治時代における同性愛

 開国、次いで明治維新。日本は大変革期を迎えていた。今まで鎖国していたのが、日本国内に、一気に外国の文化・思想が流入してきた。それは一般的なものばかりではなく、性に関しても、いろんな情報が入ってきた。その中でも一番大きかったのは、やはりキリスト教の性愛観である。しかし日本では、この明治期に同性愛をタブー視する風潮が深く根づいたわけでなかった。キリスト教的な考えが徐々に日本社会に根づいてくるのは、大正期になってからである。
 それまでの日本社会には<正常な異性愛>−<異常な同性愛>といった二極的な認識がなく、また江戸時代において、社会制度として同性愛を絶対的な嫌悪とはしていなかった。とは言うものの、全体の流れから言えば、かつてのように同性愛が存在した訳ではない。それは、同性愛を助長していたコミュニティが明治時代に崩壊したためである[古川1993年]。
 だがまだ日本社会において同性愛は学生たちの間で流行した。寄宿舎や校舎など閉鎖的な制度をがかつての衆道の要素が強い「男色」を継承していた。森鴎外は、自分自身の性的経歴を書き記した作品『ウィタ・セクスアリス』(1909年)のでこう述べている。
   
   学校には寄宿舎がある。授業が済んでから寄ってみた。ここで初めて男色
  ということを聞いた。僕なんぞ同級で、毎日馬に乗って通ってくる蔭小路と
  いう少年が、彼ら寄宿生たちの及ばぬ恋の対象物である。蔭小路はあまり課
  業はよくできない。薄赤いほっぺたがふっくりとふくらんでいて、かわいら
  しい少年であった。その少年という言葉が、男色の受け身という意味に用い
  られているのも、僕のためには、新知識であった。僕に帰りがけに寄ってけ
  と言った男も、僕を少年視していたのである[森1935年]。

この文を見ても同性愛の状況がうかがえる。だがこの本は、風俗壊乱の咎として発禁処分を受けてしまった。しかし森鴎外以外にも、永井荷風の『新橋夜話』(1912年)が、明治時代の学生の同性愛を述べている[古川1993年]。
 そしてその後同性愛に大きく作用したのが、日清・日露戦争であった。これは軍隊で、戦国時代から江戸時代初期における戦闘要員の育成がなされた時と同じ現象が起きたと言える。民俗学者フリードリッヒ・クラウスが当時の日本の軍隊についてこう述べている。

   男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延していることは、他のことから
  裏書された。皮相な観察者さえも、日本の兵士たちが、われわれ一般人より
  もはるかに情愛がこもり、友情的な態度でお互いに付き合っているのに、驚
  くだろう[氏家1995年]。

 実は日清・日露の二つの戦争が、軍隊の間だけではなく、若者とくに学生に影響を与えたのかもしれない。これは国中が"戦う"意識が高揚し"勇ましく愛し合う"という風潮が高まったためであると仮定できる[氏家1995年]。