、後にそれを知り、影響を受けたと考えられる。
 ええ、確かにそれ〔ルーセルの影響〕はあります。全体としてはほとんどルーセルのものに似ていないとしても、こうした考え、つまり私自身もこの方向〔サンス〕、あるいはむしろこの反-意味〔アンチ-サンス〕の方向で何かを試みることができる、という考えを、私は彼から吹き込まれたのです。
(DUCHAMP1967 [77])
 有名な他の例としては、19 年に発表されたレディ・メイド、「fresh widow」がある。これは、フランス窓のガラスの部分に黒いビロードを貼りつけただけの作品であるが、「fresh widow(新しい後家)」という作品タイトルは「french window(フランス窓)」のもじりとなっている。そのほか、デュシャンは膨大な数のことば遊びを、メモの形で残している。「litterature(文学)=lits et ratures(ベッドと抹消線)」「Nous nous cajolions(私たちは愛撫しあう)=Nounou : cage aux lions(ライオンの檻の中の乳母)」という具合である。
 高橋康也が言うように、デュシャンの言葉遊びとは「「記号表象シニフィアン」(音や綴り)をちょいといじるだけで、「記号内容シニフィエ」(既成の意味)をまったく別のものに変貌させてしまう」(高橋1980 247)ものだったのだが、それは、言語を支配している「意味の同一性」という偶像を破壊する「反-意味」の企てだったのである。
 そもそも「L.H.O.O.Q.」というこの記号列は、一体何を指示しているのだろうか。それは、この「作品」のタイトルであり、作品自体を指示しているとも考えられる。またそれは、この作品に描かれている人物、すなわち、ひげをたたえてこちらに向かってほほ笑んでいる人物を指示しているとも考えられる。あるいはそれは、何も指示しない「単なる5つの文字」でしかないのかもしれない。そして、もちろんそれは、「エラショー・オ・キュ」という文、つまり、「彼女はお尻が熱い」という文を指示しているのかもしれない。いずれにせよ、「L.H.O.O.Q.」というこの作品のタイトル自体に、記号と意味の固定した関係性を破壊するデュシャンの戦略がかくされている、と言えるわけである。

性の同一性の破壊

 最後に、この作品は、性の同一性を破壊するものである。デュシャンはこう言っている。「私はその悲しげな女性が、口ひげとあごひげをつけるとたいへん男性的になることに気づいたのだが、このことはレオナルドの同性愛をよく物語るものであった」。つまり、デュシャンによって書き加えられたひげは、単に名画を冒涜するためのものであっただけではなく、人間の性的アイデンティティを破壊するためのものでもあった。口ひげが書き加えられたという画面上の小さな変化は、女性が男性になるという大きな変化をもたらしている。そこには、つづりをたった一文字変えただけで、まったく違う意味を出現させる、という、デュシャンの言葉遊びの戦略と通じるものがある。
 ところで、「L.H.O.O.Q.」とならんで、性の転換というテーマに対するデュシャンの関心を示す作品が残されている。それは、「L.H.O.O.Q.」の直後の1920年にマン・レイによって撮影された、女装したデュシャンの肖像写真である。この写真のデュシャンは、化粧をし、女物の帽子をかぶった姿でこちらを向いており、また、顔の前に置かれた手は女性らしさを演出している。「L.H.O.O.Q.」の中のひげをつけたモナリザがいわば「男性を演じる女性」であるとすると、この写真の中のデュシャンは、逆に「女性を演じる男性」であるといえる。
 この写真は「ローズ・セラヴィを演じるデュシャン」というタイトルがつけられているが、デュシャンが演じている女性の名である「ローズ・セラヴィ Rrose Se'lavy」とは、実はデュシャンが用いていた偽名である。しかも、この偽名は、それ自体がことば遊びでもある。「Rrose Se'lavy」は「Rose, c'est la vie(バラこそは人生)」ないし「Eros c'est la vie(エロスこそは人生)」と読める。いずれにせよ、ローズ・セラヴィとは、デュシャン自身に他ならないのであって、その意味で、この写真は「女性を演じるデュシャン」であると同時に「デュシャンを演じるデュシャン」でもあるということになる。われわれは、この写真に見られる「自己を演じる」というテーマが、デュシャンの芸術の本質に属するものだ、と考えるのだが、では、「自己を演じる」とは、いったいどのようなことなのだろうか[*1]

自己を演じる

 そもそも、「演じる」とは、自己「ではない」ものを演じることではないか。通常はそのように考えられているだろう。まず、私を A と置こう。A はまだ何も演じていない。「A は A である」。ここには、自己同一的な存在としての A があるだけである。次に、A が B を演じるとしよう。「A は B であるふりをしている」。A は、B である「ふりをしている」にすぎない限りで、B「ではない」はずである。つまり、「A は B ではない」。さて、A がその演技をやめたとき、A は A 自身にもどるのであって、そのとき、再び「A は A である」あるいは「私は私である」というオリジナルな自己同一性が回帰する。
 しかし、「A は A であるふりをしている」あるいは「私は私であるふりをしている」ということもありうるのではないか。アンナ・フロイトは、次のような興味深い例をあげている。
 この三歳児の子供部屋には四つの椅子があった。第一の椅子に坐るときには、彼は夜なかにアマゾン川をさかのぼって行く探険者になる。第二の椅子では、うなり声をあげて乳母をこわがらせるライオンになる。第三の椅子では、船を操縦して海をわたる船長になる。だが、第四番目の子供用の高い椅子では、彼は単に自分自身であることを、つまり、ただの坊やであることを装おうとするのである。
(LAING1969 [89])
 一番目から三番目の椅子に坐っている幼児は、演技しているのであり、「探検者」「ライオン」「船長」という、自分自身「ではない」もののふりをしている。「A は B であるふりをしている」「A は C であるふりをしている」「A は D であるふりをしている」という具合である。問題は、四番目の椅子である。幼児が四番目の椅子に坐ること、つまり、「自分自身であることを装う」ことと、幼児が演技を下止めて線(椅子を降りて)「自分自身に戻る」こととの差異に注目しなければならない。つまり、ここでは、「A は A である」というオリジナルな自己同一性が回帰しているのではなく、「A は A であるふりをしている」という、自己演技、あるいは「自己自身との差異」が新たに出現しているのである。
 しかし、回帰すべきオリジナルとしての自己同一性、すなわち「AはAである」は本当に存在しているのだろうか。「自己である」こととは、実はそもそも「自己であるふりをする」ことでしかないのであり、「自己」とは、「探検者」や「ライオン」とならんだ、演じられるべき役割(椅子)の一つにすぎないのではないだろうか。R.D.レインは、『自己と他者』の中で、この幼児の例を引用し、こう言っている。
 もし〈彼〉が〈ありのままの〉自分自身であることを装うのに成功したら、仮面は彼の顔になってしまったであろう。そして、自分があたがも〈ただの坊や〉ではないかのように行動する時はいつでも、自分がありのままの自分自身ではないふりをしている、と彼自身思えるであろう。私の考えでは、たいていの三歳児は、両親によって助長され、アンナ・フロイトのような専門家に助長されて、うまくただの坊ややお嬢ちやんであるふりをすることにぐんぐん上達する。ちょうどこのころ、子供はエクスタシーを放棄する。そして自分がただの坊やであるふりをしていることを忘れてしまう。彼は、ただの坊やになる。
(LAING1969 [50])
 つまり、オリジナルな自己など存在しないのである。いやむしろ、オリジナルにあるのは、演技された自己、偽装された自己である。この三歳児の例がそれを示している。われわれは最初から椅子の上にいる(それがどのような椅子であるにせよ)。そして、自分は演技などしてはいないと思っているもの、つまりうまく成長した大人は、実は「演技していない」という「演技」をしているだけなのである。「オリジナルな自己」が、あるとき演技をはじめる、というのではない。根源的な「演技された自己」が、あとから「オリジナルな自己」なるものを作り上げるのである。こう言ってもいい。オリジナルな自己から偽装が派生するのではなく、オリジナルな偽装から、「偽装されたオリジナル」としての自己が派生するのである。
 レインは、「演技された自己」について、次のような図を使って説明している。

pretence
 「第一の見せかけ first pretence」と呼ばれている円周上の点 A から点 B への運動は、探検者やライオンを装う幼児の演技に対応している。そして、「第二の見せかけ second pretence」と呼ばれている点Bから点 A1 への運動は、ただの坊や、すなわち自分を装う幼児の演技に対応している。そして、レインは、みかけ上同一に見える点Aと点 A1 とを隔てる差異に注目するのである。
 円周上の位置 A および A1 は、考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁によって隔離されている。A から始って、B に移動する。A に向って時計の針と同方向に逆行せずに、A1 点に向って時計の針と逆方向につづける。A と A1 は、〈近くて遠い〉間柄である。両者はあまりに接近しているので、ひとはこういう、〈A と区別できないのなら、A1 は全く A と同じではないか〉と。ひとはそれでも、自分が目に見えないヴェールの背後に生きていることに気づくかもしれない。だが、何が自分を自分自身から隔離しているかを知ることはできないのである。
(LAING1969 [49])
 点 A と点 A1 は見分けがつかない。いや、まさしくそれは、同一の点である。しかし同時に、ここには、「考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁」がある。ただしそれは、A と B を隔てる通常の意味での差異なのではなく、いわば A と A を隔てる差異であり、「同一性そのものにおける差異」である。そして、「A は A であるふりをしている」こと、すなわち「自己を演じる」ことは、まさにこの「同一性そのものにおける差異」において成り立つようなものなのである。
 さらにいえば、「考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁」とは、まさしく、「自己である」ことと「自己を演じる」こととを隔てる障壁でもあり、「オリジナルな自己」と「偽装された自己」とを隔てる障壁でもあるのではないだろうか[*2]

ひげを剃った L.H.O.O.Q.

 ところで、冒頭で触れたが、デュシャンは1965年に「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」という「作品」を発表している。すでに述べたように、それは、見かけ上は単なる「モナリザ」と区別はできない。いや、それはまさにモナリザ「である」。しかし同時に、もちろんそれはモナリザ「ではない」。なぜなら、それは「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」なのだから……。そしてわれわれは、「モナリザ」、「L.H.O.O.Q.」、「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」、この三者の関係が、レインの図における三つの点、A、B、A1 、の関係とまさに重なりあう、ということに気づくのである。「モナリザ」から「L.H.O.O.Q.」への移行、すなわち「ひげを付ける」という移行は、レインの言う「第一の見せかけ」にあたる。そして、「L.H.O.O.Q.」から「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」への移行、すなわち「ひげを剃る」移行は、レインの言う「第二の見せかけ」にあたる。
 1919年、デュシャンの手を借りて、女性である「モナリザ」が小さなひげを付け、突然「男装した」(第一の見せかけ)。その46年後、ひげをはやした男性である「L.H.O.O.Q.」が、今度は突然、ひげを剃り「女装した」(第二の見せかけ)。つまり、「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」とは、「女装した女性」であり、「モナリザを演じるモナリザ」なのである。
pretence2
 「モナリザ」と「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」は見分けがつかない。いや、それは、同一のものである。しかし同時に、ここにはレインの言う「考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁」がある。つまりそれはあの「同一性そのものにおける差異」なのである。「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」を発表したデュシャンは、そのことを示そうとしたのではないだろうか。つまり、この二つの作品は、「オリジナル」な作品であるモナリザを冒涜するという意味で偶像破壊であるだけではない。それは、 「A は A である」あるいは「私は私である」という自己同一性そのものの偶像破壊を目指していたのである。デュシャンは、「私(ジュ)と私(モア)のちょっとした戯れ un petit jeu entre je et moi」ということばも残しているが、このことばは「自己を演じる」ことをテーマとし続けたデュシャンが、「自己」というものを「戯れ=演技(jeu)の中でしか成立しないもの」と考えていたことを示しているのではないだろうか。

アンフラマンス

 「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」の3年後の1968年、デュシャンは死んだ。すでに述べたように、晩年のデュシャンは、「遺作」と通称されている大作を密かに製作していたことが、死後明らかになる。しかし、死後われわれが知ることとなったもう一つの「作品」がある。それは、デュシャンの養子ポール・マティスが編集し、1980年に出版されたデュシャンのノートである。デュシャンははやくから膨大なノートやメモを書いており、その一部は生前も何度か発表されている(「グリーン・ボックス」が有名)。1980年に発行されたのは、デュシャンの死後残された書類の中から選ばれた未発表のノートやメモである。
 このノートは編集者によってテーマ別に分類されているが、そのなかで特に注目を集めたのが、第T部に収められたメモである。そこには、それまで発表されていたデュシャンのテクストにはほとんど見られなかった「アンフラマンス inframince」という奇妙な概念についての多量のメモが収められていた。
 「アンフラマンス」とは、「下に、下部に」という意味を持つ接頭辞「infra-」と、「薄い」という意味のフランス語「mince」を合成して作ったデュシャンの造語である。この語に「極薄」という訳語をあてた岩佐鉄男は、次のように解説している。

 したがって語の直接的な意味としては、「薄さの限界を下まわる薄さ、人間の知覚いきを超えた薄さ」ということになるだろう。〔……〕たんに「極めて薄い」というのではなく、ちょうど赤外線 infrarouge が赤の限界を超えた色――色としては知覚できない色――であるのと同じように、《inframince》は薄いという知覚さえ失われる極限での薄さであることに留意していただきたい。
(岩佐1983 68f)

 とはいえ、デュシャンのメモの中でこの語の明確な定義がなされているわけではない。デュシャンのメモは「未知の造語の〈用例集〉のような体裁のメモであって、ひとつひとつの例から雰囲気としての語義を感じ取っていくしかない(建畠1998 68)」ようなものにも思える。たとえば、このようなものである。

メモ4
(人が立ったばかりの)座席のぬくもりは極薄アンフラマンスである。
(DUCHAMP1980 21[58])

メモ11(裏)
タバコの煙がそれを吐き出した口と同じように匂うとき、二つの匂いは極薄アンフラマンスによって結ばれる(嗅覚的極薄アンフラマンス)。
(DUCHAMP1980 24[60])

 しかし、前節でわれわれが見た、「モナリザの複製画」と「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」の間にある「考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁」は、「アンフラマンス」という概念を解釈する一つの可能性を示しているのではないだろうか。「アンフラマンス」は「薄い」という限り幅をもっているわけであり、空間を二つに分ける障壁、「差異」である。しかし同時に、それは「infra」である限り差異を超えているのであり、単なる差異ではない。しかしまた、それは差異の単なる否定としての「同一性」でもない。つまり、デュシャンは、「アンフラマンス」という概念によって、単なる差異でも単なる同一性でもない、「同一性における差異」、「自己自身との差異」、すなわち、レインの言う、A と A1 を隔てる「考えうる以上に薄く透明な通過不能の障壁」を示そうとしたのではないだろうか。そして、デュシャンは、まさしく「アンフラマンス」を例示するものとして、「L.H.O.O.Q.」と「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」を作ったのではないだろうか。この推測を裏づけるメモがある。例えば、次のメモでは、「n個の同一のモノ」としての大量生産品を用いたレディ・メイドとアンフラマンスの関連性、また、「A=A」という同一律とアンフラマンスの関係が示唆されている。

7
類似性/相似性
同一物(大量生産品)
相似性の実際的近似。
時間の中で、ひとつの同じ物体は、一秒たてば同一物ではない
同一律といかなる関係?
(DUCHAMP1980 21[61])

18
大量生産による〔同じ鋳型から出た〕二つの物体の差異(寸法上の)は、最大限(?)の正確さが得られたとき、極薄アンフラマンスである。
(DUCHAMP1980 24[61])

 また、「コペンハーゲン 37年7月29日」という日付の入った次のメモにおいては、デュシャンが、アンフラマンスを「同一性」における「差異」としてとらえていたことがはっきりと書かれている。

35(表)
極薄な分離
同じ鋳型(?)で型打ちされた二つの形は、たがいに極薄アンフラマンスの分離値だけ異なる。
すべての”同一物”は、どれほど同一であっても(そして同一であればあるほど)、この極薄アンフラマンスの分離的差異に近づく
二人の人間は同一性の例にならず、反対に極薄アンフラマンスの評価しうる差異から遠ざかる――しかし、発生上の分類(二本の木、二艘の舟)からもっとも同一な”型打ち”にまでいたる既視物の粗雑な概念がある。「瓜二つの双子」というような言語上の一般化を便宜的に受けいれてしまうより、二つの”同一物”を分ける極薄アンフラマンスの間隔を通りぬけようとするほうがいい。
コペンハーゲン 37年7月29日
(DUCHAMP1980 33[65] 強調は引用者)

 デュシャンは「二つの”同一物”を分けるアンフラマンスの間隔を通り抜けようと」し続けた。「時間の中で、ひとつの同じ物体は、一秒たてば同一物ではない」とデュシャンは言っていた。ところで、「時間」や「運動」にこだわり続けたデュシャンは、代表作「大ガラス」を、「ガラス製の遅延 retard en verre」と呼んでいた(透明な障壁としてのガラスもアンフラマンスを示唆している)。その意味では、ダ・ヴィンチ没後400年の1919年に「L.H.O.O.Q.」として仕掛けられ、その46年後の1965年に「ひげを剃った L.H.O.O.Q.」として完成されたデュシャンの企ては、円環の形をした壮大な遅延の企てだったのかもしれない。



※本論のタイトルは、「同一の」二人の人間であるクローン人間をテーマにした萩尾望都の短編「A-A'」(『A-A'』小学館、1995年、所収)からとっている。

*1  デュシャンの作品のもつ二重の偽装という性質を巧みに形象化したのが、森村泰昌氏の作品「たぶらかし」である。モナリザをはじめ、西洋絵画の様々な作品を「演じ」、また性の越境と言うことをテーマの一つとしている森村氏は、この作品において「ローズ・セラヴィを演じるデュシャン」すなわち「自己を演じるデュシャン」を演じている。しかも、この作品では、デュシャンの演技の二重性を象徴するかのように、帽子は重ねてかぶられており、また、デュシャン風の手を支えるもう一つの手がある。

*2  レインの議論と、サルトル哲学における「〈私〉の存在の仮象性」については、魚住洋一「仮面舞踏会のなかの〈私〉──サルトルと『聖ジュネ』をめぐって」 (『情況』9月号別冊「現象学──越境の現在」(情況出版)1992年 )「オナニストの夢想──現実と仮象の対位法のために」 (『現象学年報』第8号(日本現象学会)1992年 )を参照。

引用文献

表記法 : 書名略号 ページ数[邦訳ページ数]

その他の参考文献

>HOME