上座仏教(南伝仏教・南方仏教)

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【歴史と現状 上座仏教は、スリランカ(セイロン)、ミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオスなどに伝えられた仏教をいい、
こほかにヴェトナム南部、マレーシア、インドネシアの一部にも伝わっている。
 南伝仏教の呼称は、中央アジアから中国、朝鮮半島、日本などに伝わる北伝仏教(北方仏教)に対するもので、
一般には「上座仏教」(テーラヴァィーダ)と称される。上座仏教を「小乗仏教」(ヒーナヤーナ 小さな乗り物)と
呼ぶ場合もあるが、これは北伝仏教が自らを「大乗仏教」と称賛し、上座仏教を劣ったものとする呼び方で、
一般にはあまり使用されていない。
 仏教教団の歴史をみると、まず「初期仏教時代」(根本仏教)といわれる、釈尊とその直弟子たちの時代がある。
次いで、釈尊入滅の年には、釈尊の教えを正しく後世に伝承するため、摩訶陀国の王舎城郊外で、
長老の大迦葉を中心に500人の比丘が集い、第一回結集といわれる最初の仏典編集のための会議が開かれている。
 さらに、釈尊滅後100年の第二回結集のとき、教団の規則(戒律)を厳格に守ろうとする長老中心の上座部(保守派)と、
柔軟な考えを持つ大衆部(改革派)とに大きく分裂する。これを「根本分裂」といっている。
 その後、さらに18〜20の部派へと分裂していき、それぞれの部派は独自の論と教義(アビダルマ)を立て、互いに
論争を繰り広げる「枝末分裂」の時代に入っていく。
 紀元前三世紀、マウリヤ王朝の第3代に阿育王が即位した。王はインド史上、はじめて統一国家を築いたが、
即位9年目のカリンガ戦争でその惨状を目の当たりにし、仏教の精神を政治に反映させようと志した。
 王は各地に仏塔を建立するとともに、仏教の伝道団を北はガンダーラ、カシミール、南は南インドのデカン、スリランカ、
カンボジアなど広範な地域に派遣し仏教の保護と流布に努めた。今日、仏教が世界宗教として存在するのも、この
阿育大王の功績によるものである。
紀元前三世紀なかごろ、上座部系の信者であった阿育王はスリランカに伝道団を派遣した。伝説では、阿育王の子
マヒンダ長老がスリランカのデーヴァーナンビヤ・ティッサ王に会い、王は仏教に帰依し、首都アヌラーダプラに
大寺(マハー・ヴィハーラ)を建立するなど篤い保護を行なったという。
 大寺中心に、聖典編集、教学整備、僧団の充実が計られ、次第に東南アジア各地へと広まっていった。
上座仏教がときに「シンハラ仏教」といわれるのは、源流であるスリランカの仏教徒の大半がシンハラ人であることに
由来する。
 五世紀にはインドのブッダゴーサがスリランカに来島し、パーリ語で三蔵(経・律・論)の注釈書を完成させ、さらに
「清浄道論」を著して、上座仏教の教学を確立したといわれる。「清浄道論」は、今日の上座仏教の教義のテキストと
なっている。
 ここで、東南アジアに広がる上座仏教の事情を見ることにする。
  @スリランカ  @スリランカは上座仏教圏の発祥地である。紀元前三世紀、阿育王の子マヒンダ長老によって仏教がもたらされ、
後世の仏教徒は「島に灯火をつけた人」として王子を敬っている。
 次いでマヒンダの妹サンガミッター尼が11人の比丘尼ととも、ブッダガヤーの菩提樹の若木をたずさえ来島し、
スリランカにおける比丘尼教団の基礎を作った。
 ドゥッタマニー王(紀元前161〜137)の時代に国家宗教として定着したが、前二世紀前半にはタミール人の侵入があり、
仏教徒のシンハラ族とヒンドゥー教徒のタミル人との確執は現在にまで及んでいる。
 ヴァッタガーマニ・アバヤ王(紀元前89〜77)のとき、戒律上の論争から無畏山寺(アバヤギリヴィハーラ)が大寺から
分裂し、さらに三世紀にはジェータワナ派ができ、スリランカ仏教は三派に分かれた。
 12世紀に入り、パラッカマ・パーフ王は混乱した教団の浄化をはかり、分立する三派を大寺派に統一した。
 1505年から1948年までスリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスのキリスト教圏の支配下となり、仏教は
抑圧され滅亡の危機に瀕した。
 1750年、ときのキャンディ王は仏教の復興を願い、タイ(シャム)に使節を送り、僧の派遣を要請し、翌々年に
ウパーリ長老一行を迎え受具足の儀式を復活している。現在、上座部教学の保持に務め、依然、東南アジアの
上座仏教の要にある。
  Aミャンマー  Aミャンマー(ビルマ)は、11世紀、ビルマ族のアノーヤター王がパガンに統一国家を建設し、スリランカから
上座仏教を移入したのがはじまりとされる。
 王は既存の宗教(大乗教、密教、ヒンドゥーの習合した宗教)を追放し、公的に上座仏教を保護した。
王や貴族は仏塔建立と仏書作成に援助を惜しまず、13世紀末の蒙古軍による王朝崩壊まで、パガンには
約5.000基の仏塔が建立されたといわれるほど仏教は繁栄した。ミャンマーの仏教は、スリランカの大寺に準拠し、
独自の教学的展開はない。
  Bタイには8世紀ごろ、すでに大乗仏教が伝えられていたが、11世紀にビルマのアノーヤター王がタイに
侵攻し、大乗仏教を排除して上座仏教を移入したといわれる。
 13世紀なかごろ、タイ民族最初の王朝スコタイが建設され、二代ラームカムヘン王はスリランカに使節を送り
高僧を迎え、上座仏教は国教の地位を占めた。
 14世紀に入り、リタイ王はスリランカから僧団の中心者にマハーザーミ長老を招き、以後、タイにおける
大寺派教学の地位が確立された。
 タイ王国憲法には「国土を仏教徒する」と限定され、国王は伝統的に「仏教の第一の守護者」「第一の信徒
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