16.自己責任と喧嘩両成敗  

2003.12.11
  

 
喧嘩両成敗というと普通、厳罰主義の表れだと捉えられているが、正しくは『やられたらやりかえす』という復讐法のルールの否定である。

 世界の歴史を見渡しても、『やられたらやり返す』という復讐法の原則は非常に普遍的なもので、古くはバビロニアのハムラビ法典に書かれている『目には目を、歯には歯を』の原則にも見ることができる。

 目を潰されたら相手の目を潰せ。歯を折られたら相手の歯を折れ。父を殺されたら相手の父を殺せ。これは自分の責任に置いて、『私闘』として行われるものである。このような考え方は『仇討ち』として江戸時代まで一部生き残ってきた。

 しかし、この原則は喧嘩両成敗法によって、今から約500年も前に否定されたという歴史を日本では持っている。

 500年前というと日本では戦国時代である。分国という地域国家が乱立し、互いに抗争を繰り返し、多くの血が流れてきた。それが約100年間も続いてきたのである。中世社会というのは実力の時代である。実力というのが正確でなければ、武力が事の善悪を決める時代である。その中世の終わりに現れた新しいルールが喧嘩両成敗法である。

 『やられたらやり返す』『自分を守るのは自分だ』、そんなことをやっていたらこの乱世はいつまでたっても終わらない。つくづく嫌気がさしていたのだと思う。乱世の恐さというものを嫌というほど知っていたのだと思う。

 『やられたらやり返す』『自分を守るのは自分だ』、これは一種の自己責任論である。今日でははやりの『自己責任』ルールだが、その歴史は決して新しいものではない。

 新保守主義によるヨーロッパ型の最先端のルールが『自己決定』『自己責任』ルールだと捉える向きもあるが、日本の歴史を丹念に読むとそれは決して新しいものではなく、日本の中世社会ではどこにでも見られたありふれたルールなのである。日本はそのルールからいかにして脱出するかという方法を、鎌倉時代以降、中世社会の約500年の年月をかけて考え続けてきた社会だといっても過言ではない。

 戦国大名たちが喧嘩両成敗法によって『自己決定』『自己責任』のルールを否定する一方で、家臣団を編成する方法として『寄親寄子制』という家族関係をモデルにした家臣団編成をしたことは、このことと別のことではないと思う。

 中世社会は家族関係をもとにした血縁的結合から、地域的なつながりを基礎にした地縁的結合への移行が顕著だが、その中世の終末期になって寄親寄子制という家族関係が擬制として復活することは、個人主義的な『自己決定』『自己責任』のルールの否定という意味で、上記の喧嘩両成敗法と共通する思想を持っているように思える。

 自分のことは自分だけでは決められない、いたずらに自分の利益だけをはかってはならない。大事なことは全体に対して責任を負う立場の者の判断を仰がなければならない。

 しかしそれが独裁にならなかったのは、主君も家臣も家族関係をモデルとしたルールの中で組織づくりが行われていたからである。そのような家族的ルールの中で人間関係が構成されていたから、自分のことではないことでも自分のこととして受け取る連帯責任の理念を理解することができたし、そのことは広く考えれば日本全体の治安の良さにも通じるものがあると思う。

 このような考え方のもとに日本は戦国時代を終わらせることに成功し、争いのない江戸時代300年間を実現することができたのである。

 このような歴史の推移を顧みることなく、個人主義的な『自己決定』『自己責任』ルールが、さもすばらしいものででもあるかのように脚光を浴びはじめ、多くの人がそこに疑問を差し挟むことなく無条件に受け入れていることは、歴史観の欠如という点からも不思議な光景である。

 日本の歴史がこの『自己決定』『自己責任』のルールの延長線上にあるものとして教えているのは、絶え間ない対立と抗争と欲望であり、その結果として多くの血が流れていくことなのである。



Click Here!教育の崩壊