日本の中古・中世における同性愛

 日本おける同性愛の起源は、一般的に空海が元祖であるといわれている。江戸前期の儒教学者、貝原益軒は「男色の戯れは弘法(空海)以来のことなり」と書き記しているし、江戸川柳に「弘法は裏、親鸞は表」と詠っている。裏とは男色のことであり、表とは妻を娶ることである。この空海起源説を厳密に確かめる術はないが、それなりに理由はある。まず一つ目は、空海が延暦23(804)年に唐に留学したことである。当時首都長安では男色が流行しており、男娼までがいたという。空海が行なったかどうかは定かではないが、同じ留学生の中にはそれを最新の風俗と思いこみ、男娼に手を出し、帰国後先進国の流行として日本に伝え、広まった可能性がある。またのちに僧侶の間で同性愛が広まったが、その僧侶たちは高野聖として全国を遊行していた者もいた。そのため空海が男色を広めたという印象を与えたとも考えられる[中江1995年]。
 また、江戸末期の国学者平田篤胤が書いた『古今妖魅考』6にも中古・中世の同性愛の例が二例書き記してあり[小田1998年]、少々時代が進むが、鎌倉末期の随筆『徒然草』にも、54段に「御室の稚児を誘い出す法師」して描かれている[小田1998年]。この因習は、特に僧侶や武士の間で江戸時代まで続くのであるが、この当時の同性愛コードは、相互的なホモセクシュアルというよりも、ギリシア的な〈少年愛〉(ペデラスト)であったことを留意しなければならない。