24.小学校の男女『さん』づけ と 男女一緒の100m走

2002.6.29

   ある小学校でのことです。
 その小学校は、どこにでもあるような地方の公立小学校なのですが、そこでは生徒の呼称を男女に関わりなくによる「さん」づけに統一しています。
 そこで不思議なことが起こります。子供たちは友達を「太郎さん」「花子さん」と呼びます。しかし親たち大人は今まで通り、「太郎ちゃん」「花子ちゃん」と呼ぶのです。

 私は、子供が友達に対して「花子ちゃん」「太郎くん」といった使い分けをするのはきわめて自然なことだと思っています。我々もかつてそうやって育ってきましたし、それで特別困ったということもありません。教育方法で特別困ったことがないということは、うまく行ったということです。
 それは逆に言うとそうしなければうまくいかない可能性があるということでもあります。

小学校から男と女の区別なく友達を「さん」づけに統一して呼ぶ子供が将来、健全な父性や母性を発揮できるのだろうかという不安がよぎります。
 幼いころから女の子と同じ「さん」づけで呼ばれた男の子が将来、女子との差を自覚し、健全な男性になれるのだろうか。逆に、幼いころから男の子と同じ「さん」づけで呼ばれた女の子が将来、男子との差を自覚し、健全な女性になれるのだろうか。
 また男の子を女の子と同じ「さん」づけで呼ぶ女の子が、将来健全な女性になれるのだろうかという不安があります。

 それは小学校の高学年から早々と現れてくる男と女の性的特徴の違いに、あまりにも無防備に子供たちを直面させるだけなのではないか。そしてその性的変化を自然なこととして受け入れにくくしているだけではないのか。
 さらにそれは思春期に健全な男性あるいは女性としてのアイデンティティーを身につけることを難しくしているだけなのではないか。そして性を一種の「遊び」としてしか捉えきれない今の女子高生の間の「援助交際」のような風潮をいっそう助長するだけではないか。

このことは単なる杞憂ではなく、実際にその小学校の運動会では小学校6年生が男女一緒に100メートル競走をさせられているのです。小学6年生といえば女の子には性的特徴がはっきりと現れています。
 胸を揺すりながら走る女の子の横を、男の子が勢い良く走り抜けていきます。
 かと思うと、足の遅い男の子は、女の子のあとからドタドタと走っています。何か残酷な絵巻物を見るような思いで運動会を見ていました。
 非常に後味の悪いものでした。男の子にも女の子にも良い影響を与えないのではないかと思います。

 我々にとっては男の子を「くん」で呼び、女の子は「さん」や「ちゃん」で呼ぶということは常識でした。また小学校のかけっこでは男女別々に走るということが常識でした。そしてそれは我々の両親の時代も、さらにその前の祖父母の時代も常識であったと思います。このような広く認められた常識を簡単に変えてしまうことには深い疑問を感じます。

この小学校では「いじめ」はあまり発生しないようです。一応落ち着いているようです。しかしそれは問題を先送りしているに過ぎないのです。なぜなら同じ地域の中学校(数校の小学校から集まる)に進んだとき、中学校の雰囲気についていけず、「不登校」になる生徒が多いのですから。






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