46.「信仰の自由」が「宗教戦争」を生んだ

2002.9.11


 まず、ドイツでルターの宗教改革が始まったのが1517年です。
 それに続いて、スイスでツヴィングリの宗教改革が始まったのが1519年。
 それが失敗したあと再度スイスでカルヴァンが宗教改革をはじめたのが1541年です。

 彼らの主張は「信教の自由」を求めるものでした。しかしそれは自分の都合の良い宗教を信じようとするものではなく、あくまでも、キリスト教の聖書に戻ろうとする「聖書中心主義」運動だったのです。
 それは世界の拡大によって、異なった考え方を持つ集団同士が接触することによって起こった運動ではありません。

 その背景には、古典復興、つまり「ルネサンス」運動があるのです。それは自分たちの過去の文化を見極めることによって、現在の生き方に生かそうというものでした。ルネサンスというと日本では、何か未来に向かった革新的な運動と見られがちですが、そのベクトルはまず過去に向けられたものでした。その中心が、ギリシア・ローマ文化だったのです。そのような意味でルネサンスとは過去を否定するものではなく、過去を受け継ごうとするものでした。
 ただその際に困ったことには、ギリシア・ローマ文化を覗くことは、キリスト教が広がる以前のヨーロッパの姿を覗くことでした。「神」中心のキリスト教的世界から、「人間」中心の古代世界を覗くことになったのです。「ヒューマニズム」という言葉はそこから生まれたのでした。それはもともと古典の文献研究の態度を指すものでした。
(それがなぜ今のような人間性を協調する人道主義的な意味合いで使われるようになったのかは、また別の問題だと思います。)

 古典復興の態度は、原典復興にもつながります。それがキリスト教の学者たちにとっては「聖書にもどれ」という学問的姿勢を生み出していったのです。それは教会の言うことよりも、聖書に書かれたことを優先する態度を生み、教会との対立を深めていったのです。
 それが「信教の自由」を求めるという形であらわれたのです。
 そのような対立の後、「宗教戦争」が起こるのです。
つまり「宗教戦争」の引き金が、「信教の自由」だったのだと思います。

ルターの登場後、ドイツでは、
1524年に、ドイツ農民戦争という宗教戦争が起こり、
1618年に、三十年戦争という宗教戦争が起こりました。
その結果、ドイツは荒廃し、人口の1/3が失われました。神聖ローマ帝国も有名無実化し、ドイツは小国の分裂状態に落ちいりました。そしてドイツの近代化が遅れる要因となりました。

フランスでは、
1560年に、ユグノー戦争(ユグノーはフランスの新教徒)という宗教戦争が起こりました。
その後も両教の争いがなくなったわけではありません。17世紀後半ルイ14世が、ユグノーを追放したこともあって、フランスはほぼカトリックの地盤となりました。

イギリスでは、
1534年に、国王の個人的な離婚問題から、カトリック側と対立し、イギリス国教会の成立という変則的な経過をたどりましたが、その矛盾が、
1642年に、清教徒革命という宗教革命となってあらわれ、王が処刑されました。

 これと同時に反宗教改革の動きもあらわれており、魔女狩りの動きが見られました。それは旧教徒側だけで見られたのではなく、「信教の自由」を求める新教徒側も同様でした。
 さらに、旧教徒側では、
1534年に、イグナティウス=ロヨラ(スペイン)によって、イエズス会が創設され、カトリック布教を目的に、積極的な海外布教を開始しました。それはスペイン・ポルトガルの植民活動と一体となったもので、宗教改革によって、世界の拡大は人為的に加速させられたのです。
 そのような植民活動と海外布教の結果、その後に訪れたのは、ヨーロッパ内部での国家同士による覇権争い、そしてその勝者であるイギリスとフランスによる新大陸での植民地獲得競争でした。さらに、そのような植民地獲得競争の流れは、全世界的に広がっていき、19世紀には全世界的な帝国主義という植民地獲得主義の流れにまでつながっていきます。今も世界の各地にその爪痕が残っているのはご承知の通りです。

 以上のことから、「宗教戦争」の結果、「信教の自由」が認められたのではなく、「信教の自由」を主張した結果、「宗教戦争」が起こったと言えるのではないでしょうか。人々が「信教の自由」を求めた結果が、「宗教戦争」という混乱を呼び込んだのだと思うのです。
 そしてその「信教の自由」とは、「個人」の信教の自由であり、教会の権威を否定するものでした。それが「個人の自由」というものの発生だったのですが、教会という個人を規制するものがなくなった結果、宗教に対する敬虔さを放棄する人間が出てきても、誰もそれを規制できなくなったのです。
 ニーチェが警告した「神の喪失」とはそのことであり、大多数の神に対する敬虔さを失った人々の群を生み出していくのです。しかしそうなったあとも、「個人の自由」という概念だけは温存されて一人歩きし、強固な人権思想をつくっていきます。
 神を信じない多くの人々の群が、人権思想によって守られていくとき、過去の伝統を省みようとしない人々によって社会のルールは徐々に破壊され、何ら新しい社会秩序をつくろうとする試みもなされないまま、自分の欲望だけが肥大し、自分の本能的な欲求だけが最優先されるようになります。
 過去を顧みない人間たちは、未来を思うことも困難です。経済的には、本能充足の欲求が正当化され、いわゆる「欲望自然主義」や「欲望資本主義」が形成され、政治的にはそれは「大衆民主主義」という「衆愚政治」に陥っていきます。
 それがニヒリズムの正体です。

 私は価値観の違うもの同士が接触することが、どんなに悲惨な結果を招くのかということを歴史は教えているのだと思います。価値観の違うもの同士が共存していくことがどんなに大変なことなのかということを、まず歴史から読みとっていくべきだと思います。

 宮台真司氏は良くこんなことを言います。
 「人類社会は、昔から今に至るまで、人を殺してはいけないというルールを共有し、一般化した社会は1つもありません。代わりに存在するのは、仲間を殺すな、というルールと、仲間のために人を殺せ、というルールです。」
 しかしそれは過程を省略した、結果論だと思うのです。歴史上、「仲間のために人を殺せ」と言わずにすむように、人々は様々な努力をしてきたのだと思いますが、どうしても折り合いのつかない場合が歴史の様々な局面であらわれてきた。その時に仕方なく「仲間のために人を殺せ」といわざるを得なくなるのですが、その結果人々がどのような悲惨な目に遭ってきたかということが、すっぽりと抜け落ちているのだと思います。
 平和は努力して苦労してやっと維持できるものだということが、彼の言説からは伝わってこないのです。平和は守らなければならない、そのためには血のにじむような努力を続けなければならない、しかしどのように努力しても戦争が起こってしまうことがある。その時には想像もできないような悲惨なことが起こる。
 そのことを感じきれないのは日本が国の安全を考えなくて良いという、一番楽な立場に自分を置いているからでしょう。平和と安全の絶対保障のなかで責任論の何かが狂いはじめているのです。

 昔「ボレロ」という映画がありました。
 「人が経験する苦しみというのは、繰り返し人間が経験してきたものである。しかしそれを味わうときには、それがあたかも初めてのような残酷さで経験される」というような言葉がありました。そのことをこそ説くべきなのです。
 宮台氏のいう「仲間のために人を殺せ」という言説が一人歩きすれば、それは容易に「戦争賛美」論に転化します。彼の言説にはそのような恐ろしさがあるのだと思います。

 啓蒙思想家としてそのことを一番良く見抜いていたのは、
 1700年代中頃のルソー(仏、1712〜78)でも、
 1600年代後半のロック(英、1632〜1704)でもなく、
 それ以前の1600年代中頃に登場したホッブズ(英、1588〜1679)です。
 彼の「万人の万人に対する闘争」という人間の自然状態の想定は、彼の危機意識の表明だったのです。
 人間が本能むき出しの状態になれば、ホッブズの言うように「万人の万人に対する闘争」の状態になることは、キリスト教徒ではない日本人にも良く理解できることです。

 「人権」思想の最初には、「信教」の自由がありました。つまり「人権」の前提には「信仰」があったのです。神への信仰を捨てないで維持し続けることが条件だったのです。

 そのことは1776年のアメリカ独立宣言にも見て取ることができます。曰く、
「すべての人は、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与されていることを信ずる」と。
 ここでいう「造物主」というのは「創造主」とかいろいろ訳されますが、これはキリスト教の「神」のことです。「天賦の権利」とはキリスト教の「神」によって与えられるものだったのです。つまりキリスト教への信仰が大前提になっています。そこにはまだ、ピルグリムファーザーズ以来のアメリカ清教徒たちの信仰の伝統が残っています。
 しかしそこには神から与えられる権利のことは触れてあっても、その神に対する義務については全く触れられていません。権利だけが残って義務が消失してしまっているのです。

 さらに約十年後のフランス人権宣言になるとその傾向はもっと顕著になります。曰く、
「政治的団結の目的は、人の消滅することのない自然権を保全することである」
「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する」と。
 ここでは、「人の消滅することのない自然権」とか「本質的に国民に存する」とかがうたわれていますが、その大前提になる「造物主」とか「創造主」とかいう言葉が完全に消えています。ここでは神への義務が消えているばかりではなく、キリスト教の「神」そのものが消えてしまっています。

 アメリカ独立宣言とフランス人権宣言という、近代民主主義思想の根幹となる宣言文の中に、このような矛盾があることは重大なことです。

 その重大さをいち早く警告した哲学者がニーチェだったのであり、彼のニヒリズムの恐怖を、私はここ十年間でよけいに学校現場で感じるようになりました。これは決して大げさな表現ではありません。
 このような政治思想を土台とする限り、価値観の土台がないまま、個人の価値観は細分化し、多様化して行かざるを得ません。そのことを価値相対主義として、何か健全な哲学の一ジャンルのように位置づけることに私は疑問を持っています。

 「個人の幸福追求権」を最大限追求していって、そこに個人の利益と個人の利益の衝突が起こった場合でも、ケースバイケースで話し合っていけば「公共の福祉」は維持できる、とする考え方があるのは知っていますが、歴史はそのことの逆を教えているように思います。

 私はヨーロッパ人は「個人の幸福追求権」の恐ろしさを歴史の中から読みとっていると思うのですが、日本人の場合、その歴史がヨーロッパの歴史に比べはるかに平和であったことから、そのことを歴史の中から読みとりきれなくなっていると思います。

 今日本の社会は、恐いもの知らずの少数のイデオロギストによって、彼らが思ったとおりの世論操作が行われていく危険性をはらんでいるように思います。

 

<参考文献>
「民主主義とは何なのか」 長谷川三千子 著  文春新書  2001年
「反人権宣言」        八木秀次 著     ちくま新書 2001年  

 



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