キリスト教における同性愛

 キリスト教では、同性愛を禁じている。その根拠として聖書の中に、それが"神に対する冒涜"として述べられている逸話が記載してあるためである。4
 その中で、有名なのが「ソドムとゴモラの街」である。彼らは、飽食と快楽に支配され、あらゆる悪徳に走ったり、ゆえにありとあるゆる愛の飽食の果てに同性愛に至ったと考えていた[ブレイ1993年]。この話から、同性愛者たちはソドマイトと呼ばれいたのだが[岡田1997年]、なぜキリスト教が同性愛を悪徳としたのだろうか。
 キリスト教は、かつては生殖に結びつかない全ての性行為が、悪徳であった。それは、「オナン」の罪(創世記38章9節)の話からもうかがえる。オナンはオナニー(マスターベイション)の語源ともなっているが、彼は精液を"地に洩らした"ため、主に殺されてしまったのである[岡田1997年]。これには社会的背景を理解する必要がある。それは聖書ができた当初、厳しい風土の中で子孫を後世に残すという社会風潮が背景にあったためである。キリスト教の性愛観というものは"子供を生む"という機能的な一点に絞られていたのである。そのため、当然同性愛行為は悪徳の一つとしてみなされたのである。
 そのためソドマイトの言葉自体、同性愛のみを示すわけではなかった。異性に対して罪を犯した者や、ペスティアリティ(獣姦者)に用いるときもあった。だからこれもまた、厳密な意味でのホモセクシュアルとは違うもであった[ブレイ1993年]。しかしながら、特にローマ・カトリック教徒は男色者を〈反逆者〉と結びつける傾向があった。これは〈魔術師〉や〈ローマ・カトリックの妖術〉などからなる神話のためだった。結局、同性愛に対する嫌悪はエリザベス朝もしくはステュワート朝5で問題が明らかになるのである[ブレイ1993年]。