大正期の同性愛

 日本国内においてはこの大正時代から同性愛が、激減する。同性愛者は表の世界から地下へもぐってしまうのである。この当時の状態は、現在の同性愛に対する状況と同じといえる。また当時の同性愛コードは「同性愛」=「変態」というものであった。「変態」を三省堂新明解国語辞典で引くと「変態性欲の略。またその傾向を持つ人」とでている。変態性欲とは、性欲が異常な形をとっていることである。これは、明治に入ってきた西洋医学の正常−異常の区分が大正になって定着したためである。その医学の観点から見ると同性愛は異常であった。
 また大正期に「良妻賢母」という道徳観がでてくる。これは日本独特の家族システムで、この道徳観によると、性は、生めや増やせよの政治的な性として捉えられている。このような道徳観も、同性愛を異常ととら得る考えに拍車をかけたと考えることができる。
 なぜ「変態」という言葉が使われるようになったというと、それは1914(大正二)年に、大日本文明協会から翻訳として出版された、クラフト・エービングの『変態性欲心理』(1904年)がきっかけとなっている。その後、羽太鋭治と深田順太郎の『変態性欲論』や『変態心理』、『変態性欲』などが、次々と出版され、「変態」が、一種の流行になってしまったのである。これらの本や雑誌のおかげで、社会に「変態」という言葉が定着したに違いない[古川1993年]。
 ここで理解しなければならないのが、この当時の同性愛者は自分が「変態」であることを認め、自ら「変態」であるとしていることである。『変態性欲』に寄せられた手紙を見ると、「御恥ずかしい話ですが、私は変態性欲の所有者で御座います」とある[古川1993年]。これから見てわかるが、大正期の同性愛者は"恥"として自らの性を隠しているのである。これは現代の同性愛者と同じ概念であり、日本の同性愛はここで転期を迎え、現代の同性愛に対する概念がこの時期生まれたことを示している。