5月に読んだ本


5月1日 『パブリック・スクール』 竹内洋

 読むつもりではなかったが、4月のはじめからコンピュータをあげる間の2,3分読んでいたらいつの間にか100ページを越えてしまったので最後まで読んだ本である。
 イギリスのパブリックスクールの説明から、始まって副題”英国式受験とエリート”とある通り、イギリスの中等教育機関を全般的に述べた本である。
 イギリスの大学へ入学するためにうけるАレヴェルの試験(大学受験の基準となるのであって入試ではない)には、日本語もあるそうである。でも日本で出る英語の試験と同じで、変なものがあるそうである。
 この本の中で

 ・・つまり英国を含めたヨーロッパ社会は、一見だれにでも公平な能力主義による選別という建前の陰に上流階級文化を所有しているかどうかが問われる社会なのだ。支配=上流階級文化から距離のあるものは、能力や資質にかけていることになってしまう。ブルデューが協調してやまないのは、建前としてのメリトクラティック(能力主義的)な選抜が覆い隠すこうした事実である。

 とあり、

 近代社会の普遍主義(能力主義)的選抜は、・・・・、実は文化的な選抜を行っている。エリートの選抜は単に学歴や能力だけでなされているわけではない。エリート集団には独特な思考様式、立居振舞、思考など特有のエリート文化が付随している。

 とあるが、確かにその通りだと思った次第。

5月2日 ”The changing status of Russian in the Soviet Union"  Isavelle Kreindler  『International journal of sociology of language』33 1982 7-39

5月2日 『ムントゥリャサ通りで』 ミルチャ・エリアーデ

 前に読んだ『ダヤン・・・』にはまり二冊目を図書館で読んでしまった。  ブカレストの小学校の校長先生と名乗る人が、ある自分の教え子であった男を訪ねたところから物語は始まる。
 校長先生の話というのが、やたら長い上にあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと定まらない、長々と話している内に、それを最初に聞いていた人が逮捕され、次に聞いていた人も逮捕、そして彼の話を聞く人は段々と高官になってゆく。
 しかし話していることは荒唐無稽。ほら話に聞こえる話であるが、彼の教え子の友人、その人も彼の教え子であるが、彼について最終的に何を知っているのかを誰もがそれを聞きたがっているがなかなか、最後まで行かない、そして話は結局、最後までその最初に尋ねた教え子の友人の最後の話まで行かないで終わり・・そして、どういう訳か振り出しに戻る。振り出しに戻ると、今度は、ある人が、その彼が訪ねた教え子の友人ことを知っているかと聞かれるとその校長は「知らない」と答える。そして、その校長に尋ねた人が、ある人の乗る車に訪ねてきて、こういう「(その教え子の友人の名前)、あなたのことを知らないといってますぜ・・いずれはっきりさせます。・・・」何のことだかよく解らないが面白かった。(何で面白いと感じたのかも不明)

5月3日 『日本民族指導原理としての汎ツラニズム』 ツラニズム協会

ハンガリーの皇帝に日本の皇室から人を取ってこようという議論がハンガリーでなされた。という話からこの本は始まる。そのころも驚くべき話であるが今聞いても確かに驚くべき話である。
 この本は、神保町へいったときに見つけたトゥラニズム(turanism)関係の本の一つ。私のところにはあと二冊ある。5月中に読みたいと考えている。
 持っている3冊の本の中でこの本が一番古く昭和7年に出版されている。他に昭和8年、昭和16年に出たものがある。この本は74ページ。昭和16年に出た本が一番あつくて内容も充実しているようだ。時間を追って読んでみたい。
 トゥラニズムといえば、日本から朝鮮、モンゴル、チュルク、フィン、ウゴル系の民族をまとめたトゥラという民族を想定し、トゥラ民族をまとめようとする運動である。トゥラとは今の中央アジアあたりをさす言葉らしい。この本の最初のページにはトゥラ民族の住んでいる領域ということで地図が載っているが、日本から中央アジア・シベリアを渡り、フィンランド・トルコ・ハンガリーまで至る広大な領域である。
 因みに最初にこの言葉を知ったのは、ジヤ・ギョカルプの『トルコ主義の諸原理』からである。
 ところでこの本が出た昭和七年といえば1932年、ただこの本のあとがきでは1931年12月になっていたから、満州国ができる前ということになる。そしてもう一つ考えなければいけないのは大恐慌のまっただ中であったことである。つまり、大恐慌によって様々『持てる国』が自分たちの植民地の領域の囲い込みをはじめた頃ということになるだろう。
 時期から考えれば、トゥラン主義はそのような「囲い込み」への反応と取ることができる。

ヤポン・ダンザンってだれや?

反漢だから日鮮同祖論

満州の漢化の責任は日本にある!!

「朝鮮は何れかに領有せらるべき運命を持っている」!!
 どこが持つのが当然か→日本!!

 だから創始改名もO.K!!
といったようなとんでもない意見・・・
工業だけではやっていけない、自給自足を!

5月4日 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラス・カサス

5月5日 『Soviet diplomatic maneuvers: an episode in the history of the far eastern』 Grant Natalie

5月5日 「О характере деятельности исполкомов и нарревкомов северо-востока в период двр(1920−1922 годы) Б・И・Мусачев 『История и культура народов севера дальнего востока』

さてロシア革命というのは、だいたいモスクワやヨーロッパロシアが中心で、シベリアにも確かにいろいろな人が追ったけど、カムチャッカあたりは視界から消えているところじゃないかと思える。
 この論文はその視界から消えている部分について簡単にまとめた論文である。

5月10日 『神軍、緑軍、赤軍』 山内昌之

5月11日 『イーゴリ遠征物語』

 前の日に読んだ『神軍、緑軍、赤軍』にトルコの影響があるとあるが、何処にあるのかははっきりわからなかった。ボヤーンという名前を最初に見たときに「神人ボヤーン」と書いてあったので、もしかしてモンゴル語のボヤンかと関係あるのかなと思ったが、吟遊詩人であることがわかり少しがっくりした。(あまり意味はないが)
 それから、「灰色狼」という言葉が出てきたが、わざとか知らないが、何の解説もなかった。元朝秘史にも「灰色狼」が出てくるはずだが・・・。トルコにも同じ様なものがあると聞いたが、何の関係もないのだろうか?
 でもトルコの影響という山内氏の指摘で、これではとわかったのはこれだけであった。

5月14日 「suicide in post-soviet central asia」 David Lester 『Central asian survey』 vol.18 no.1 march 1999

 読んで、字の如く、中央アジアの自殺に関してである。他の地域でも自殺はあるが、ウクライナやロシアなどと比べると自殺は少ないらしい。筆者が強調するその、自殺率(十万人の内何人というやつ)のターニングポイントになったのは1991年ということらしい。そして、結論としていうなら、イスラム地域であるなら自殺は少ないということらしい。
 しかし、その書き方は"Suicide rates are generally higher in nation with a higher quality of life and lower in Muslim nation"という書き方でどうも引っかかる。
 また気になるのは、自殺と同時に殺人の統計も載せていることである。特にアゼルバイジャンでは1991年4.9人/10万人から51.8人に上がっている。およそ十倍である。他ムスリム地域を見ても殺人率は上がっていない地域(トルクメニスタン、ウズベキスタン)もあるが、アゼルバイジャンのデータをもって、ムスリムと結びつけられたら困るなあと思うのであった。

5月17日 『ロシア革命の曙』 荒畑寒村

 ロシア革命が起こる前までの、ロシアでの社会運動家や革命家たちの動きをつづった本。
革命が起こる前にも、ロシアではテロリズムがずいぶん起こったようだ。という気にさせるけど、本当のところどうだったのかなあ。

5月18日 「National-territorial change in the republics of the Russina North」『Political Geography』 vol.17 no.5 1998 pp 567-588

 フィンランド、コミ、サハといった北極圏にかかっている国々の、ソヴィエト時代とソヴィエト以降の時期の文化的な再構築を扱った論文。
 サハのノブゴロドフについては実は自分の修士論文でも少し触れたが、革命と同時にヤクート語にラテン文字を使って文章語を作ろうとした人である。
 が、社会活動かとして、自分で党を建てたりしたとは知らなかった。4月に東京外大で、彼の著作集を発見、ぱらっとめくったら、ジャムツァラノーの文字が・・、そして、エルベクドルジとも連絡を取り合っているらしい。今後、注目すべき人物である。
 はぁ。(ため息)はやく、彼の著作集も読まなきゃなあ・・・。

5月18日 「For the consistent democratization and federalization of Rossia」Mintimer Shaimiev, Murtaza Rakhimov, Mikhail Nikolaev『Anthropology & Archeology of Eurasia』fall 1998 vol.17 no.3 8-11

 昨年10月にブリヤート共和国へ行った際、現地の新聞でブリヤートはトヴァと合併し県(guberniya)となるとかいてあった。
 この論文というか、ボリス・エリツィンに当てた、gubernizationつまり、県制を導入し今まであった民族共和国の解消に反対する意見を述べたもので、タタール、バシコルトスタン、サハの大統領が出したものであった。
 民族共和国とかあるとめんどくさいから、全て無くして昔の県制度に戻そう、その方が中央は「管理」しやすいってなことなんでしょうなあ。この声明が出たのは95年、昨年は98年、これからもずっと再燃し続けるんだろうねぇ。

5月20日 「モンテネグロから」 町田幸彦 『未来』1999年5月号(No.392)

特ダネ!
 びっくりした、未確認だが、ミロシェヴィッチのお兄さんがモンテネグロ人と登録しているなんて!やはり、民族主義者は辺境から出るのだろうか?何を持って辺境またははじっこというかは難しいが、はじっこから出るもんなんですなあ。
 ヒットラーにしてもオーストリアだし、青年トルコ人運動の元となった団体を作り上げたのは、アルバニア人、チェルケス人、とクルド人だった。また、一つ例が増えたといえるかもしれない。
 ブルガリア史の授業で、モンテネグロに住んでいるのはセルビア人で民族問題とは関係ないと教えられたが、実はそうではなく、セルビアとの関係が微妙に怪しくなってきているという話である。まあ、あれだけマスコミに悪者扱いされて、そのとばっちりを受けるのはごめんだということなのだろうけど。
 モンテネグロは一度は独立した国であったことは、中学校時代の帝国書院の地図で鮮明に覚えている。町田さんに寄れば、日露戦争の時にロシア側として参戦したこともあるという。
 ここの大統領ジュガノヴィッチ(ロシアのみなさん、ジュガノフじゃありませんよ!)は西よりで、西側のジャーナリストをずいぶん入れたが、セルビアとの境界線で”入国”(町田さんの表現)を拒否されているらしい。ここからもセルビアとの亀裂が見えてきているようだというお話。
 
5月21日 「From linguistic russification to linguistic federalism or back?」Ildus G. Ilishev『Anthropology & Archeology of Eurasia』fall 1998 vol.17 no.3 12-31

5月22日 「二重の中国」 王ka  『思想』 1995 7月号 35-55

5月23日 「The Tatar national ideology」 Rashad Amirkhanov 『Anthropology & Archeology of Eurasia』fall 1998 vol.37 no.3 32-47

5月26日 『漢字の運命』 倉石武四郎 

5月27日 「フェルガナにおけるバスマチ運動 1916年〜1924年」 帯谷知可   

5月27日 「モスクワにおける非ロシア人」関啓子『一橋論叢』第121号 第2号 平成11年(1999年)2月号 34-47

5月27日 「正音の帝国」 イ・ヨンスク 『一橋論叢』第121号 第3号 平成11年(1999年)3月号 32-45

5月28日 「National movements in the estern finnic republics」 Iurii P. Shabaev 『Anthropology & Archeology of Eurasia』fall 1998 vol.37 no.3 48-78

5月29日 「The problem of the national renaissance of the Buryat and civil society」Zoia Petrovna Morokhoeva 『Anthropology & Archeology of Eurasia』fall 1998 vol.37 no.3 78-100

5月31日 「Ethnolinguistic Relationships. The ethnogenesis and ethnocultural relationships of the Turkic peoples of the Volga and Urals」『Anthropology & Archeology of Eurasia』summer 1992 vol.31 no.1 24-39


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