19世紀

 19世紀、ヨーロッパで、性科学というものが盛んに研究されるようになった。この時代に入ってようやく現在のホモセクシュアルという概念に近づいた。第1章で述べたが、この時代まで「ソドマイト」という言葉を、同性愛者を指すものして用いていた。しかし正確には、現在でいう同性愛を指す言葉ではない。性科学の研究により、この19世紀になってはじめて出てきたのである。
 性科学における同性愛研究は、ドイツから始まった。まず1864年、初期の同性愛者運動のパイオニアであった、弁護士のカール・ハインリッヒ・ウルリヒスが「ドイツの同性愛者は500人に一人」と発表し、「男性同性愛」を指すのに男性間の性行為で女性役という意味の「ウルニング」という言葉を使いはじめた。だがこの言葉のために、性科学の領域で同性愛者は男性に女性の精神を持った「第三の性」だという概念を広めることとなった[風間1997年]。
 1869年、オーストリアの臨床医、クラフト・エービングは法医学の視点から『性の精神病理学』を刊行した。異常性欲の総目録をつくり、同性愛を病理学の中に初めて位置付けたのである。これは同性愛が罪悪であるという従来の考え方を全面的に否定するものであり、それだけでも画期的であった。
 『性の精神病理学』の中で彼は、同性愛を先天的と後天的の二種類に分け、愛される対象の年齢に注目した。第一のグループは、14歳以下の未成年に対してしか魅力を感じないグループであり、むしろペドフィリア(少年愛)の領域である。第二のグループは最も広範囲に見られる傾向で15歳から19歳までの青年を愛好するもので、第三は、成人男子を愛好するグループ、そして最後のグループは、老人愛(ジェロントフィリア)を好むグループである。彼の弟子たちは、同性愛を変質の生理機能的症状、もしくは遺伝的を原因とする、病理学現象と見るクラフト・エービングの意見に基づくもので、同性愛の先天性説に傾倒する者が多かった[澁澤1984年]。
 『性の精神病理学』が刊行された同じ年、ハンガリー人の医師バンカートンがHomosexualという言葉を作った。ギリシア語で〈同一〉という意味の"homo"とラテン語で〈性〉を意味する語を組み合わせた造語である。彼の考えでも、同性愛というものは"先天的な状態"と結論付けていた[小宮1995年]。
 これらの同性愛を先天的要因とする観念は、あくまでもそれは決定的で、教育や環境にはまったく左右されないものであるとしていた。にもかかわらず、一部の後天的な同性愛は、青年期の過度の自慰行為を原因として生じるという矛盾した観念も残っていた。この考え方は、のちに述べるウィルヘルム・シュテーケルによって完全に間違えであることが立証される[澁澤1984年]。
 19世紀、同性愛に対して、上記ような先天性説が支配的であった。しかしこの動きに反対するものも出てきた。ベルリン性科学研究所長のマグナス・ヒルシュフェルトは、同性愛を突然変異とは見なさず、また病理学的な見解を断叫していた。1897年、世界で最初の男性同性愛者解放団体「科学的人道委員会」と「性調査研究所」を創設し、1904年「同性愛者の比率についての統計学的な調査」と称し、大学生三千人、鉄鋼労働者5700人に及ぶ個別調査が行った。その結果は「94%絶対的な異性愛 2、3%絶対的な同性愛 3、4%は両性愛」というものであった。(実はこの結果は51%にも及んだ回答回避者の分析を排除した数字であったが、)また彼は、「肉体的・精神的に完全的な男と区別されるべき、たった一人の人間にも出会わなかった」と述べている。
 当時、動物実験によって、雌雄の性線を移植し、動物の体を雄あるいは雌に自由に変え得ることが立証されていた。この実験に基づいて、ヒルシュフェルトは人間の男性・女性あるいは中性という区別は、生殖腺の働きの違いに過ぎないと考えていたのである。そこで彼の当然の論理として同性愛者の市民権を擁護したのである[澁澤1984年]。
 だが同性愛にたいしての風当たりは一向に改善される気配はなかった。1895年、イギリスで、詩人・小説家であるオスカー・ワイルドが、クイーンズベリー侯爵の息子アルフレッド・ダグラスとの関係が表ざたになり、二年間その罪のためレディング監獄に収容されていた。ワイルドが監獄から出てきた年(1897年)、同じくイギリスで革新的な本が出版された。ハヴェロック・エイスの『性的倒錯』である。この問題視された本の中で彼は、ルネサンス期における同性愛的傾向をもった人々を列挙し同性愛を弁護したのである。その中に、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フランシスコ・ベイコン、さらには王侯貴族たちなどを上げていた。しかし実際には根拠が薄く、当時の文献を無批判に読んだだけのものあり、さらにルネサンス期の同性愛に対する嫌悪感も一切無視していたものであった。とはいえ、同性愛には歴史的な一面があることを指し示した意味で大きな役割を果たしたといえる[ブレイ1993年]。