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           Eメール高校日本史
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第11回   律令の時代(大宝律令下の政治機構)

さて、今回は律令の下に整備された政治機構などについてみてみたいと思いま
す。

701年、文武天皇の時、刑部親王らによって大宝律令が編纂され、702年
施行されました。大宝律令そのものは現存していませんが、律令発布後に出さ
れたその注釈書が残っており、そこから律令の内容を知ることができます。 
又、718年、藤原不比等によって編纂された養老律令の律の一部が残ってい
ます。この養老律令というのは、大宝律令の焼き直しにすぎないということで
757年まで施行されなかったくらいで、ほとんど大宝律令と同じ内容だとさ
れ、大宝律令の内容を知る上で貴重な資料になっています。ちなみに、その養
老律令を施行したのが不比等の孫にあたる仲麻呂で、これも身内だからこそ施
行したということで、そうでなければ廃れていたことでしょう。

さて、大宝令に定められた中央及び地方官制を見てみましょう。

先ず中央ですが、中央に置かれた役所は、一言でいえば、二官八省一台五衛府、
です。先ず、神事を司る、神祇官がいます。そして行政を担当する太政官がいま
す。この太政官というのは、現代の語感からすると1人の役人のようですが、こ
れはそういう機関の名前で、言うなれば内閣というような感じです。太政大臣、
左大臣、右大臣、大納言、少納言、左弁官、右弁官から成り、国の重大な決定が
行われました。又、太政大臣は、必要に応じて置かれる役職で、このような職を
則闕の官(ソッケツノカン)といいます。此の、神祇官と太政官を合わせて二官
です。

次に八省ですが、これは左弁官、右弁官がそれぞれ4省ずつ担当していました。
先ず左弁官担当は、中務省、式部省、治部省、民部省。右弁官担当は、兵部省、
刑部省、大蔵省、宮内省です。それぞれの職務内容をしたに示します。括弧の中
は、私が現在に当てはめたらこんな感じだろうというものです。
中務省(ナカツカサショウ)    詔書作成、内務一般。天皇に対して事項の
                 可否を言上できる最重要の省(総務庁、
                 内閣官房、内閣法制局に相当、権限でいえば
                 大蔵省かも)
式部省(シキブショウ)      文官の人事、学校経営
                 (文部省、人事院に相当)  
治部省(ジブショウ)        仏事及び外交(外務省、宮内庁に相当)
民部省(ミンブショウ)       戸籍管理をはじめ民政、租税徴収
                 (自治省、国税庁に相当)
兵部省(ヒョウブショウ)      軍事、国土防衛及び武官人事
                 (防衛庁に相当)
刑部省(ギョウブショウ)     裁判、刑罰(罪人取り締まりは行わない)
                 (裁判所、法務省に相当)
大蔵省(オオクラショウ)     財政、貨幣及び度量衡決定(そのまま)
宮内省(クナイショウ)       宮中一般庶務(宮内庁に相当)

次が一台、これは弾正台です。これは役人を監察するとともに、京内の風俗を
取り締まる役所です。太政官とは別に設置されました。

そして五衛府。これは京内及び宮中の警備を任務とする役所で、左兵衛府、右
兵衛府、左衛士府、右衛士府、衛門府の5つです。管轄が京内だけですから、
警視庁のようなものでしょうか。それぞれの任務下に示します。
左・右兵衛府    小門の警衛、京中の巡検、追捕などを行う。
左・右衛士府    門内の警固や車駕の警衛を行う。
衛門府        京内の諸門を警衛し、出入を倹する。

次に地方官制ですが、先ず、国は国、郡、里と分けられました。ほぼ、県、郡、
町村にあたります。但し、郡は701年以前は評といい、また里は715年以
降は郷と改称されました。国には国司、郡には郡司、里には里長が設置され、
また、国毎に国防組織の軍団が設置されました。但し、京や摂津などの要地に
は、職(シキ)という役職が設置され、また、国防の要である北九州には太宰
府が設置されました。この太宰府というのは都から離れていたせいもあって、
かなり広範囲にわたる権限を有し、「遠の朝廷」と称されました。

また、これは地方機関ではなく、治部省に付属する機関なのですが、太宰府、
難波、敦賀には、鴻臚館(コウロカン)が儲けられました。鴻臚とは、中国の
役職名で、外交官のことです。つまり、鴻臚館とは今でいえば迎賓館といった
ところでしょうか。

次に、各役所は四等官制が敷かれ、上から「カミ」、「スケ」、「ジョウ」、
「サカン」がおかれました。なぜ、それぞれカタカナで書いたかというと、そ
れぞれの官庁で字が違うからです。中央では「長官」、「次官」、「判官」、
「主典」、国衙(国司の役所)では「守」、「介」、「掾」、「目」、郡衙で
は「大領」、「少領」、「主政」、「主帳」、と書きました。

また、刑事面では、特に皇室や神社などに対する罪は八虐として特に明記され、
極刑が定められました。刑罰は、五刑といって、軽い方から、「笞」(細い棒
で10〜50回打つ)、「杖」(太い棒で60〜100回打つ)、「徒」(懲
役)、「流」(越前や信濃、伊豆などへ流す)、「死」(死刑)、です。これ
は、連続して読むと「チジョウズルシ」なので、音として大変覚えいい刑罰だ
と言えます。

来週は、律令制の下での税制と、この時代の文化について触れたいと思います。


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 特  集     明治新政府の最高法典は何か
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さて、時代はかなり進みますが、朝廷側が幕府を倒し、新政府を樹立した直
後、我が国の最高法典は何だったのでしょうか。これは何と、律令なのです。
つまり、大政復古ですから、まずは武士が力を持つ前の段階に返さなくては
なりません。その現れが省庁に出ていて、版籍奉還が終了すると、政府には
神祇官、太政官が設置され、太政官の下に、大蔵・兵部・外務・民部・刑部
・宮内の6省が設置されました。勿論、そのほかにも、重要なものとしては
五箇条の御誓文や政体書が出され、税制でいえば、地租改正条例、等が制定
されましたが、1889年に大日本帝国憲法が制定されるまで、日本の最高
法典は律令でした。

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さて、毎回購読していただきありがとう御座います。私的な話で恐縮ですが、
私は4月から高校3年生になります。つまり、受験生でして、このメールマガ
ジンもいくら復習をかねてとはいえ、あまり時間をかけられなくなります。そ
こで、今まで毎週出していたものを月に2回程度にしたいと思います。平均す
ると2週間に1回ということになり、忘れた頃にやってくるといった感じです
が、よろしくお願いいたします。
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