菜の花の相模の国に鐘のなるあしたを夢はゆきてかへりぬ

歌稿「うすひ野」所収。「新声」第十四編第四号(明治三十九年四月)初出。
夕暮の歌は郷里秦野をノスタルジーを込めて歌うことが多く、その憧憬的なイメージと「菜の花」が 結びつくことも少なくない(昭和二十六年四月、夕暮臨終の庭前には菜の花が咲き乱れていた)。 また、歌中に出てくる「鐘」は夕暮の生家の裏にある弘法山の鐘であろう。菜の花が咲き、鐘の音が鳴り響く 朝の爽やかな風景の中を、青春の夢想があてどなくさまよっている。
当時の夕暮は文学を志し、上京した直後であり、そうした青春の彷徨の中で郷里の風土を夢に見、 そこに自信の夢を重ねて歌ったのだろう。



日の反射はげしき山をあふぎつつ黒き洋傘(こうもり)ふかぶかとさす

第四歌集『森林』(大正三年白日社所収)。『詩歌』大正三年十月号の「溶岩原」初出。
「溶岩原」一連は同年九月に富士山麓を一人旅したときの作品で、中でもこの歌は夕暮れ自身がたいへんに好んでいた作品だといわれている。
当時の夕暮は都会的なものから自然への志向を強くしていった時期にあり、この歌の詠まれた富士山麓への旅も、そういった思いに従ったものであった。
この歌は日光の強く射す山麓で、一人黒い洋傘をさしているという情景を詠んだものである。山田吉郎は「『黒き洋傘ふかぶかとさす』というところに自然の中を一人彷徨する作者夕暮の孤独が込められている」と指摘する。また香川進はこの歌の「内容がなく、すがすがしい」ところに注目し、「この無内容の歌には、気韻知るべからざるものがある」と述べているが、それに対し山田吉郎は「その『気韻』の底には一種の孤独が揺曳しているのではないだろうか」と論じている。
「一人」という言葉を用いることで孤独感が感じられ、日光と黒い洋傘の対比によって行くあてのない心情を感じ取れる、素直な一種である。



自然がずんずん体の中を通過する───山、山、山

『水源地帯』(昭和七年九月、白日社)所収。夕暮の自由律短歌として有名な一首である。『東京朝日新聞』昭和四年十一月二十八日夕刊初出。
 この歌は朝日新聞主催の空中競詠の際、夕暮の郷里丹沢山麓上空で詠まれたものである。夕暮は「たてつづけに山のほさきがえらい速度で衝迫してくる時の感動」を詠んだと後に述べている。このとき夕暮はその感動を従来の文語定型で歌うのではなく、口語自由律において歌い、これ以来10余年に及ぶ自由律短歌運動に打ち込んでいくのである。
 この空中競詠では、土岐善麿も自由律へと踏み切り、自由律短歌は歌壇の最重要テーマとなっていった。



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