
百物語第一夜其の六十七
おっぱいがいっぱい
おっぱい。
何と素敵な響きであろうか。
人には堂々と明かせないのだが、わたしはおっぱいが大好きなのだ。わかるだろう? 水代君。おっぱい、おっぱい。ああなんと素晴らしいその響き。あのまろく充実した温かい膨らみそのままではないか。おっぱい。その言葉は即ち幸いだ。心に仄かな甘さと満足とをもたらしてくれる素晴らしいあれ、あの美しい受容と惜しみの無い抱擁のような、そう、それは乳房などとあぢきなく呼ばれるべきではない、おっぱい、とにかくおっぱいなのだ。母性の象徴などというつまらないものではない、育児のための器官などというああそんな不躾な風にそれを見なしてはならない! おっぱいはおっぱいなのだ。それが全てであり、それだけなのだ。
断っておくがわたしはおっぱいが好きなのであって、おっぱいのついた女体に関心が在るわけではない。むしろ女体は邪魔だ。私にとっては女体ではなくおっぱいなのだ。まろい、優しいお椀状の、神々しく、柔らかく、そのくせしなやかな弾力のある、永遠なるおっぱい。女体抜きでおっぱいを愛でることができればどんなにいいだろう。
長い間、わたしはそう思い続けてきたのだ。
それでだな水代君、何を隠そう私はおっぱいを所有しているのだ。純然たる、単品のおっぱいだ。女体抜きのやつだ。いやいや猟奇ではない。殺人でもない。摘出でもない。ほら見たまえ、このお茶缶の中に生えているのだ。
そう、おっぱいを驚かさないように、ゆっくり開けてくれたまえ。
底に白いおっぱいが休んでいるだろう。そう、これが私のおっぱいだ。触ってみたまえ、そうっとな。乳首はダメだぞ、敏感だからおっぱいが驚いてしまう。そら温かいだろう。周りに青い血管も透いているだろう。いかにも愛らしいおっぱいだがこれで乳首の周りに毛がはえたりするから私が手入れしてやっているのだ。おっとこんなことを明かしたらおっぱいが恥ずかしがるだろうか。
どうやって手に入れたかって?
君江の島を知っているかね。若者向けの歌手なんかが歌っているようなあれだ。夏にはいかにも人気そうだが最近ではそうでもないのだ実際のところ。ともかく若向けの夏のイメージで売っているところだ。あすこには江の島神社がある。江の島神社といえば君、裸弁天だ。若い頃のわたしはあの弁天様に恋をしたのだ。もちろんおっぱいだ。
あのおっぱいは比するところのないおっぱいだ。なんというか、私の理想のおっぱいだったのだ。白くて、まろくて、美しくて、いかにも充実していて君みたことないなら一度は見ておかねばならないぞ。実際初めてだったのだ。女体込みでおっぱいに魅力を覚えたのは。これまでわたしは様々なおっぱいを見物してきたのだがどんなに素晴らしく理想的なおっぱいであってもそれが肋骨のある背骨のある四肢のある頭のある目玉のある侮蔑のある女体についている限りたちまち具合悪くなってしまったものだった。それが初めてだ、あの裸弁天を見た途端、私はおっぱい込みの全てを女体の女神の全体を受け入れる気持ちになったのだ。私にとってあの裸弁天はおっぱいの化身だった。純然たる理想のおっぱいにふさわしい肉と体と骨格とそうして面相がついて裸弁天になったそのようなものだった。私は余りに恋して眩暈して熱を出した、熱を上げるというのが比喩でないことを生まれて初めて実感したのだよ君。そうしてもう帰るのが嫌になってしまって、弁天堂の側で一夜を過ごしたのだ。そうしてそのまま一週間を過ごしてしまった。ただおっぱいがおっぱいのついた裸弁天が弁天様がこの女神が愛しくて恋しくて慕わしくて情熱が溢れて仕方なくてそこに居続けてしまったのだ。そうしたら君一週間した明け方私が草を枕にうとうとしていると東の空がいつになく早く明るくなり弁天堂から妙なる音楽と妙なる香りが聞こえてきたのだ。私が不審に思いながら起き上がるとそこに弁天様がおいでだった。いや弁天堂のいつもの場所に座っておいでだったのだがその前の木の造作がすっかり透けてお姿が綺麗に見えていたのだな。そうして弁天様は私に向かってこんなことをおっしゃった。曰く、私の慕う気持ちが余りに強いので私の心が動きました、それほど乳房を好むならあなたに私の乳房を授けましょう、と。わたしはいたたまれずに、おっぱいです、乳房ではなく、おっぱいです、と叫んだ。私にとっては弁天様は断じて乳房の化身ではなく、おっぱい、おっぱいの化身だったからだ。弁天様は少し頬を赤らめると、おっぱい、と小さくおっしゃった。ああそれが私の生涯で一番の至福の時だった。そうして弁天様は微笑むと立ち上がり、私をその肌に抱き寄せてくださったのだ! 思ったとおりのおっぱいだった、滑らかで、匂やかで、甘いにおいがして、優しく充実して柔らかく、重力になどついぞ負けそうにない、わが理想のおっぱい!
陶然となっているうちにあたりは明るくなった。もう弁天堂はもとにもどっていた。見回す私の目の前にこのお茶缶があった。導かれるように蓋を開けると、
其の中におっぱいが静かに恥らうように住んでいたのだ。
以来わたしはこのおっぱいと添うているのだ。他に何も必要ないというこの心持は、君ならわかるだろう。他の誰ともこのような思いを共有できるとは思わなんだ。だがおっぱい! 君に出会いこうして私の長年の秘密の嗜好を語り合うことが出来て本当に嬉しいのだよ。
一息に喋り終えて、老人は世にも満足なため息をついた。
水代は茶缶の中に目を落としたまま微塵も動かなかった。
水代は思った。私はこの老人が、田沢老人が妬ましい。こんなコンパクトで実用的なおっぱいを所有しているだなんて!
だが断っておく。私はおっぱいフェチではない。むしろ母乳フェチである。
私には年の離れた弟が居た。弟が母のおっぱいを飲む光景をいつも見ていた。ふくふくとふくらんだ乳房と乳輪は大きく、それは少し私を恐れさせた。だがそんなおそれよりも、至福を飲み干しているといいたげな弟が妬ましかった。わたしは時々母の肩をもんでやるふりをして背中に回りこぼれるような乳房と頬満たしてしゃぶりつく弟の顔とを交互に眺めた。母の乳の出は非常によく時折弟はむせて咳き込んだ。そんなとき弟は口を離し、あらわになった乳首から幾筋かの母乳が吹き上がりしぶきのように弟の顔に降りかかる。その眺めは私を圧倒した。羨ましかった。私も母の乳房に口を付けて乳を飲みたかった。赤ちゃんじゃなければ美味しいものじゃないわよ、母は羨ましそうな私を笑って窘めた。だが私には、それは甘露やマナに匹敵する此の世ならぬ素晴らしい風味のものであるという無闇な信仰を打ち消すことができなかった。
わたしは田沢老人のような純正の変態ではないので、ちゃんと結婚もした。まぁ白状すると半分くらいは母乳目当ての結婚だ。私は道徳的な心性なので母乳のために女を買うなどという浅ましい真似はしたくなかった。それで結婚し、愛し、子供を授かったところで心から愛しんで妻を抱くことにしたのだ。
おっぱいの出がよくないのよ、と言われて、私は喜んで吸ったものだ。甲斐あって乳は少しずつ出始めた。舌先にうす甘い液体が滲む。血のような、鉄臭さもあった。乳は血から作られるのだという。これが赤子を一年余り育む命の液体なのか、私は満たされていた。
それから何度も、私は妻を愛した。産後すぐは痛むというので、私は暫く指と唇とで妻の体を慈しんだ。私しか男を知らぬ妻にとってはその方が余程達しやすかったのだ。妻が達すると乳房がしこり乳首が尖りそうして白い液体が乳首の先にぽつりと点ると滲み溢れしまいには噴水のように弧を描いて噴出する。その様が命の横溢と見えて美しく途方も無く、私は、愛しかった。
どんな理想のどんな美しさの前にも現実は横たわり終わりをもたらす。私と妻との堪らぬ蜜月は子の離乳と共に終わりを告げ、そして経済的事情は私たちに二人の子供しか許さなかった。それはそれでいいのだが、妻も子も相変わらず愛しいのだが、それでも、私は母乳の、あの神秘の液体の、味わいの、温かさの、仄かな甘さの、鉄っぽさの、水っぽい薄さの、思いも寄らぬ噴出の力強さの、あれを、忘れることはできなかったのだ。
私はこの老人を、田沢老人を、ほんとうのところ軽蔑している。あれは純粋の変態だ。いい年をして女も愛せぬままに至った乳房フェチだ。だが私は彼の持っている乳房、独立した乳房の秘密のにおいをかぎつけ、親交を持ったのだ。私の目的は単純だ。私はただ、不義を働かず、いつでもあの甘さを自分のものにするための道具が欲しかっただけなのだ。
茶缶の中にぴったり納まっている丁度よい乳房。もしそれが母乳を分泌するものであったならば、私にこそそれは必要なのだ。田沢老人は乳房の形しか愛でていない、外形しか、触感しか、見かけしか愛でていない。乳房には機能がある。命を養う液体、母乳を、乳を、分泌するというかけがえのない機能が。
(かたちだけ愛するなんて、そんなの乳房に失礼じゃないか)
水代は田沢を何とか言いくるめて乳房から乳を搾り出せないか、算段していた。だが搾乳を施すにはこの乳房は余りにも可憐で愛らしかった。乙女を犯すようなものじゃないか、水代は困惑した。
(やはり母乳は吸ってやるのが肝心だ)
妻との交渉で、乳が出るようにするその吸い方には自信があった。だがこの乳房に分泌の用意がなければ意味がない。弁天は処女ではあるまい。だが経産婦であるのか。育児中であるのか。授乳中であるのか。どれも違うように思われたが、
(だが相手は女神だ。やってみなければわかるまい)
水代はそう思った。
(そうだ、乳房を茶缶の底からはがせばよいのだ)
思いついた水代は、やおら茶缶を掴むとトイレに駆け込んだ。田沢老人は青ざめ追いかけた。水代はそのまま鍵をかける。動転している田沢老人は何をどうすべきか混乱してひたすらに愛しい乳房の無事を案じて扉を叩き続けていた。トイレの中で水代は汗をびっしょり掻きながら乳房を茶缶の底から静かにはがそうとしていた。
「おっぱい! わたしのおっぱい!」
(煩いなぁ)
水代は茶缶に手を突っ込み乳房を摘むとじりじりと力をかけた。剥がれろ、剥がれろと念じている内にそれは張り付いた餅のような具合に吸着力のある剥がれ方をした。水代は思わずそれを掌に載せてみた。全く和菓子のような愛らしさだ。温もりと湿り気が生を証している。呼吸しているのだろうか? 水代は思わずほお擦りした。それから鴇色の乳首をそっと口に含んだ。
妻相手に習い覚えたように、水代は舌先を丸め、乳房のまろみを扱くようにしながら律動を持って吸い上げた。口腔内で拉げたようになったそれは、無体なもてなしを暫くこらえた後、とうとう僅かな液体を零れさせた。瞬間水代の体が震えた。心の臓に砲撃を打ち込まれたような、甘い衝撃。
母に見たように、妻に味わったように、じき乳首はいくつも備わっている乳腺から幾筋もの乳を溢れさせた。水代は暫くの間喉を鳴らして飲んでいたが、程なく大量にむせかえり唇を離し咳き込んだ。喉から鼻に溢れた乳は甘く温かく馴染みやすくしかしやはり苦しさを覚えさせた。目頭からも白い滴を溢れさせながら水代は立ち上がった。乳房は彼の手から落ちたがなおも相当の勢いで乳を噴出し続けていた。それは狭い小部屋にたちまち溢れ扉を破った。扉の前で頑張っていた田沢老人は扉に打たれて倒れたがなおもおっぱいおっぱいと叫び続けた。真っ白な奔流が部屋を蹂躙し、二人の男は母乳に溺れた。それは赤子の頃のような、母の乳首を片手でまさぐりながら吸い付いていた折のような、その最中に勢いに負けてむせたような、甘く狂おしい苦しさだった。二人はあちこち翻弄され、流れの中で、まるで体の隅々まで親和性のある母乳に洗われたような、新鮮な曖昧さを味わっていた。
水代が目を覚ましたとき、部屋には濡れた跡一つなく。田沢老人は茶缶をいとしそうに撫でていた。茶缶の中には素知らぬ顔の乳房が前と変わらず収まっていた。水代は流石に心から非礼を詫びた。だが田沢老人はともかく乳房が帰ってきたのだからと淡々と答えた。水代は田沢に頼んでもう一度乳房を少し撫でると、家を辞した。
(ああ、もう一生分の乳を飲んだような気がする)
内心で呟いた。ゲップが、乳臭かった。
終