「三国志」という言い方について

はっきり言って、「三国志」と言うのほとてもややこしい。

「三国志」には二種類ある。

1、三国志演義

2、三国志正史

ここでは、日本人がとても勘違いしているこの二つを解説する。

1の三国志演義は日本の中で一番知られているであろう。

書籍でいえば、吉川英治氏の作品「三国志」である。とゆうより、今でこそ様々な書籍がでているが、一昔前では「三国志」=吉川氏の書いた三国志であるらしい。また横山光輝氏の長編漫画「三国志」も吉川氏のかいた三国志が原作である。他にはNHKで放送された人形三国志も演義ベースだ(これは立間氏が訳した三国志演技お原作としている)。私的には吉川氏が書いた三国志はかなり日本人好みにアレンジしており好きになれない

もともと三国志演義は次のようにして生まれた。

後漢から三国時代の終わりまでの話は、三国時代以降から芸人の類の人間が物語っていたらしい。琵琶法師が源平の戦いを語ったのと同じと考え良い。

内容は劉備一党を善玉、曹繰を悪玉、とするもであった。

これがポツポツと簡単な書籍になっていた(世説新語、全相三国志平話、など。どうゆう話かは省略)。

これらの話をまとめた小説が「三国志演義」である。作者は羅本(字=貫中)というひとである。

この羅貫中はナゾが多い人である。彼は三国志演義以外に作品を描いていないのである。

また、彼一人で書いたのではなく何人かで書いた、とゆう説もある。ではなぜ彼の名だけが残ったのであろう?  単なる芸人ではないはずだ。なぜならあとで紹介するが、正史や後漢書にのっとったあらすじで三国志演義を書いているし、南朝の宋の時代の話「世説新語」というふるい文章も読める教養を備えているのだ

ちなみに”演義”とは現代われわれが用いる意味とは違う。

元来のものを分かりやすく、かみくだいて説明する。とゆう意味だ。

  

三国志正史の説明。

正史とは中国の歴史書である。全部で24あり、一番最初は「史記」である。

「漢書」、「後漢書」、「三国志」、「晋書」と続き24つ全て並べれば中国の歴史がビッチリ埋まる。

どうしても多少時代が重なる時期もあるが。

(申し訳ないが私は「晋書」以降は詳しくわからないのでどのようなもとが書いてあるか説明できない)

また、漢書や後漢書の「書」という字の意味は三国志の「志」の字とほぼ意味は同じである。

「志」は「記す、記録」という意味で使われていた。

正史は歴史書と言ったが「正確な歴史」ではなく、

「朝廷が正式に採用した(著作した)歴史」である。

ここをよく勘違いしている人も多いようであるが、、、

従って、その時代の朝廷が認めたわけであるから皇帝の一族や家臣のことはあまり悪く書いていない。

だからといって信じるなということでは無い。「現代もっとも信用され用いられている歴史」であるし。

この三国志を書いた人は陳寿という晋の時代の人物。

 

「三国志」といわれる歴史書は、正確には「魏志」「蜀志」「呉志」のみっつをまとめた呼び名である。

作者は陳寿という人が晋の時代の290年ごろに完成させた。「三国志」という名の歴史書はないのである。陳寿は「魏志」「蜀志」「呉志」のみっつを書き、総じて「三国志」と呼ばれるようになったのである。

また、現在流通している三国志正史にはハイ松之という人間が429年に「注」を付け足している。

これは陳寿が書いてないことを付け足したものである。

ここまで書き私自身の頭の中がこんがらがってきているにで、言いたいことをまとめる。

「三国志」は小説と歴史書の二種類ある。歴史書=正史、小説=演義

それぞれ書かれた時代がまったく違うし、趣旨も違う。

演義を読んだ後に正史を読むと、ギャップに驚き所詮作り話か、と思う人もいると思うが

「事実は小説よりも奇なり」という格言どおり、史実を知るのも楽しい。

歴史書も三国志正史以外にも当時のことを書かれている本もある。現代では史実を元にした小説も多々書かれている。経済成長中の中国で新しい史実が発掘されるかもしれない。

そう、だから「三国志は奥が深い」と言われるのではないか?!