異文化コミュニケーションとは

@ 文化の定義

「文化とは、ある集団のメンバーによって幾世代にも渡って獲得され蓄積された知識、経験、信念、価値観、態度、社会階層、宗教、役割、
時間・空間関係、宇宙観、物質所有観といった諸相の集大成であると言えよう」

この定義によると、文化はわたしたちの頭の中に蓄積されている観念、
つまり目に見えない文化(観念的文化)と言え、その観念に基いて、建築物、自動車、衣服、料理、書籍などの
目に見える文化(物理的文化)を創り出している。
わたしたちの生活は、この目に見えない文化と目に見える文化に常に囲まれながら生活をしている。
朝起き出すときはどのような寝具(ベッド、布団etc)からか、朝ご飯は何をどのような物を使って食べるのか、
その日あった人とどのようなやり方で挨拶をするのか、何に乗ってどこまで行くのか、その間の交通規則やマナーはどうなのか、
叱り方、誉め方、謝り方、休養の過ごし方、遊び方・・・・・・・。
しかし、例えば日本に生まれ日本で生きてきたとき、
朝は箸でご飯を食べ味噌汁を飲み(・・・パンもあり?朝抜きもあり?)、多くの人がラッシュの満員電車に乗って仕事や学校へ行き、
・・・・・・・そうした生活の仕様に疑問を持ったりしたことがあるだろうか。
あまりにも当たり前過ぎて、考えたこともないのではないだろうか。
これが、文化背景の異なる人間と生活を共にすると、普通だと常識だと思っていたことが通用しないという現実に直面する。
ゆきがカナダにホームステイをしたときを例に挙げると、
まず朝ご飯は各自で準備して食べ(小さな子供もだ)、学校へ持っていくランチバッグ(お弁当)を用意し、
満員電車はおろか、ハイウェイで通勤・通学する際にすれ違う車の数を数えても、指は10本も要らなかった。
けれども、ホストマムが冷たい人であったわけでも、子供たちが“しっかり”していたわけでも、
現地の人が通学や出勤時間にルーズなわけでもない。
ホストマムは働き者だったし6人も居る子供ひとりひとりに対してよく出来たことを誉めたりしていたし、
子供たちもホストマムに甘えたりイタズラをしたりゆきの持ち物に興味を示して手放さなかったりした。
スクールバスは必ず毎朝同じ時間にバス停へやってきたし、授業に先生が遅刻してくることもなかった。
「習慣の違い」だった。

A 異文化コミュニケーションの定義

「異文化コミュニケーションとは、自分と相手の共生共栄と相互尊重のために行う情報交換、情報共有、共通の意味形成行為である。」

つまりは、相手とコミュニケーションを図ることが、相手を利用し自分の利益と権力を一方的に伸ばすことではなく、
自分または自国の利益のみを達成するコミュニケーションは望ましいコミュニケーションではない、ということになる。
しかし、このような「異文化コミュニケーションの定義」を成立させることが出来るのは、
個人的な関係や公的な関係等利益が発生しない前提があるような場面ばかりかもしれない。
例えば、国家間の紛争の際負けた国の方は全体的に勝った国に握られたり、
ビジネスの世界でも権力の大きいものには対等になれない。
それでも、そこで異文化コミュニケーションの定義を達成させるならば、
双方が利害の対立で駆け引きをするのではなく、
本当に必要としているものが何であるかを掘り下げて把握していくことによって、
双方の利益となるよう検討することである。

異文化コミュニケーション学は、コミュニケーション学、文化人類学、社会学、言語学、心理学、比較文化、比較文学、史学、
政治経済学、経営学等を網羅し総合的に捉える、まさに壁を越えた領域分野なのである。