<音楽をしようとする人の疑問>

君は、天才か?:「天才ではない。」

 君は天才ではない。なぜなら今これを読んでいる。確かに世の中には、天才はいる。とてもいい声をしている、楽器を初めて持った途端に良い音がするなどだ。指揮者でも、良い音の指揮者もいればそうでない人もいる。とても良い演奏をしながら、残念なことにあまり良い音を持っていない音楽家もいる。

 しかし、生まれながらに素晴らしい音楽ができる天才は、いない。なぜなら音楽は、学んでいく上で上達する分野であるからだ。人生で経験する、あらゆる体験から生まれてくる感情を語る芸術だからだ。

 音楽家は色々な体験を通じて、理解し語っていく行為をするもの。ただ唯一絶対に必要な能力は、努力し学ぶ才能だろう。

才能がいるのか?:「いらない。」

 確かに才能が有ったほうが良いし、素晴らしい才能を持った天才もいる。しかし、音楽の才能にも一口では言えないほどの、沢山の種類の能力が必要。運も才能の内といわれる由縁である。特に必要なのは運動能力、といっても、筋力や、瞬発力、持久力など、あるにこしたことはないが、スポーツ選手のようにはいらない、反対に一般の人の能力をはるかに越えていれば、むしろ違和感を与える場合もある。

 心身共に柔軟な姿勢があれば、必要な体は鍛えられ、豊かな感受性も育っていく。共に積極的な態度、向上心、それにもまして他人を理解しようとする力こそ、大切な能力である。

 いわば、バランスのよい、普通の人達と同じ能力が有ればよい。

 音楽をしてみようとすれば、誰でもが出来るものである

習いに行かなくてはならないのか?:「学ぶ姿勢があればよい。」


 独りで自分の好きな歌を口ずさんだり、作曲したりするには、習わなくてもよいが、音楽は、本来他人とのコミュニケーションであるので、その方法、すなわち楽譜の読み方楽器の演奏法発声法などを、経験者やその道の専門家に習うのは、早道であり確実である。

 人から学ぶ力も大切な能力。学ばずには、正しく音楽をするのは難しい。


 音楽を、感性や才能でするものという考えは、知識が足りないか、自ら音楽をしている者が言うならば、不遜な自己満足の態度であり、まったく思い上がった態度と言わざるをえない。反対に、努力し学べば誰にでも出来、上手になるものである。言葉を話すことと変わらない。自分独りで言葉を話せるように成ったのでは無い事は、外国語を勉強した時に思い知っているはずだ。

 学ぶ事もコミュニケーションであり、出来なくてはならない。

 習いにいかなくとも、学ぶ姿勢は、絶対不可欠である。

どのように学ぶのか?:「総てが勉強。」

 2つ学ばなければならないことがある。1つは、人生の経験を数多くし、それを見つめていくこと。ゆえに、一朝一夕にはできる物ではない事だ。

 もう1つは、その体験を音にしていく技術を身に付けなければならない。そのためには、先人に学ぶことは、不可欠だ。自己流、あるいは、狭い世界だけでの学習は、偏ったり、誤った方法を覚えるだけでなく、他人とのコミュニケーションを妨げる事になってしまう。
その点は、人生勉強となんら変わりはない。

 音楽は、勉強だ


<音楽について考えてみよう>

音楽とは?:「心地好いこと。」

 書いて字の通り、楽しむこと。そして心地好い体験をすること。

音とは?:「振動のこと。」

 空気等振動。その振動に意識的に意味を持たせれば、音楽で使う音である。特に、音色表情が、言葉と同じ様に気持ちを伝える大切な要素。

振動とは?:「動き。」

 大きくは、宇宙の動き、小さくは、素粒子の動き

空気の振動とは?:「疎密波。」

 空気の疎密波と言い、空気の薄いところと、濃いところが 交互に連続して起こる事。

 1秒間に1回起こると、1ヘルツ ( Hz.)。

 おおよそ16-30,000Hz. の間では、耳の鼓膜を振動させて、音として認識される。ちなみに440Hz.を一点イ音(aに決められているが、近ごろでは、442Hz.が一般的になっている。このたった1秒間に100分の1の違いすら我々の耳で感じ取っている。

空気などとは?:「体で感じるもの全て。」

 空気を伝わるだけでなく、直接に響いたり、皮膚で感じたり、又、新幹線の振動などで起こる低周波公害の振動など、体で感じる振動も音と言うことが出来、耳には聞こえない高周波音質に影響することは、オーディオ愛好者には、良く知られている事である。

どう楽しむのか?:「聴く、する、作る。」

 方法は3つ、聴くこと、演奏すること、作曲すること。

聴く楽しみは?:「感じる事。」

 別段難しい訳ではないが、ただ聴くだけで楽しいとは、十分でない。もちろん、植物でもお酒でも、モーッァルトの音楽を聴かせてやれば、成長が早くなったり美味しいお酒に熟成される話しは、昨今よく聞かれる。

 音楽を心地好い振動を感じる事と思えば、そうとも言え、それこそが究極の音楽と言える。

ただ聴くだけでなく?:「イメージする。」

 映画や小説、はたまた絵画など、ただ見るだけでしょうか。文章では「行間を読む」という言葉がある様に、その内容から色々と想像をしながら、作者の意図を読み取っていく楽しさがある。正に音楽も同じ事。しかし、音は抽象的なもの、そこからイメージされるものは、自分の経験、体験にもとづく共感が呼び起こされるもの。悲しいときに初めて聞いた音楽は、どんなに楽しい音楽でも、悲しさを呼び起こす。悲しさが癒されれば、初めてその楽しさを味わえるかもしれないが。

作者(作曲家)の意図?:「彼のすべて。」

 作曲家の演出効果に拠る物や、考え方、作られた時代や作曲家が置かれていた環境、生い立ち、深層心理まで探って見られるだろう。深読みも、覗き見的趣味ではあるが、興味の持てる事には、違いないし、大きな楽しみの一つ。


<演奏について>

演奏する?:「代弁すること。」

 半分は、自ら聴く楽しみ。もう半分は、その音楽を理解し作曲家の意図を代弁したり、自分の感じたものを聴衆へ、語りかける事。又は、言葉の伴わない芝居、動きの見えないバレーとも言える。

 いずれにせよ筋立てが有り、その台本(楽譜)によって演じられる物。欧米では楽譜を、スクリプト(台本)と言うこともある。

語りかける?:「自分にも語る。」

 言葉で語るのは、我々の日常の行為であるので、問題は、簡単だ。音で語ろうとする為に、問題が起きてくる。演奏する時は、常に一方通行のコミュニケーションであるため、聴衆への語りかけるような、積極的に働きかける口調が必要。しかし、独善的になってしまわない様に、しなければならない。又、聴衆に語るだけでなく、演奏者同士、ひいては未来の自分に語り、反応して答えなければならない。

未来の自分?:「時間の芸術だ。」

 音楽は時間の芸術、今出した音は、もう過去のもの。ゆえに、いつも未来の自分にも語りかけていることになる。

独善的になる?:「うそはつけない。」

 いろいろな解釈があると言うが、正しい 解釈は、ただ一つ。作曲家の頭に鳴っていた音楽だけだ。又、言葉と違って、誤った表現をしたことに気が付きにくい。言葉の台本だと筋立てはさほど変わらないが、音の表情だけで意味を成すので、すぐに筋立てが変化してしまう。

 また自己満足的な表現は、ごく一部の人達の共感しか生まないだけでなく、むしろ嫌悪感すら起こしてしまう。反対に何もしなければ、いんぎんな、人を食った表現に思える。

 音楽は、言葉以上に気持ちが伝わる。うそは付けない

誤った表現?:「未熟さゆえ。」

 音楽の理解の間違いだけでなく、演奏技術や、表現力未熟さからも起こる。自分の思っている通りに伝わっているかが問題だ。

演奏技術?:「コミュニケーションの技術。」

 すべて表現のコミュニケーションの為の技術。自分自身の表現の方法だけでなく、他の共演者や作曲家との対話(読譜力アンサンブル)の方法。

コミュニケーションとは?:「アンサンブルすること。」

 自分と、聴衆だけでなく、共に演奏している人達、それに過去や未来の自分、今さっき出した音は、もう他人の音と同じ、たった今出した音を聞く自分も、他人と同じ。時間芸術ゆえの面白味。

アンサンブルとも言い換えられる。

口調?:「こわいろのこと。」

 音の持っている表情。音色イントネーション。イントネーションとは、ヨーロッパでは音楽の要素、音程リズム強弱ニュアンス等、総てを含んだ意味で使われているが、今はこのニュアンスの意味。又、音色は、言葉で言えば、使い方によっては、正反対の意味にすることも出来る、取って置きの表現方法である声色こわいろ)の事。

 しいて言うなら、に対して、き。

音の強弱?:「表情そのもの。」

 大きな音小さな音がある事は、いまさら説明することはないが、音楽で使う時は、ただ音量としてだけの強弱ではない。

 そこに何等かの表情や、意図が必要。雷の音などは、びっくりするような音量は当然必要だが、どんなに小さい音が必要でも聞こえなければ、まったく意味が無い。当然の事ながら、意外に、聞こえないまで弱くしている事が度々見られる。あくまで全体との相対的なバランスの上での判断が必要(アンサンブル)。

 表情としての音量は、まったく音色と切り離せない要素。無意味な音の強さが有ってはいけない。ましてや、ステレオの音量調整の目盛りのような決めかた、変化の仕方は間違い。

全体との相対的なバランスとは?:「演奏者のセンス。」

 音量だけでなく音色のバランスもとても大切な要素。音量のバランスにおいては、力の関係が何より優先してしまうので、全体的な関係が理解出来ていることが大切である。同じ空間の同じ空気を振動させるので、全体の響きのイマジネーションが、統一されなければならない。

 音色については、絵画における配色と同様に、背景になる響きと同系色であれば、埋没してしまい、それぞれが勝手に音色を決めれば、全体がはっきりしなくなる。いつもただ整うだけでなくバランスの妙が必要で、そこに演奏者のセンスが問われる。

響き?:「澄んだ音。」

 音楽で使う整った音を考えれば、ほとんどの部分は、澄んだ音の部分であり、音が立上がる時には、むしろ、雑音がある。
前者を普通響きという。響きの構成は、純正倍音で出来ている。声や吹奏楽器では、口の中の空間の形母音の発音の形、アンブシュアー)や、体の空間筋肉の緊張などで響きが作られ、自由に変えることができる。

倍音?:「音の成分。」

 一つの音と言えども、沢山の音が混ざり合っているのだが、無関係な音でなく、全て秩序だった関係にある。最も低い音を、基音と呼び、その音の振動の整数倍の振動数を持つ音、すなわち、倍音で出来ている。整数倍でなければ、打ち消し合って音にならない(位相差)。

体で響きを作る?:「体は楽器。」

 響きの作られ方は、弦楽器の構造からが理解し易い。まずと擦れ合い振動を起こす。その振動を、を伝わらせて共鳴箱へ伝え、共鳴箱の中で純粋な倍音を増幅させ、響きが折り合わないない音を減衰させる。声や管楽器では弓が弦が声帯唇リード駒が、骨格共鳴箱がに相当する。正に響きは体の中で作られる。

 ”楽器が良く鳴る”と言う表現を使うが、正しくは、”体が良く響いている”と言うべきだろう。

アンブシュアーとは?:「母音の口の形。」

 言葉を発声する時、口の中の形を変えて色々な響きを出している。その口の中の空間の形の事。

 我々日本の生活環境では、畳や障子など非常に無反響な音の環境に生活しているため、言葉の響きが、豊かにならないばかりか、母音の響きが固く、はっきりと話そうとすれば、怒鳴り声のように成ってしまう。テレビのドラマや、舞台の俳優のセリフがいつも怒鳴っているように聞こえるのがよい例だ。又、音楽教室に吸音板を張り、無反響室のようにしてしまうのも、その現れだろう。

 西洋の生活の音響環境は石造りの部屋、いわば風呂場の中で生活している様なもので、いつも残響反響のたくさんある所で生活するため、いつも澄んだ響きでなければ、とてもやかましく思える。そこで言葉をはっきりとさせるには、はっきりとした子音の発音と、豊かな響き母音が不可欠である。

残響、反響?:「音響空間の響き。」

 残響は、コンサートホールなどで2.5秒とか、3秒だ、などと言われるが、そもそもヨーロッパの建築の特徴の一つである、高いドーム型の天井が作り出す洞穴のような音響空間の響き。

 反響も残響を作り出すための要素だが、通常は、直接跳ね返った音を反響と言う。

音色?:「音の表情。」

 響きと同じ意味で使うが、音色には、 音の立ち上がりの表情、言葉の 子音の部分も含まれる。 音色の違いは、その音の 倍音の含まれ方によるものとされているが、音楽心理的には、音の立ち上がりの違いによって感じられるとも、言われている。

音の立ち上がり?:「子音のこと。」

 音の出だしの部分ははっきりとした発音の仕方と、噴きあがるような表情がある。我々が日常耳にしている音は、ほとんどがはっきりとした音だが、緊急を知らせるサイレンや風の音などは、通常はあまり聞かれない、はっきりとしない発音で、不安や寂しさなどの感情を呼び起こさせる。打楽器弦楽器(特に指で弾く時)やピアノでは、はっきりとした音の出し方しかできない。吹奏楽器では、タンギングのテクニックを使う。言葉の子音に当たる。

タンギングは、必要か?:「必要。」

 吹奏楽器において最も大切なテクニックといえる、舌を使い空気を最初から一定の圧力、スピードで、音を出す方法。

 音を出す時に、0から始めれば必ず音は、ドップラー効果の為、音程がうわずりそして落ち着く。どんなに速く息を出しても解決は出来ない。そのために、まずは口の中に安定した時と同じ息の圧力を貯え、舌で唇の隙間やリードに栓をしておく。あとは、栓を抜けば、すぐに安定した音が得られる。

 言葉で書けば難しいが、我々が話す時の子音の発音と同じ。「パッ」と、言う時の”P”の子音が最もはっきりとした発音で、舌を添えれば上手なタンギングである。アタックという言葉も使われるが、攻撃的に強いイメージがあるので、誤解を生じやすいが、どんなに優しい言い方でも、はっきりとした発音はかかせない。

 我々日本人にとって、はっきりとした発音が苦手であるのは、生活の場での音響に残響が少なく、日本語はたとえ子音が無くてもさほど困らないが、西洋建築や、風呂場のような残響反響の多い空間では、聞き取りにくくなる。例えば、”あおいいえ”の様な、子音の無い意味のある言葉は、世界でも珍しい。

ドップラー効果:「救急車のサイレンの音。」

 アインシュタインの相対性理論で使われ、よく知られるように成った理論。

 救急車が近づいて来る時のサイレンは音が高く、遠ざかって行く時は、低くなる事を説明した理論。空気の波が近づいて来る時は、その間隔が走ってくる車のスピード分縮まり、音が高くなって聞こえ、遠ざかるときは、その分伸びる為に音が低く成って聞こえる。吹奏楽器に限らず、移動しながら音を出せば、音程は変化する


<あんさんぶる>

アンサンブルとは?:「お互いの意識。」

 音楽を演奏する時に最も大切な行為。

 聴衆も含め他人を思いやる気持ちでもあり、お互いの意識無しには、良い音楽は、有り得ない。たとえ無視をしていても、相手を意識しての無視は、また表現と言えるかもしれない。その様に、全体においての自分の関わり合い方が、全体の表現を左右する。よい演奏は、互いの存在を認め合い、それぞれの主張に耳を傾け、それに答える。ただそれぞれが、整然と音を出しているだけの演奏は、どんなに正確であろうとも、よい演奏には成り得ない。そういった意味では、演奏は毎回違った物になり、常に即興性を持っている。

即興性とは?:「自然な関係。」

 具体的には、もし誰かが少し早く出てしまったとすれば、その次に出る音が、元に戻そうとするか、或はより助長してテンポを早めるかを判断し、決定されなければならず、そこにおのずと、その人の意志が反映される。すなわち、前もって決めておける事でなく、即応性が必要。

 音程についてはもっとはっきりと意志が反映される。前に出された音と繋がる音であるかどうかは、次の音で決定される。すなわち、前の音と自然な関係の音程であれば、例え機械的に正確に捉えられていない音でも、繋がっていると言えるが、あえて機械的に正しい音に修正をすれば、もう前の音とのつながりは、無くなってしまう。

和音では、決まった音程が必要ではないのか?:「決まっていない。」

 和音ハーモニーさせるには、常に最低音(根音)が、その和音の音程を決定しているのであり、やはりどんなに機械的に正確な音であろうと、低音との関り合いが外れていれば、聴く側にとって、ハーモニー(協和)しているとは思えず、正しく思えるのは、低音であり、上の高い音は、外れたと思えるのである。やはり、相対的に対応しなければならない。

合奏では、統率者が必要ではないのか?:「合奏は、理想社会。」

 音楽の演奏形態は、一見全体主義的な統率が必要な集団に思えるが、全く理想的な社会構造で成り立っていると言える。一人の意見であろうと、決して見過ごせず、おのずと全体に影響を及ぼす。しかしそこには、多数の原理も働くが、ただ力関係だけでは、全体は方向は左右されるとはかぎらない。常にアンサンブルされている。


指揮者について>

指揮者は、統率者ではないのか?:「奏者の一人。」

 指揮者も同じくアンサンブルをしている。奏者となんら変わらない。独裁者のように思えるが、もしその様に振る舞えば、墓穴を掘ることにしかならない。一時期、旧ソ連で指揮者が独裁者的であるので、指揮者無しでオーケストラが演奏を試みたが、完全な失敗に終わった経緯があり、やはりオーケストラには指揮者が必要であるというのが証明された。指揮者は、リーダーである事には間違いはないが、一人一人を、棒先一本で操っているのではない。全体を眺めながら、よい方向に進める義務はあるが、無理矢理自分の考えを押し付ければ、混乱を引き起こしてしまう。かつては、指揮者オーナーであった時代には、その様な事も見られたが、今ではあり得ない。

指揮者が皆を引っ張っていくのではないのか?:「全員で進んでいく。」

 昔の有名な指揮者の言葉に、「指揮は、キャリーするのでなく、ドライヴしなくてはならない。」と、いうのがある。奏者側も、指揮者に指示に従うのでなく、自らの意志を持ち、互いの関係を強く持ち音楽を進めて行かなくてはならない。一つの有機体と成れれば理想である。悪い指揮者を「ファーストバイオリン指揮者」と呼び、自分が先頭に立っていく指揮者を、戒めている。

 アンサンブルは、正に二人三脚。お互い助け合いながら全員が、進めていくものである。

 別稿「指揮法」参照


<音楽への理解>

音楽の理解?:「作曲家への理解。」

 音楽は、音で語られる物だが、自分の作曲した音楽以外は、楽譜を通じて作品作曲家に対する理解が必要。楽譜は物を言わないので、見る者が積極的に読み取っていくことが必要。やはり大作曲家といわれる人の作品ほどその意図が理解しやすい。ゆえに、内容の深さも感じ取れる。

音で語る?:「自分自身の言葉(音楽)で。」

 楽譜に書かれた音楽の文字は、音符。そしてそれらに付けられた記号標語から作曲家の頭の中をのぞき見、どのような音が、旋律が、作曲家の頭の中で鳴っていたのかを探り出す作業がまず必要。そして、それをあたかも自分自信で作った音楽であるかの様に。歌ったり楽器を奏し聴衆に話かける。

楽譜とは?:「音楽の設計図。」

 作曲家が、演奏者に自分の意図を伝える、設計図。縦軸に音の高さ、横軸に長さ(時間)をとった、グラフと言っても良いだろう。

 その他ダイナミック記号や、いろいろな記号や言葉(標語)を書き込まれているが、正確に演奏家に伝えようとするため、合理的な記述を書き加え、かえって読み取りにくい場合も多い。改訂版の多い作品も意外に初版がよく使われているのも、その為かもしれない。

音符とは?:「音そのもの。」

 音の高さを玉で表し、縦線やひげ等で時間の長さを表す。

記号、標語とは?:「注釈のこと。」

 200年ほど前、すなわちモーッァルトの頃までは、ほとんど音符だけしか書かれていなかったが、より正確に作曲家の意図を伝える為に、又は、奏法を整える為にいろいろな記号や標語が書き込まれるようになった。アクセントスタッカートスラー等の記号は、最初は弦楽器の奏法を定める記号として書き込まれた物。特に注意が必要なのは、作曲家の記述だけでなく、後世の編集者が書き足したものもあるので、元の記述を復元されなくてはならない事だ。

ダイナミック記号は?:「音の強さではない。」

 f などの記号で表されているが、単に音の強さだけを表わしているのでなく、色々な表情を教えてくれている。ff ppは倍の強さ、mf、mpは、半分の強さ。(メッツォ)は、半分という意味。

 本来の役目ではないが、記号の書かれた場所から、フレーズの始まりを知ることも出来る。自筆の楽譜ならより明確に解る。

学校で習ったことと違うのか?:「十分ではない。」

 通常学ぶ楽典(音楽の基礎的規則を学ぶ学科)では、本来の意味には、あまり触れず、対処の仕方を教えるために、かえって誤った表現になる場合が多い。

例えば、
 スタッカートは、短く(1/2に)演奏することでなく。 軽く、あるときは重く一つ一つの音をはっきりとさせたい時に書かれる記号である。

フェルマータは、イタリア語で”止まる”意味で、程よく伸ばす意味ではない

スラーは、滑らかに奏するには違いないが、元来弦楽器の弓のチェンジをも示すので、必ずしもフレーズ音楽のまとまりを示すとは限らない。

音楽のまとまりとは?:「モチーフ。」

 音楽も言葉と同様に、旋律文章単語等、に分けて考えることができる。楽譜の上では、小節線拍節がある為、それがまとまりを探し出すのを、難しくさせている。聴いてみれば、何でもない事。

 話しをするときと同様に、せめて意味を成す最少単位(モチーフ)を考えていなければ、聞く人には、解り難いものとなる。特に、吹奏楽器では、音程の不自然さの原因にもなる。

 ”よくわかる音楽だ。”とか、”わからない!”と言われるのは、多くの場合この点の処理の為であろう。

第三部楽譜の読み方 参照※(未収録)


<音程の問題>

音の高さ(音程)とは?:「自然の音の関係さ。」

 元来作曲家は頭にある旋律を、現わそうとしている。
 音の高さは、自然界にある音であり、単純に12の音で表現できるはずはないのだが、おおよそ1オクターブの内を12の音に分類をすることができ、そのおおよその分類により並べられたのを、平均律と呼ばれ、普通ピアノや、オルガン、鍵盤楽器等は、この音に調律されている。

調律は?:「チューニング。」

 チューニングといえば、オーケストラの演奏会などで、最初オーボエが 基準になる”A”の音を出し、全員がそれを基に自分の楽器を合わせている作業の事。

 弦楽器においては、いつも楽器の状態が、変化する(木であるため温度湿度により膨張したり縮んだりする)ので、頻繁に行う必要がある。ただし、元来音程を決めるのは、指の押さえる場所であるので、微妙な音程は、指で行う。

 管楽器においては、基本的には必要無い。なぜなら日によって、あるいは環境によって、楽器の長さや、容積は変わらない、もしくは、変わっても影響は少ない。前もって一定の調律をしておけば、ほとんど問題はない。リード楽器などは、リードの変更により若干の変更が必要な時がある。それゆえに、調整がしにくいオーボエから始める習慣が出来た。

なぜチューニングをするのか?:「中心を知るため。」

 楽器は、その振動体の容積比重固有の振動が決まる。しかしその容積が決まるものは、楽器の中の空気であるが、比重は、その空気、すなわち息の温度に左右され、息のスピードは、ドップラー効果を引き起こす。其の為、楽器の音程にいくらかの幅を持たせてあるので、その中心を求める必要がある。しかしそれは、何も舞台の上でする必要はない。

では、何をしているのか?:「演奏状況の把握。」

 それは、音程を変えるもう一つの要素である、体の状態や音程感覚を定める為と、それぞれのチューニングだけでなく、会場や全体の音の響きのバランス感音色感の確認が、主な目的。

純正律、とは?:「心地好い音律。」

 音は、倍の振動数になると、1オクターブと言い、全く同種の音として感じる。3倍になると、その又1オクターブ上の間のほぼ中間に当たる音に感じ、それを繰り返すと、12順番目の音は、ほとんど元の音に近い音となる(5度円)。

 そして、1つの音の中にも多くのこの関係による音が含まれている。これを 倍音と言う。この音ばかりで 音律を作れば、とても完全に協和しあう 音律になる。これを純正律と呼ぶ。

平均律とは?:「不自然な音律。」

 しかし、いったん基準になる音が変われば、かなり違った 音律になってしまう。(純正律の音階をグラフを書けば放物線に成るので、基準を変えれば、元のカーブと外れるのは想像できる。)そこで、おおよその音を決めたのが平均律である。そのため正確な平均律の音は、1オクターブ離れた音同士以外は、歪んでしまう。それでは美しく協和した音楽が聴かれるはずは無いのだが、音はとても融通性がありいつも協和しようと変化する働きを持っている。力の強い音や、数多く出てくる音が基準になり、他の音は、それに協和するように変化する。共鳴の作用である。

音律とは?:「音階のこと。」

 音階と言ってもよい。昔や、世界各地には、いろいろな音階があるが、その基準になる音(主音)と、その音の低い倍率の 倍音が根幹をなし、全体が 親子関係にある。

どうすれば、よい音程が得られるのか?:「音楽を知ればよい。」

 最も大切なことは、全体の音楽を知る事である。知るとは、大変漠然としたものではあるが、我々が言葉を話すときには、いつもしている事である。内容を理解せずに、たた読んでいる文章は、聞き取りにくい。まずは、何を言おうとしているのかを理解すること。音楽では、簡単にいってしまえば、その調であり主音である。音楽は、常に主音に戻ろうとする。あたかも地球上の重力の様に。

 それゆえ、逆に無重力の宇宙空間を表す音楽は、調性感の無い曲(12音音楽等の無調音楽)が使われる。その主音に戻ろうとする力が、その音楽の調を教える。ゆえに演奏者は、常にその主音を意識し、そこへ戻ろうとする力を、感じなければならない。もちろん音により、その力が違う。

 又、主音に戻る力の1番強い音(属音)にも他の音にも又、引き付ける力がある。その様な入れ籠状態(フラクタル)もある。だから全体を知り、最終的には、どこへ行き着きたいかを知る必要がある。

具体的には?:「声を出すように。」

 我々にとって、最も頼れるのは、自分のであり、それを使ったであろう。ある高さの声を出そうとすれば、その高さの音に最も自然な体の状態( フォームささえ)を作る。ゆえに、全体の音楽を知り、最終目標が解れば、そのフォームで全ての音を出せばよい。そうすれば、出そうとする音が、全てその 倍音になり純正律の 音律の音になる。

 しかし、すべての音が同じ様に気持ちよく出るわけでは無い。もちろん主音に近い倍音に当たる音は、気持ちよく響くが、遠い倍音の音は、かなり辛い。 それだけでなく、その音の出たときの他の音との関係(和音)、すなわち、ハーモニーの基準音(根音)との協和関係で変わってくる。

 そしてその根音と協和しない音を出す時の、その辛さは、他の音との歪みの抵抗ストレス)を作り、色々な感情を引き起こす表現の力となる(非和声音の働き)。そしてそれが次の音へ移行したときに起こる解消感(解決)は、とても爽快な感覚をもたらす。しかし、1つ基準を取り違えると、その関係が反対になってしまう。それだけに全体を知り、他の音に気を配り、細部にわたる関係を理解すべきである。

第三部楽譜の読み方 参照※(未収録)

フォーム、ささえとは?:「声を出す時の体の状態。」

 とてもよく使われるが、説明の難しいものの一つだろう。例えば、ある音を歌ってみる、又違った音を出してみる。そうすると、腹筋の力の入るところが変わり、同じ音なら同じところの腹筋に力が入る。その力をささえと思って良い。

 もちろん音によって変わるが、頻繁に変えるのでなく、なるだけ同じ様に(常に主音に)保ったほうが良い。又、高い音のささえでは、低い音は出ないが、低い音のささえだと高い音は、豊かに確実に響き、純粋倍音の音しか出ないのでとてもよい音程になる。

 音程の外れの原因は、ほとんどこのささえの基準の取りかたの間違いの為である。

よい音程とは?:「他の音との関係で決まる。」

 常に協和する音程、ではない。音楽の要素に、ハーモニー和音)があるが、総ての音がいつもハーモニーしているかと言うと、そうではない。

 ハーモニーする音を和声音、させない不協和を起こす音を非和声音という。それらが混在している。

 旋律を作るには、どちらの音もなければ、美しく聞こえない。なめらかに隣り合った音へ動く旋律は、この2種類の音が、交互に現れる。

 協和しようとするのに抵抗を示すのが、非和声音といえる。和声音は、倍音関係にある純正律の音でなければ、整った歪みの無い音にならない。常に、その時の基準音、すなわち最低音(バス)との関係で決まる。

ハーモニー、和音とは?:「複数音から成る響き。」

 2つ以上の音によって起こる響きの変化。

 和声学では、根音と、そのもっとも協和関係にある属音と、其の中間にある音と合わせて、3つの音から成る三和音のこと。そしてその根音が主音と属音、下属音を取る三和音を主要三和音と言い、そのハーモニーは、その音楽の持っている調子(調)の基準音(主音)に近い倍音で構成され、其の調を特徴付ける主要な働きを持っている。

いつも和音を考えていなくてはならないのか?:「無視はしない。」

 和声学という学問が発達している為、「総ての音楽は、和音で出来ている。」という言い方があるが、音楽を分析すれば、その時々一瞬の切り口が、どの様であるかを説明するものが和音であり、和音で作られているのでない。

 音は、常に倍音を含んでいるために、次々と出される音の余韻が残って重なりあい、協和するものはますます増幅し、不協和の音は消されていく。

 全くの、自然における現象で、ハーモニーしているかどうかを意識していなければならないが、ハーモニーさせようと考える必要はない。

ハーモニーと、旋律線とどちらが大切か?:「旋律が大切。」

 もちろん旋律線。ハーモニーさせるのでなく、旋律同士が、お互いの存在を意識しあえば、そこに歪んだり協和したりして、ハーモニーの変化が生まれる。

伴奏にも旋律は、あるのか? :「常にある。」

 ある。常に全ての音楽は、旋律で出来ていると考えるべきだ。音が意味を持つには、2つ以上の音の組み合わせが必要。
ごくまれに、「あっ!」、「 おー!」、「 や!」 などの掛け声やびっくりした時などの様に、単音だけの表情はあるが、ほとんどの場合は複数音が組み合わさって、意味を成す。ただ単に背景のようにハーモニーの響きだけを作っている様でも、必ず旋律を持っているはずだ。

 延々と続くバスの保持音も、最後には終止する解決音へ繋がる。又、休符が有っても続いている旋律もたくさんある。

常に、旋律を見つけようとする事が必要?:「楽譜には示されていない。」

具体例は、第三部楽譜の読み方 参照※(未収録)

 楽譜は、カタカナひらガナばかりで書かれた文の様な物。アルファベットのように単語の間にスペースもない。ゆえに、言葉の単語にあたる最少単位を、読み取らなくてはならない。

小節線が、切れ目ではないのか?:「関係無い。」

 小節線は、句読点等では無い。むしろ、小節線をまたぐ場合が多い。なぜならヨーロッパのイントネーションは、言葉の最初にアクセントが来ることは、まれで、強調する時などだけ。普通は、冠詞を持っている為もあって、その後に、アクセントがくる。その様なイントネーションが、日頃使っている旋律感に成っている。だから反対に、日本の旋律は、強拍から始まる事が多い。ゆえに、小節線のところで旋律が切れることが多くなる。

 やはり、ロシアや、チェコなどの国の音楽も言葉に冠詞を持っていない国の音楽は、旋律が日本と同じ様なイントネーションを持っている場合が多い。又、旋律は、楽譜上で作られるのでなく、頭の中で、それぞれの音を即興的に飾り変化をさせて書かれている為、そのパターンを読み取ることも必要。ただし、そのパターンも数種類に分けられるほどしかない。

第三部楽譜の読み方 参照※(未収録)


<リズムの問題>

リズムとは?:「音の表情。」

 旋律イントネーション抑揚)のこと。言葉を話すにも、調子のいい口調を、リズムが良いと言う。踊りのリズムも、元は言葉のリズムから始まっている。機械的にテンポを守って、拍子通りに時間を区切ることではない。すなわち、リズムは、それぞれの音の表情であり、音の組み合わせ方ではない。したがって、リズムのグループのどこにアクセントがあり、どこを短くするなどの説明は、正しくない。

シンコペーションでは、アクセントを替えると言うが?:「間違い。」

 シンコペーションでは、”最初の強拍に来る短い音を、弱くスタッカートを付け詰まったようにし、次の音はアクセントをつけなくてはいけない。”と言った教え方があるが、全く本質的でない。最初の強拍に来る音は、その前からの旋律の最後の音であり、落ち着き静止する。その表情を破って、突然新しく次の旋律が飛び出して来る様に始まる事が、シンコペーションである。だから、いつも”タッ、ター、ター”のようなパターンばかりでなく、同じ長さの音ばかりで出来ている旋律の場合でもシンコペーションが、起こることは度々ある。

強拍、弱拍とは?:「説明の用語。」

 イントネーションを説明するには、とても便利な解りやすい方法。

 ただ間違いやすいのは、あくまで説明の為に使われ、演奏の時に強くしたり弱くしたりする事ではない。

 拍の頭小節線の右側は、強拍で他の部分よりも強い。拍を2つに区切れば、区切れ目の最初は、やはりその他より強くなるが、大きな拍の区切れ目よりは弱い。3つに区切れば、それぞれの区切れ目の最初は、他より大きいが、三つの部分は、それぞれ、強、弱、弱といわれるが、実際には、これはメヌエットのリズムぐらいで、普通には、スイングする様な、強、弱、中強の方が正しい。

 ただし気を付けねばならない事は、拍の最初が強拍である事と、フレーズの始まりであることとは、一致しないことである。日本人の、言葉のイントネーション特に標準語では、強拍から始まることが多いが、一般的には、その前に弱拍を伴う事の方が多い(アウフタクト)。

リズムの表情とは?:「響きの変化。」

 音の表情を形で表せば、自然界の音は、ほとんどがこの様な段々と消えていく音。

図 1

 ブザーやかの羽音、機械から出るブーンと言うハムの音などは、ほとんど変化しない音。ガラスが割れた音などは、一瞬の音。余韻があるように思えるのは、心理の問題だ。

 パトカー等のサイレン、風の音などは、特別な音の始まりがあり、それが日常的でない心理を、呼び起こす。

テンポ、拍子とは?:「流れを現わす言葉。」

 テンポとは、イタリア語では、流れ速度という意味。速度メーターも、テンポメータ。同じ様に、数字で基本単位である拍の、1分間の数を表わしたものが、メトロノーム数字

 は、そのテンポを示すための、目盛り。同じ1秒間の音でも、1拍と取れば、ゆったりとした流れを感じ、2拍にとれば、行進して歩く流れで、ちなみに2歩分の長さ。

 目盛りであるので、それを強調するとき以外は、目立つ事はない。そのが、2つ3つ4つと集まって、一定の繰り返しが定まれば、それぞれを、2拍子3拍子4拍子という。

拍のリズムは?:「イントネーション、ステップ。」

 音楽は、踊りにルーツを分けられる。歌のリズムは、イントネーション。踊りは、ステップ

 ステップのリズムは、大別すれば、2つに分類できる。1つは、馬の走るひずめの音の様な”パッカ パッカ”という様な、弾んでしているような、不均等なリズムで、複合拍子と呼んでいる。もう1つは、均等に拍を2等分したリズムで、単純拍子と呼ぶ。

単純拍子が、音楽の基本か?:「単純拍子は、自然界には無い。」

 単純拍子は、人の頭で考えられ19世紀初頭の頃から平等思想と共に発達してきたが、複合拍子は、心臓の脈をはじめ自然におけるリズムと言え、ずっと昔より、音楽のリズムの中心であった。

 近代の音楽では、もう一つ、混合拍子と言う単純拍子と複合拍子とが、交互にあらわれる拍子があるが、ギリシャや中東、などでは、昔からの踊りのステップには有った。

3/4拍子と6/8拍子とはどう違う?:「2×3、3×2」

 3/4拍子は、単純拍子の3拍子。6/8拍子は、複合拍子の2拍子。であるが、どちらもが振り子の動きスイング)である。

 元来そのスイング楽譜に書き表そうとすれば、2:1の不均等な割合のリズムを考える。それを足せば3(拍子)またそれが2つ集まれば、2倍の6(拍子)であり、3つ集まれば9拍子、4つで12拍子、決して、均等に区切られたリズムではない

スイングとは?:「ぶらんこの動き。」

 振り子の運動の事。ただし、基点(拍節)は一番下。すなわち最後に止まる位置にあり、始まりも終わりも、そこが基点になる。そこからの動きを考えると、2拍で持ち上がり、1拍で元へ戻る。

 一番上を基点に取れば、動きの表情が変わってしまう。常に基点は、一番下に取らなくてはならない。

 拍の基点の取りかたもイントネーションの係わりが有り、日本では、デジタル的に拍節の部分を意識し、西洋ではアナログ的に拍節間の表情を意識する事により、違いが生まれるとも言える。

インテンポは必要か?:「出来ればよい。」

 テンポ感覚は、音程感と同様、演奏者の大切な能力。また、音程感より、感覚が不安定。ゆったりすればどんどん伸び、忙しくなればどんどん急ぐ。音がしなければ、緊張感が高まり、がまんしきれないが、聞いていれば、すぐに時間が立つ。ゆえに、感覚の矯正が必要、その為のトレーニングとしてインテンポは、不可欠。しかし、演奏には、自然な流れの為に揺らぎも必要。ただそれが認識されなければ、表現にならない。聞く側に心地好い流れに成らなければならない。もちろん、とても正確なテンポを要求される場合もあり、インテンポ感は必要。

リズムの表現はどうすれば良いのか?:「話すように。」

 音楽は、流れ動きを持っているということは、一つ一つの音に流れや動きの表情があるという事。いつも同じ流れ方では、どうしても単調な音楽になってしまう。オルガン電子音の場合等は表情が付けられず、それを補うためにテンポの変化を意識的に行う。反対に、変化させない効果を使えば、非常に切迫した効果があり、興奮を与えることもできる。打楽器やピアノでは、発音の時にすべてを表現し後は余韻に頼るのだが、その他の演奏者にとっては、その音の伸び方がリズムであり、音楽の流れを作り出す重要な表現手段だ。その音が終るときにも、次の音へ繋がろうとしているのかどうかも、表現できる。

図 2

a:音の立ち上がり方、b:音の伸び方、c:音の終わり方、

(それぞれの箇所で、表現する事ができる。)

 一般には、ピアノや打楽器の表現方法が説明し易く、その音の強弱関係でリズムの表現を教えようとするが、イントネーションとしてリズムを捉えなくてはならない。くり返しになるが、決して時間の割り振り方ではない。

 普段話しをしている様に表現出来れば良い。

時間の割り振り方とは?:「意味を考えずに読むこと。」

 いつもリズムを楽譜から読み取る時に、1拍の中の区切り方や、何拍あるかといった様に考えるが、旋律として見れば、の存在は、見えてこない。作曲家が、自分のイメージを分析し、機械的に拍を計って書かれているので、拍の途中から飛び込んで始まるような時には、その前の旋律の終わりの音は、本来の必要な音の長さが途中で切られてしまう事になる。

 馬の走り方も、”パッカ、パッカ”も”パカッ、パカッ”も同じリズムに書かれている。字に書かれていても、前者はゆっくりのんびりと歩いているようで、後者は、走っている表情であると解るが、楽譜の上では判別するのは難しい

付点のリズムは、拍単位ではないのか?:「小さい音は、飾りの音。」

 基本的には、西洋では、日本の民謡等にある”こぶし”の様に、長い音の後に音が装飾されることは、めったに無く、まず最初に飾りの音が来る。だから、小さく細かい音は、その後にくる本来の音を装飾する様に付けられなくてはならない。そうすれば、おのずと本来の音が拍の頭に有り、飾りの音はその前に飛び出して来る事になる。むしろ、飾りの音を拍の最初に入れようとすることは、不自然であり、その様に意識しなければとても難しい。しかし、実際に演奏する時には、前に出そうとしなくても、自然に前に出て来るものだ。

 このように始まる所のことを、アウフタクトと言っている。

 

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 モーツァルトは、常にアウフタクトを持つ音楽の流れが好まれていたその当時の宮廷に、あえて反発し、強拍から始まるように創り貴族や、父親への反発を示したことは、知られている所である。又、ベートーヴェンは、田園交響曲の中で、同じ形の音形を、アウフタクトの無い形で、田舎へ着たときの様子に使っている。その時の田舎は、今のハンガリーやチェコ、スロバキアなどの地域だが、その地方の言葉のイントネーションであることは、間違い無い。フランスに近いボン生まれのベートーヴェンにとって、とてもユニークなイントネーションであった事だろう。

第三部楽譜の読み方 参照※(未収録)

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<作曲について>

作曲とは?:「組み合わせのこと。」

 その言葉のままを英語にすれば、ミュージック クリアエイターとでも言えるように、ポピュラーの世界では、旋律を思い付くままに書き留める仕事を言うが、元来は、コンポーザーと言う言葉を使う様に、旋律を巧みに変化させたり、組み合わせたりする事を言う。旋律は、自分で作る場合もあるし、昔からある旋律を使う時もある。モーツアルトもベートーヴェンも他人の作った旋律を使って沢山の曲を作っているが、誰も盗作とは言わない。

 変奏(ヴァリエイション)や組み合わせ(コンポージング)それに、オーケストレーションによる表現が、作曲の仕事である。

作曲家の表現は?:「ストーリーを作ること。」

 一言でいえば、ストーリーの展開を作る事。起承転結を持たせながら提示、発展、展開、結論を順次行う形式は、まったく音楽のソナタ形式の考え方と同じ物である。西洋音楽の発展の大きな力となった、オペラの事を考えても、物語と音楽は、切り離せない。

 近代あるいは、バロックの頃には作曲家自身が演奏した事もあり、かなり純粋に音楽としての価値のみを考え書かれた作品もある(音楽至上主義)。

ストーリーの展開とは?:「時間の経過。」

 芝居の台本と変わりはない。楽譜の事とを、スクリプト(台本)と言う時もあるくらいだ。むしろ、戯曲に書かれるよりもっと立体的に表現でき、かつ、時間の経過をリアルタイムで書く事が出来るのが最大の特徴と言える。

立体的?:「ポリフォニー。」

 カノンとかフーガと言った形式がある。同じ旋律が、少し始りを遅らせたり、違った旋律を同時に演奏したりすると、あるときはとても美しく響いたり、あるときは濁った響きがしたりする。その違った旋律が相互に係わり合う面白さがある。その様な音楽をポリフォニー音楽と言う。

 その時々の響きを説明するのが、和声)、ハーモニーである。

作曲家が演奏する?:「昔は、作曲家=演奏家。」

 バッハの頃、演奏家と作曲家は、同一であった。すなわち、演奏は作曲をする事であり、演奏だけをする者は音楽家とは見なされていなかった。現代でもまたコンピューターミュージックが盛んになると同じ様な事に成りつつある。

どの様に演奏(作曲)されていたのか?:「即興で。」

 方法は、即興であったが、思い付くままに旋律を演奏すればすぐに行き詰まり、新しく作るには限界がある。そこで、基本的な旋律を基に変奏を加えて行く、更に又、その変奏に変奏を加えていく。

即興はどの様にするのか?:「パターンの組み合わせで。」

 難しいことではない。一つ一つの旋律モチーフ(動機)を幾つかの決まったパターンで変えて行く(装飾する)。ほとんどが、演奏での指の動き方のパターンと言っても良いだろう。偶然の場合も珍しくはなかっただろう。それが又その人の個性と評価される事に成る。

ジャズの即興とは違うのか?:「昔の音楽の化石。」

 全く同じ。ジャズは、バッハ当時ピューリタン達が、その当時の音楽をメイフラワー号に乗せ、アメリカに持ち込み、奴隷達の故郷のアフリカの旋律を基に、発展させた音楽であり、バロック音楽の原形を持っている。

今の作曲の方法は違うのか?:「同じ。」

 何も違う物ではない。即興されたものを楽譜に書き留められているだけである。もちろん後から手を加えたり、大きな構成を組み立てたりしている。

 ただ作曲家は、沢山の人達に演奏してもらう為に、直接言葉を交わさなくても意志を通じる様に、いろいろな記号等で、音符を補う。

今の作曲家は、演奏家ではないのか?:「専門化が進んでいる。」

 近代社会では分業が進み、音楽の世界でもほとんど作曲家と演奏家とは、分離されている。しかし、作曲を学ぶためにも演奏技術の知識が必要であり、演奏家としても大成している人もたくさんいる。ただ総ての楽器等の演奏技術をマスター出来ないので、十分な記述にならない場合も多い。逆にモーツアルトの様に、父親に立派なヴァイオリン教師を持てば、その記述は、大変的を得ているので、後の演奏家や編集者の補足は、必要無い。

演奏家は、作曲家に解説を求めるべきか?:「真意は明かさない。」

 楽譜の記述だけでは意志の疎通が十分で無いのだから、作曲家が生存していれば当然解説を求めたくなるが、多くの場合解決には至らない。なぜなら、その作品の成り立ちには、作曲家の思惑だけでなく、生い立ち深層心理等の、作曲家自身にさえ気が付かずに作られた要素も多く存在するし、触れられたくない部分だってあるだろう。質問に対し”どちらでも良い”とか、”大した意味は無い”などの答えがよくあるが、その作曲家には何でもないことだが、他人にとっては特別な事も数多くある。

 意外に楽譜には、その人の素顔が見えるものだ。楽譜は、作曲家にとっての唯一のコミュニケーションの手段で有り、他人に解らない物では意味が無いし理解してもらえない。すなわち存在しないのと同じ事だ。

作曲家は天才か?:「努力のご褒美が、才能。」

 最初の質問へ戻るが、全ての作曲家も習い学んで素晴らしい作品を産み出している。

 何の努力もしないで才能を当てににして、音楽は何も出来ない。

第一部終わり。
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