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寺脇研(以下敬称略)は「21世紀の学校はこうなる」(寺脇研著 新潮OH文庫 2001年)で、 自分の高校の思い出を次のように語っている。 『高校の卒業式の時、生徒間の互選のような形で、どういうわけか私が選ばれ、答辞を読むことになりました。 私はせっかくこういう機会が与えられたのだから、ありきたりのものではなく、日頃考えていることを率直に言おうと思いました。 「私はこの学校のことを懐かしく思い出すことは、これから先ないだろうと思います。なぜなら、ずいぶん多くの友人がこの学校の体質についてこれずに、途中でドロップアウトをし、去っていかなければならなかったからです。彼らのことを考えると、とても懐かしい母校などとは言えません」 造反答辞などと言われましたが、私の正直な気持ちでした。』(p232) 私は常々、寺脇研が行おうとしている教育改革には個人的な深い「怨み」があると思っていたが、そのことは上の文からも読みとれるのではなかろうか。 さらにそれは自分の職業選択について、次のように述べている事からも伺い知ることができる。 『最初、教師というものも頭に浮かびましたが、自分は現場よりもマネージメント的な役割が向いていいるような気がして、それなら文部省だと思いました。 もしそうでなければ、全く反対に文部省などの国家権力をチェックする立場のマスコミだと考えました。』(p234) 『文部省という国家権力側でなければ、逆に国家権力をチェックする側に着く』という発想自体が、彼の権力に対する考え方を表しているように思う。 つまり彼はそのころから、権力は悪であると思い続けていたようである。 彼が文部省に入ったのは、国家という権力の中枢に入って、権力そのものを壊すことがねらいだったように読める。 そうだとすれば彼は政治というものが一つの権力で成り立っているという、高校生でも知っていることを根底から覆そうとしていることになる。 そうなれば恐ろしいことになる。 彼の中学・高校は鹿児島の有名私立校、ラ・サール高校であるが、その時のことを次のように書いている。 『鹿児島での私は、学校での濃密な人間関係からは外れていましたから、何の抵抗もなく淡々と両親の勧めるままに私立の中高一貫の進学校を受験しました。…。 ところが、中学の英語の先生は竹のムチを持っていました。 スペルを復唱させ、間違えた生徒を並べて、太ももの裏をムチでバシャッバシャッと打ちます。 たたかれたところはミミズ腫れになります。 ムチでたたかれて覚える英語が楽しいわけがありません。 私はものの1・2か月で英語がイヤになりました。』(p219) 『いま30年たって見れば、はっきり分かります。 要するに自分の教え方のまずさを、まるで動物に芸を教え込むように、ムチでカバーしていたのです。 とんでもない英語教育を受けていたわけで、こういう勉強ではそこそこの試験向けの学力がついただけで、英語を楽しく話すという方向の力は全く身につきませんでした。 そのせいで、恥ずかしながら、今でも外国の人と話をするときは必ず通訳についてもらわなければなりません。』(p220) 私はこのような言い方に非常に疑問を感じる。 いやしくも最高の学力が必要だといわれる東京大学に入学することができたのなら、自分の力だけでそこに合格できたような顔をすべきではないと思う。 寺脇研にとっては、東京大学の法学部を目指したことは、父親の意図から出たものであり、不本意であったのかもしれないが、教師にとってはそれが家庭での合意であるのなら全力でそのことをサポートしたいと思うものである。 しかも「勉強する場は学校だけではない、学校以外の場所であらゆる勉強の機会に恵まれている」と言って生涯学習を説いている寺脇であってみれば、高校を卒業した後、自分の力で英語の学習をしていく道はいくらでもあったはずである。 それを自分の英語の学力のなさは、高校の時の英語教師の教え方が悪かったせいだと、今もって言い続けていることに、この人は矛盾を感じないのだろうか。 その前に、今もそのような人への怨みをもって自分の生きる力の原動力としていることになにがしかの恥ずかしさを感じないのだろうか。 このような発想をする人が一国の教育改革に携わり、中心的役割を担っている。まずもっておかしいのはそのことである。 確かに学校の中には、彼が中学の時の英語の先生のように、竹のムチを持って教え込もうとする少数の教師たちがいる。 しかし、そのような教師たちの評判というのは、ある生徒たちにとっては悪くても、ある生徒たちにとっては良かったりする。 教師というのは、100%の生徒から嫌われてしまえば成立しない職業である。 同じ英語の教師の授業を受けた寺脇と同級生の人達が、その英語の教師に対してどのような評価を持っていたのかということを聞いてみないことには、この英語教師の評価を一方的に決めつけてしまうわけにはいかない。 私が想像するに、その英語教師の教師としての類型は、多分生徒をとことん追い詰めていく指導であったと予想される。 課題提出を遅れたら生徒に対しては、「なぜ期日までに課題を持ってこないのか」ということを問い詰めていくタイプの教師であったと思う。 しかし、そのこと自体は決して悪いことではない。 問題はその教師が生徒をどこで許すか、というタイミングの問題であるが、多分、寺脇研は最後まで反発することをせず、ある程度の期限を守って課題などの提出をしていったそんなに不真面目ではない生徒であったと思われる。 だから、その教師に対して許されたという思い出は発生しないまま今日を迎えているのだと思う。 しかし、その英語の教師が生徒を許すことを全くしない教師であったとしたら、それは大問題である。 『課題を提出しないお前が悪いんだ』。とことんそうやって生徒を追い詰めていけば、生徒はいつかはドロップアウトしてしまう。 このような教師の信念が何に裏打ちされているかと言うと、それは多分「自分は正しいことを指示したのに、それを守れない生徒というのは悪い生徒なんだ」という徹底した自己責任原則であると思う。 そのような教師の存在を憎んでいる寺脇研自身が30年たった今、同じ「自己責任」原則によって教育改革を成し遂げようとしていることは、何とも皮肉な限りである。 彼はそのことに気付いているのだろうか。 彼は次のようにも言っている。 『(教育改革を進めていけば)、今の高校生の大半が言うように、高校に行っておかないと大学に行けないからここにきたのであって、別にこの高校で何かを勉強しようと思ってきたわけではないとうそぶく生徒がいたら、じゃあ来なくていいよと、いうことをはっきり言える。』(p212) しかしそれでは教育にならないのである。 彼の自己責任論の考えは次のような文に見て取れる。 『これからの小中学校は今よりゆったりと学習してもらうようになるわけですが、その半面で、高校・大学はとても厳しい場になって行くという認識を持ってもらわなければならない。 高校も大学も1時的には中退者が増えるかもしれません。 今までのようにはいったら勉強しなくても、お情けで何とか卒業させてやろうという考え方では通らない。 あなたの自己選択によってはいった高等学校なのだから、そこで勉強しないのは自己責任を果たしていないことになる。 そういう人には卒業証書を出せないよということです。』(p210) そういうことを考えると、これからの学校というのは非常に恐いものになるはずなのである。 かなりの覚悟を持って入ってこなければならなくなるはずである。 しかしその一方で、彼は次のようにも言っている。 『生涯学習社会の中で占める学校教育のウエートは相対的に低くなります。…。 学校を絶対視せず、「たかが学校」くらいの気持ちになってみてウエイトを見直してみてはどうでしょうか。』(p172) このような発言は、自己責任を子供に要求しながら、一方で学校で学ぼうとする意欲そのものを低下させるものである。 自己責任とは自分に責任がかかってくることで、子供たちにとっても相当に恐いものである。 しかし「たかが」という言葉は、その恐さを生徒たちから取り払い、その恐さを麻痺させる響きを持っている。 「たかが学校」と思った生徒たちは中途半端な気持ちで学校に入ってくるのであって、そんな中途半端な生徒たちが学校で学ぶことに自己責任を持てるとする考え方は、いったいどこから生まれてくるのであろうか。 彼がこのことを、矛盾としてとらえきれないのは、自分の中学・高校時代に対する激しく歪んだ「怨み」があるからではないだろうか。 そしていまもその「怨み」に引きずられているからではなかろうか。 子供の権利に関する考え方にも、矛盾が見られる。彼は義務教育について次のような見解を述べている。 『義務教育のことを、子供は学校へ行く義務があるというふうに考えている人がいますが、それは間違いです。 親が子供に教育を受けさせる義務があるのです。 子供の立場からすれば、教育を受ける権利があるわけで、権利である以上、その権利を行使しないことがあっていいわけです。』(p162) これは何というヘンテコな考え方であろうか。 例えばある会社で課長が社命である仕事を命じられた場合、課長にとってその仕事を成し遂げる義務が発生すると考えてよい。 すると課長はその仕事の遂行を、部下に命じるであろう。 その場合、その仕事を成し遂げることは課長にとっては義務であるが、部下にとっては権利であるなどということが言えるであろうか。 そして「部下にとって権利である以上、部下はその権利を行使しないことがあっていいわけです」などと言えるであろうか。 それは仕事をせずに給料がもらえる夢のような会社である。 課長に義務が発生するのならば、その課長の部下にも義務が発生する。 それが正常な考え方ではなかろうか。 会社が共同体であるのならば、家族も共同体である。 課長と部下が共同体の構成員であるのならば、親と子も共同体の構成員である。 同じ負担を分担すべきなのである。 それが一方にとっては義務であり、一方にとっては権利であるとするのは一体どういうわけであろうか。 そんなおかしな考え方をすれば、この世の中から共同体など無くなってしまう。 そしてみんな義務を負わなくなる。 みんな義務を負うより、権利を主張する方が良いに決まっているからだ。 普通、権利の発生は、義務や責任を果たした者のみが持ち得るものである。 普通大人には、これをすべきだという義務があり、その義務を果たしているから権利が発生する。 だとすれば子供に果たし得る義務というものが非常に少ない以上、認められる権利というものも狭められるはずである。 しかしここでは義務教育に対して、大人には義務だけがあり、子供には権利だけがあるという主張になっている。 何ともおかしな論理である。 これでは権利と責任は比例するという自己責任の原則にも反するではないか。 普通は権利の発生よりも、責任や義務の発生のほうが先である。 彼の手法はそれを逆にして、子供に対してはまず最大限の権利の発生を認める。そしてその結果として子供に最大の自己責任を押しつけるのである。 これによって生き残るのはごく少数の能力ある子供だけであろう。 これは子供を選別し、能力のない普通の子供たちをつぶしていく論理である。 子供のことを子供と思わない大人の論理であり、子供を育てるのではなく、子供を破滅させる論理である。 その倒錯した自己責任論をもって展開されるこれからの授業内容について、彼は次のように述べている。 『総合的な学習の時間には、学習指導要領に定められたベーシックな部分を越えた、もっとやりたいこと、もっと難しいこと、もっと複雑なことに挑戦する。』(p207) 『中学校に入ると、総合的な学習と並行して、選択教科の時間をつくっていきます。・・・・。 自分がもっと学習したいのは何なのかということを自分で考え、自分の責任で決めて、学んで行く時間を確保しようというわけです。』(p208) 『高校に入ると、総合学科の高校が端的な例ですが、できるだけ生徒の選択にゆだねる形にしていこうとしています。』(p209) 何とも良いことずくめのお話しであるが、私には生徒が「自分がもっと学習したいのは何なのかということを自分で考え、自分の責任で決めて、学んで行く」姿勢を持つことが、そう簡単にできるとは思えない。 できるとすればよほど優れた一部の生徒だけであろう。 他の多くの生徒にとってはなるべく楽な方楽な方へと流れていくのではなかろうか。 しかしこのような教育上の冒険も生徒たちの自己責任原則で行われるのであるから、失敗しても責任はすべて生徒にあることになる。 文部科学省はこのことに対していっさい責任を負わないつもりなのかもしれない。 本来、「自己責任」原則というのは教育の世界では一種の禁じ手なのである。 それを子供に要求してはならない性質のものなのである。 本来、大人社会のルールなのである。 しかしそのことをわからずに、自分の個人的な思いこみによって自分の理想を作り上げ、自己実現に挑んでいる気になっているのが、寺脇研である。 生涯学習を主張する寺脇本人ですら、英語の学習については高校を出た後、十分な学習ができないでいる。 自分にそのことへの自覚があるのならば、「学校だけにこだわらずに、いつでもどこでも学びたいところで学ぶこと、それが生涯学習でありそれこそが本物の学習だ」ということは言えないはずである。 無責任極まりない言動である。 彼は生涯学習について、『動き始めた教育改革』(主婦の友社)という本の中でも次のように述べている。 『いつでも、どこでも、誰でも学べるという「生涯学習」の考え方からすれば、登校拒否などあって当然なのです。 ・・・・学校に行かないことが、何か悪いことでもあるかのように、まわりが責め立ててはいけないし、生涯学習の時代なのだから、行きたくなったときにいつでも行かれるようなシステムを作っておくことが重要です。』(同書 P24) 『学校に行きたい、行きたくないというのは最後は本人が決めることなんです。 私は他人が強制的に「来なさい」とも「来るな」とも言うべきではないと思います。 学校に通う権利が保障されるべきなのはもちろんだけど、通わない権利も保障されていい。 ・・・・学校に行くことは、目的ではなく、自己実現のための一つの手段です。 だから、学校に行かないこともまた一つの手段です。』(同書 P56) 彼は次のようにも言う。 『自分で学びたいというモチベーション(動機づけ)を小中学校の段階で持ってもらいたいのです。』(p31) 実はそれが最も難しいことだということに彼は気づかないのであろうか。 『教育改革は、強制的に勉強させる部分を一切なくしてしまおう、ということでは決してありません。 今までは子供の自発的な学習意欲を信じようとしないで、「全部強制的にたたき込まなければならない」という前提で考えてきましたが、それを、「ちょっと待てよ、時間をかけて手伝ってやれば、自分で自発的に学ぶようになるのではないか」となっただけなのです。』(p31) この『だけ』というのがくせものなのである。 実は教育現場で、生徒を自発的に学ばせることほど難しいことはないのである。 子供の意欲を奮い立たせることができれば、そのような教師は10人に1人もいないほどの優れた教師なのである。 そのことさえできれば生徒は驚くほど伸びていく。 しかしそれは教育の始まりではなく、教育の終わりにあるものなのである。 それを可能にするためには学校教育の意識づけは今以上に高める必要がある。 生涯学習などという、時も場所もはっきりしないあやふやなものを期待してはならないのである。 (ここでの生涯学習は従来の意味での生涯学習ではなく、寺脇研がいうところの学校教育に代わるものとしての生涯学習である。) 『たかが学校』などと生徒が思ってしまえば、学習意欲は絶対に喚起されない。 『たかが学校』と生徒が思ってしまえば、モチベーションは今以上に育ちにくくなる。モチベーションが育ってこそ、人は自己決定をし、そのことに対して自己責任を自覚できるようになる。 そしてそのモチベーションを育てることが教育なのであるが、それは『たかが学校』という意識のなかで育つほど簡単なものではない。 しかもそれは教えればすぐに育つというものでもない。 それは学ぶ意欲というものは人生そのもの、つまり自分の生き方そのものと深いところで結びついていなければならないからである。 それは生きる意味だけでなく、死ぬ意味とも結びついていなければならない。 寺脇は自分だけが不幸な自殺未遂体験をしたかのような顔をしているが、 彼が経験してきたような苦労は他にも多くの人たちが経験してきた苦労であり、自分が将来どんな人生を送ろうとするかを決めることは、親と子、教師と生徒、友人関係、恋愛関係、家計状況、そして学力と非常に多くの要因によって絶えず左右されていくものである。 それを決定して行くには長い年月が必要となる。 寺脇の場合には、教師と生徒の関係はなく、友人関係も少なかったと言っている。 家計の経済状態が窮していたということもなく、学力に関しても相応に恵まれていたから東京大学の法学部に入れたのであろう。 彼にとって大きな問題は親と子の関係だけである。特に父親と寺脇本人との関係である。 しかし自分の個人的な問題を日本全体の問題にしてはならない。 他の多くの人はもっと複雑な多くの問題のなかで自分の教育問題を捉えている。 寺脇は恵まれた家庭に育ちながら、自分が恵まれていたとは思っていない。 彼自身が恵まれていたと思っているかどうかは主観的な問題であるから問わないが、彼のような家庭環境は日本の中では上流に位置する。 普通人は年をとればそのことを自覚し、自分が他人より恵まれていた部分を感謝できるようになる。しかし彼にはそれがない。 寺脇の個人的な家庭環境を軸にして、日本全体の教育問題を論じられては困るのである。 寺脇は、すべての家庭が自分と同じ教育熱心な家庭だと思っているようだ。 しかし世の中には、教育熱心ではなく、子供のしつけにも関心を払わず、子供を好き勝手に育ている家庭も多く見受けられるのである。 そういう家庭の親たちにとって「いつでも、どこでも、好きなときに学べる生涯学習」は大変な勘違いをもたらす。 「学校に行きたくないのならやめてしまえばいいではないか」ということになって、親にそう言われた子供は、大した努力もしないまま本当にやめてしまうであろう。 そういうことを考えずに、自分の育った家庭環境からのみによって教育問題を捉えれば、大きな歪みが生じる。 寺脇にとっては、自分が高校の時になめた苦しみは人生最大の苦しみであり、この苦しみさえ解決すれば人生の苦しみはすべて解決するのかも知れない。 彼は世の中には、自分のなめた苦しみよりもっと大きな苦しみをなめた人がたくさんいることを考えていない。 自分が悲劇のヒロインででもあるかのような外見を身にまといながら、日本の教育改革をやろうとしている人物が寺脇研なのであり、そこにあるのはあくまでも自分中心的な考え方である。 そのような自己中心的な教育を受けた子供たちが、他人を思いやる心を持った大人になるなどとはどうしても思えない。 一歩譲って、子供に最初から自己責任あり、とする考え方は寺脇の育ったような教育環境の整った家庭の能力の高い子供にとってはいいかもしれない。 しかしそれは多くの教育環境に恵まれていない子供にとっては、教育の放棄を意味している。それは生徒の自由を育てることではなく、子供への教育権を大人自らが放棄することである。 そのことを理解せずして何が自己決定・自己責任なんだろうと思う。 彼はまた次のように自己中心的な教育観を述べている。 『総合的な学習の時間や選択科目をはじめ、いま進めている教育改革は、自己責任という考え方をベースにしています。 まず子供に自己決定の機会を与え、自分がやりたいことを自分で決めてもらう。そうすると後になって、「俺は学校に行きたくなかったのに行かされた」とか「こんな授業、嫌いだからやめる」などと言ったときに、「自分が行きたいと言ったじゃないか」とか、「自分で選んで受けたんじゃないか」といえる。 自己決定には自己責任が伴うということを、きちんと教えることができます。』(p182) つまり、勉強するかしないかということを子供たちが自己決定できる立場において、その結果勉強をしなかった、成績が悪かったというのは自分の責任ですよということである。 しかしこれは子供を二階に上げておいてはしごをはずすことに似ている。はしごをはずされた子供がどうなるか、寺脇自身が一番良く知っているはずではないか。 寺脇自身と同じように、世間を怨むだけである。ひねくれるだけである。 教育ははしごを外すと見せても、最後まではしごを外さないところから本当は始まるのである。 そこが教師の勝負所である。 彼にはそういう経験がないし、そのことを分かってもいない。 寺脇に子供がいるとしたら、彼は自分の子供のはしごをそう簡単に外せるだろうか。 彼は「全国にいる子供を育てる仕事に徹するため、自らの子供は作らなかった」(「諸君!」1999年4月号)そうだが、私には自分の子供を愛そうとしない人間が、他人の子供を愛せるとはどうしても思えないのだ。 『自分がやりたいことを自分で決める』、実はこのことほど難しいことはないのである。 大人でも難しいことを子供にやれるのであろうか。 彼は自分の父親についても、いまだ激しい「怨み」を抱いている。彼の父は大学の医学部教授として仕事一筋に生き抜いてきたが、自分がその父親と同じ年齢になればその時の父親の心情を理解し、尊敬できる点の一つも見いだしていくのが親子というものではないのか。 彼にかかると彼の父親は全く人生の敗者のようである。 そこには子供としてのいたわりの念も、感謝のかけらもない。 彼の母は寺脇が自分の父親を悪し様に言うのを見て、「そこまで言わなくても」と嘆いたこともあるという。 彼は大学の医学部教授の父を持ち、エリート教育を受け、東京大学法学部を卒業している。 しかしそのことを全く感謝していない。 そして自分を東大法学部にまで行かせてくれた父親に対して、40歳を過ぎた今日までその生きざまを否定し続けている。 そして未だに、父親さえいなければ自分は違う人生を送れたのにと「怨んで」いるようだ。 私の中学・高校の頃を振り返ってみると、高い能力を持ちながら大学に行かしてもらえなかった人はいた。 私が教師になってからでも、そのような生徒はいる。 それでは彼らがすべて自分を大学に行かせてくれなかった親を怨んでいるのかというと、決してそんなことはない。 年取った親を大事に養っている人が多い。 そこに至るまでにはどれほどの葛藤があったのだろうか、彼らはそれを乗り越え親に感謝することを通じて、自分が幸せになる道を切り開いてきたのである。 その苦労は寺脇研の苦労より遙かに大きいものなのかもしれない。 私はそういうことを思わずにはいられないのだ。 しかし寺脇は自分の父親のことを次のように言う。 『父は私を医者にしたくて、あらゆる手段を使って説得を図ったのですが、それが無理だと分かると、東大法学部以外は受験料も入学金も授業料も一切出さないと言いだしました。』(p231) このことが寺脇の最大の「怨み」になっているようなのである。 自分はやりたいことを、親から決められたという「怨み」の思いが、今でも彼の教育改革の路線を決定している。 かつて高校をドロップアウトしそうになったとき、父親や両親が心配してくれなければ、彼はもっと不幸な人生を歩むことになったかもしれない。 しかし多分彼はそのことを何とも思っていないのだろう。 『自己決定・自己責任というのは、実は私達日本の大人たちもちゃんとやってきていなかった。…。 自己決定・自己責任の考え方を、今日本の社会全体で学ぼうとしているのです。』(p183) つまりこの一文によって、今までの日本人は自己決定で動いてきたこともなかったし、自己責任原則で行動してきたこともなかったということを、彼は自ら露呈しているのである。 そして自己決定・自己責任という原則は寺脇研の個人的な考え方に過ぎないということを自ら暴露しているのに等しい。 人がある1つの仕事について生計を立てていくということは、どんなに大変なことなのか。 その上で自分自身の勉強を続けていくということが、どんなに大変なことかということは寺脇自身の英語の学力を見ただけで十分ではないのか。 寺脇は自分の中学の時の英語の先生の教え方の非道さを国民に訴えようとして、逆に自分の主張する生涯学習の困難さを悟られてしまうという墓穴を掘っている。 そしてそのことに気付いてもいない。 根底に「怨み」がある。それが彼の知性を麻痺させている。 考えてみれば当たり前のことであるが、キリスト教のような一神教の神がない日本では、その神に見つめられている強い自我意識も育たない。 そのことは自然なことであり、そのような日本で個人主義的意識が育たなかったことを引き合いに出して、その文化的な非を論ずることに論理的な意味はなく、 また個人主義的意識の裏面である自己責任原則が発生しなかったのも、何ら人から非難されるべき筋合いのものではないはずである。 そしてそのような自己責任原則のないことが、日本の後進性を意味するものでないことは、寺脇ならば十分理解しているはずである。 それは文化の違いであり、文化の優劣の問題ではないからだ。 もし彼が個人主義や自己責任原則を批判の余地のないほどすばらしいものだとしているのだとすれば、それは明治維新のときの文明開化と何が違うのだろうか。 それは19世紀的世界観へのあともどりではなかろうか。 西洋ではすでに個人主義や自己責任の原則に疑問がでてきていることは、先にこのホームページでも取りあげた和田秀樹の「甘えの成熟」で指摘されているとおりである。 にもかかわらず寺脇が、なぜ従来の教育よりも『自己責任』原則のほうが優れていると主張するのかが、いくら読んでもわからなかった。 無理にでもわかろうとすれば、それは論理を越えた強力な政治的な力を想定する以外には思いつかない。 その力とは80年代の『ロン・ヤス会談』のころにまで遡るのかも知れない。 そうでも考えなければ、この教育改革は非常に不思議なことで満ち満ちている。 ただここでわかったのは寺脇の個人的な考え方の根底には、自分の父親に対する激しい『怨み』が渦巻いているということであった。 『怨み』は『教育』とは対極にあるものである。 彼は自分の父親に対する『怨み』を学校への『怨み』へと拡大させ、さらに日本の教育への『怨み』へと拡大させている。 もしかすると日本という国への『怨み』へと転嫁させているのかも知れない。 この教育改革の不健全性はまずそこにある。 |


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