いとらうたし


過去ログ
2007/05/18

 一羽の燕が、アーケードの中を、人の間を縫うようにして、低く速く飛ぶ様を、ケンタは振り返って、目で追う。燕はあっという間に、アーケードを抜けて行く。

 燕を見送り、視線を正面に戻すと、別の燕が、今度はタケシの顔目掛けて、真っ直ぐ向かって来る。突然現れた二羽目の燕に、ケンタは驚き、思わず立ち竦む。大きく開かれた小さな嘴の、その奥の小さな赤い舌を、ケンタが肉眼で捉えることができるほど、目と鼻の先で、燕は急角度で軌道を変え、寸での所で衝突を回避する。

 燕が切り裂いた空気を、右頬に感じ、ケンタは再び振り返って、燕の姿を追う。

 家に帰り着いたケンタは、そのことをメグミに伝える。今日、燕が商店街の中を低く飛んでて、俺の顔にぶつかりそうになったんだ。ケンタは普段あまり喋らない。昔からそうだった。ただ、必要なことは伝えているつもりだったし、必要が無い時は喋らない。それで普通だと思っていた。しかし、人から度々指摘されるに及び、ようやく自覚した。おい、何か喋れよ。以前付き合っていた恋人からも言われた。どうして、あんまり喋ってくれないの。どうやら自分は無口の部類らしい。意外だった。他者との会話について、面倒だとか、苦痛だとか、そんな風に考えたことはなかった。会話を楽しむこともできた。実際、会話量が乏しいというだけで、ケンタは人付き合いは悪くない。また、そのようなケンタの性質を好ましいと思う者もいて、学生時代からの友人も少なからず存在する。

 人から指摘され、自分が無口であることを自覚してから、ケンタは時折、自分の会話量の乏しさについて考えるようになった。なぜ俺はあまり喋らないのだろう。よく分からなかった。そして、ケンタは相変わらず無口だった。

 メグミと同じ部屋で暮らし、長い時間を共有するようになって、ケンタは少し変化した。メグミは、ケンタに負けず劣らず無口だった。殆ど会話の無い生活。その沈黙に気詰まりして、という訳ではない。寧ろ、それはごく自然で、心地良かった。ただ、にも関わらず、気付けば、ポツポツと、こんな風に、タケシは自分から会話をするようになった。本当に俺の目と鼻の先くらい、ギリギリまで接近してたから、飛んでる燕の舌まで見えた。鳥が飛んでる時に口を開けてるって俺は知らなかったよ。

 メグミは少し首を傾げて、飛んでる時って苦しいのかな、と問う。そうだな、人間だって長い距離とか走ってて、疲れてくると口が開くらしいから、やっぱり空を飛ぶくらい羽を動かさなきゃいけないと苦しいんだろうな。そうかあ、そうだよねえ、とメグミは考え込む。

 最近、ケンタは思う。会話をするのは、痕跡を残す為かもしれない。自分のことを理解して欲しい、とは違う。違う気がする。燕の話が、自分の性質なりを相手に理解させる有効な手段となるかどうかと考えると、やはり違う。せいぜい、自分は、商店街の中の燕に興味を持つような人間だ、とか、その程度のことしか伝えられはしないだろう。寧ろ、他者の理解ということであれば、その人物の仕草や選択や、それらの非言語情報の方が重要であるし、また誤魔化しようの無い分、正確なのではないか。だから、理解云々ではなく、自分の存在の記憶の痕跡を、誰かの、自分が愛情を抱いた相手の脳の中に刻むことが目的なのかもしれない。忘れないで欲しい、憶えていて欲しい、そういった感情とも異なる気がする。それはもっとシンプルな、例えば古代人が洞窟に壁画を刻み付けた感覚にも似ているような、ただ、その感情が何なのか、或いは、そういった感情に何らかの名前が付けられているのかどうか、ケンタには分からない。

 夜。二人で布団に入り、抱き合ううちに、そのままセックスに及ぶ。最中に、バラバラと雨音がし始め、突然、白く不気味に稲光が部屋を照らしかと思うと、ガラス窓をビリビリと振動させる程の雷鳴が轟く。二人は驚き行為を中断して顔を見合わせる。

 メグミは窓の外に視線をやり、ふと、水を吸った羽はそんなに重いのかな、と呟く。自分の言葉が、メグミに刻んだ痕跡。ケンタは自分でも意外なほど、それを嬉しく思う。



名前

宛先

内容



2007/05/02

 今なら、とても素直に文章を書けるのではないかと思うのです。

 ただ自己満足の為だけに文章を書いて、自己満足の為だけにFTPでサーバーにHTMLファイルをアップロードする。それだけを全ての目的にすることが、今ならできるのではないかと思うのです。

 28歳になりました。そういや思春期って辛かったよなあ、と最近思います。


2007/05/15

 分からない、とメグミは言う。
 ケンタは頷き、再びテーブルの上の雑誌に目を落とす。

――タテのカギ――17.夜想曲――

 国道沿いの24時間営業のファミリーレストランの店内は、午後10時を過ぎて、ますます混雑していた。メグミは、一心に考え込むケンタをぼんやりと眺めながら――ステーキが食べたいとさっきは言ったけれど、本当はステーキじゃなくて、イカの刺身が食べたかったのかもしれない――ふと、そう思う。そのことをケンタに伝えると、ケンタはまた頷き、そういうことは俺もよくあるな、とボソボソ呟く。どうして自分が食べたい物を勘違いするんだろう、とメグミは考え込む。

 午後11時。メグミは手元の携帯電話をカチカチと弄りながら、時折、思い出したように、アイスクリームの溶けきったフルーツパフェを突付いている。ケンタは相変わらず、テーブルの上のクロスワードパズルの雑誌をじっと睨んでいる。突然、バリン、とグラスの割れる音が店内に響き、二人は驚いて顔を上げる。すぐに店の奥から箒と塵取りを持ったウェイターが現れ、周囲の客に頭を下げるウェイトレスの隣で、割れたグラスの破片を掃き取っていく。その機械的な、手際良い動きを、二人して観察していると、不意に、ケンタが、あ、と小さく呟く。なに、とメグミがケンタの顔を見ると、ケンタは微かに笑って、
――ノクターン――
と呟いた。

 外でご飯を食べるのは楽しいね、と、手を繋いで帰り道、メグミは語りかける。
 そうだな、と、クロスワードパズルの雑誌を片手に、ケンタは呟く。