第3章  伝奇ロマンとしての「炎の陰画」


第1節  「炎の陰画」の炎について

 渡部健は作品中に二度放火をしている。一度目は昭和21年10月ごろに本所の掘割りぞいのバラックに放火し、二度目は昭和27年3月に江東楽天地の喫茶店に火をつけている。この二度にわたる放火という出来事が作品に及ぼす影響を考察したい。
 まず、健にとって炎とはなんであったのか。東京大空襲の夜から炎に対する健の受け止め方というのはほぼ一貫している。炎は「綺麗」「清浄で美しい」、死体焼却炉の炎にいたっては「命の色」「神々の娯楽」「宇宙の淵に立って時の流れをのぞきこんでいるような気分」という印象を受ける。これは東京大空襲の記憶が、「心の中で神に似たものに育って」いたからであろう。
 この炎と対立するものとして、人間自身と人間社会を登場させている。昭和20年8月に「ガラス瓶がとけてかたまっ」って土がこびりついて「ひどく不潔な感じのする物」を「魂のようだ」と思う。風呂屋にいたときや、焼却炉の検査係の見習いをしているときには客や湯の沸き加減、わずらわしい人間関係などには興味をもたない。
 昭和21年に八軒長屋付近、掘割りのバラックの集団を見て「あの3月10日の美しい火に反抗するものが現れた……」と思いバラックに火をつける。昭和27年3月には、おしのちゃんが死んで「あの誰もかもを追った美しい炎を、そんな遠くへやってしまった世間が憎かった」と思う。その夜、飯田の奥さんのやっている喫茶店に火をつける。以上のように炎と対立するものとして世間や人間や戦後社会というものを位置付けているのがわかる。
 昭和21年11月と昭和27年3月の放火は社会や人間に対して「秩序の破壊者たる炎の信仰者」の渡部健が行った抵抗運動であった。そのことは理解できるのではあるが、なぜに二度も半村良は渡部健に放火をさせたのであろうか。それは時代の流れを関係付けるための必然であったのだろう。この2件の放火はその結果がまったく異なっている。昭和21年の放火では「またたく内に全部のバラックを炎がおしつつんだ」というように、バラックを燃え尽きさせていることによって炎の勝利を描いている。ところが、昭和27年の炎は消防車の水によって消し止められてしまう。喫茶店は「黒い焼け跡」になって健の心に「みじめな敗北感」を残す。
 昭和21年の火は燃え尽きたことによって健にまだ世の中は「非常事態」で、社会はまだ東京大空襲の炎の影響下におかれているのだと思わせ安心させる。それが昭和27年の火では、消防自動車によって火は消されてしまう。健は社会が「炎を忘れ」て落ち着いてしまったとその出来事を受け止める。この二度の放火という事件は「神としての炎」の心酔者「眷属」である健と、戦後社会というものの戦いであったと推測できる。
 「穂村恵太郎」が自殺した昭和27年6月22日は作品中においては「降り続く梅雨に、それでなくてもじめついた江東一帯は、すでに数十カ所で出水騒ぎ」がおきるような天気であった。しかし、現実の昭和27年6月22日には雨が降ってはいなかった。(注53)次節に出て来る「考証・重蓮上人」でも穂村恵太郎の自殺するは「15・6年前」の6月22日で、そのときも雨を降らせているが、昭和35年頃まで確認したものの雨が降ったという事実は確認できなかった。まあ、小雨くらいはあったかもしれないが……。
 ではなぜ、半村良は雨の降っていない日にわざと雨を降らせたのであろうか。半村良は「昭和の話で過去の日にちをただす時には、東京の場合にはアシスタントがすぐ気象庁へ走ります」(注54)と述べており、うっかり間違って掲載したとは考えづらい。明確な意図と意志があって雨を降らせたのであろう。
 その意図とは、本文中の「自分に新しい炎が与えられたのだ」とそれに続く「体の中に、幼い頃燃えつづけていた、あの綺麗な炎が戻っていた」というところが関係しているように思う。健にとって神に等しき存在である「3月10日の炎」が、昭和27年3月の2度目の放火とその結末によって、その存在の敗北を思い知らされた。「3月10日の炎」の眷属である健は、敗北感を味わった挙げ句自殺しようとしている。その「3月10日の炎」が穂村恵太郎の言葉と、その死によって新しい炎となったのだ。その炎は水にも消えない強い炎であった。新しい炎は健の「体の中」で燃えていたからだ。
 この新しい炎が雨(水)では消えることのない強い美しい炎であるというのを表現するために6月22日に雨を降らせたのである。

 

第2節  「炎の陰画」と「考証・重蓮上人」
 「考証・重蓮上人」は「炎の陰画」に先立つこと15ヶ月、昭和47年9月10日発行の『NW-SF』第6号に掲載された。この作品の構成は「私」が重蓮上人について考証を行おうとして筆をとり、重蓮上人に興味をもったきっかけを描いている「まえがき」と本来本文のはじまりである「第1章」(注55)の最初の2行までを執筆するという作品である。その「考証・重蓮上人」と「炎の陰画」の昭和27年3月〜6月22日の部分とは大筋においておなじである。「炎の陰画」のことで半村良が「珍しく一度書き直しているんですよ」(注56)と述べている。しかし初出と単行本とのあいだに書き換えは行われていない。発表前に書き換えられていたのならば、こちらとしては確認しようがない。けれど、「考証・重蓮上人」を読むと「炎の陰画」の穂村恵太郎の場面であることに気が付く。もともとあった穂村恵太郎の場面の前に物語を創造して「炎の陰画」を執筆したのではないかという憶測が成り立つ。
 「考証・重蓮上人」は語り手である「私」と、大学4回生で「重蓮上人」に関しての卒業論文を書こうとする「穂村恵太郎」との話である。私が15、6年前に「日本火焔工業」という遺体処理用焼却炉のメーカーで検査係をしていたとき、社長の一人息子の穂村が、大学の卒業論文に重蓮上人を扱うのだといって資料を収集をする。穂村はその研究を続けるうちに、重蓮上人のように「生きながら炉の中に入り、死後ひとかけらの骨も、一つまみの灰も残すことなく死ねる」と確信に至る。6月22日夕方に穂村は新型炉の中に入り死ぬ。私はそれを「血気にはやった若者の思いあがり」だと思う。
 「炎の陰画」の渡部健と「考証・重蓮上人」の「私」との違いは、穂村恵太郎と渡部健が出会うまでに、炎に関係した多くの体験をする。それに対して、「私」には語るべき過去がない。健のように東京大空襲に遭遇したとも、2度の放火を行ったりもしていない。炎との濃密な時間を過ごした健に対して「私」が炎に魅せられるのは日本火焔工業に就職してからである。
 両作品ともに中古の炉が修理の為に持込まれる場面がある。そのとき渡部健は内壁の匂いを嗅ぐ、燃え滓に手を触れた時には「母親の面影がダブって、幾百幾千の黒焦げの死骸がまぶたに浮か」ぶ。ところが「私」には健のような過去がないためか、ただ「共感の涙」を流すのみである。
 「渡部健」と「私」の穂村恵太郎に対する関係も微妙に異なっている。渡部健は穂村に心酔していた。「あんたがやれないことを、俺にできるわけがない」という発言からもそれはわかる。それに対して「私」は穂村と以前からの友人であったということもあり、基本的には対等な関係であった。それどころか、「私」は穂村を軽視しているともとれる。これは「私」の穂村が焼身自殺したことに対する羨望の意味も含まれるのであろうが、「炎の陰画」での穂村の発言「これが神々の娯楽というもんさ」「この遺体処理炉って奴は、それ自体が、或る何物かの命令を受領した世界なんだ」は「考証・重蓮上人」においては「私」の発言となっている。「考証・重蓮上人」は「私」の一人称の作品ということもあるが「炎の陰画」にくらべて穂村が軽視されていることは否めない。
 この両作品におけるポイントは、「考証・重蓮上人」の穂村の自殺が「私」から見て明らかに失敗であったということであろう。これに対して「炎の陰画」ではその正否が明確にされていない。「考証・重蓮上人」の穂村は、重蓮上人のように「死後ひとかけらの骨も、一つまみの灰も残すこと」なく死んで「霊肉ともども更に高次の世界に昇って」行こうとして、焼却炉の中に入った。私はそれを「血気にはやった若者の思い上がり」で、「死後ひとかけらの骨も、ひとつまみの灰ものこすこと」なくという観点から見て失敗であったと断罪する。
 「考証・重蓮上人」の穂村の自殺も「意味も灰も残さず、死んだ事実すら残さない炎で死」ぬということから解釈すると失敗であった。けれども、「炎の陰画」の穂村の行った自殺の場合は「女のこと」「父と母の間の古い出来事」「病気」などによって、自力で焼却炉の中に入る気力がなくなることを恐れた穂村が気力をのあるうちにと思い、自殺する。「意味も灰も残さず、死んだ事実すら残さない炎で死」ぬというのは穂村が健に託したことであった。
 このように「炎の陰画」と「考証・重蓮上人」との間には、両作品共通の登場人物である「穂村恵太郎」の死に対する必然性と、その託された意味において明確な違いがある。それは重蓮上人を目指した「考証・重蓮上人」の穂村と、「意味も灰も残さず、死んだ事実すら残さない炎」で死ぬという境地を健に目指すように託した「炎の陰画」の「穂村恵太郎」の違いである。この境地を健に啓示した「炎の陰画」の穂村は「考証・重蓮上人」の穂村よりも作品の重要度が増している。単なる自殺者から、健を導く存在へと変化している。これが両作品の大きな違いであろう。

 

第3節  伝奇ロマン
 半村良の作品に「伝奇ロマン」(注57)と名付けたのは、当時の『SFマガジン』編集長、森優(注58)であるが、半村良は自身の伝奇小説について田中潤司との対談で(注59)以下のように記述している

  伝奇小説の最も基本的な構造というのは、差別問題だとおもいます。ある閉ざされた山あいの村に、非常に偏った血の一族がいて、それが世の中に出ていって、こうでこうなる。(中略)「石の血脈」みたいに、伝染病をもっている奴が実は王者なんだ。

 『石の血脈』では不老不死が得られる病原菌を持った吸血鬼と人狼が登場する。『産霊山秘録』では「ヒの一族」というミュータントの一族。『黄金伝説』(注60)では、原爆によってできた2倍の染色体を持つ「超人類」。そして『妖星伝』の「鬼道衆」。このように偏った血を持つ一族が多く登場している。そして、その一族が半村良の描く伝奇小説の特徴である、「伝染病を持ってる奴が実は王者なんだ」というマイナスの逆転の発想によって物語を創造してゆく。
 このマイナスの逆転という発想は「妖星伝について」(注61)というエッセイで「他力本願の逆転の思想」として、「小説に一本通った腐った芯」という表現で表している。

  この地球を妖星と見たてるのは私ばかりではあるまい。(中略)どれひとつとっても人間が多すぎるのははっきりしているし、その多すぎる人間の生命を支えているのが、ほかの生命たちなのだから、結局この星は異常に生命が多い星であるということに行きつくのだ。
  本来この星はそんな異常な星ではなかった。ところが、高度な文明の世界から来た奴が一人、この未開な星の生命進化を勝手に操作して、今日のような醜い世界に変えてしまいやがったのだ。……そいつの名は「外道皇帝」である。
  ところが外道皇帝は意外や意外、汎宇宙的な偉大な目的があって私をこんな奴に仕立てていたのだ。そのことが判って見れば、私はペケから一躍ナンバー・ワン。

 この「他力本願の逆転の思想」というものについては、上野昂志も「半村良論」(注62)で「旧約以前」(注63)という作品を使って説明している。

  市井の片隅でひっそりと暮らしている青年と現実との異和のようなものだが、半村は、まずその異和の根拠を現実の側にあるものとしてではなく、青年に内包しているものとして示す。(中略)そのうえで、この男のマイナス性をそのままで肯定するように、「現実」ひっくり返すのだ。マイナスのカードがあるところで一挙にオール・マイティにかわるところにこの話のおもしろさがあるが、その転換は、主人公の側からもたらされるのではなく、世界が変わることによって起こるのである。

 以上のことは「炎の陰画」にも反映されている。「炎の陰画」には偏った血の一族は登場しない。渡部健はもともと普通の下町の少年でしかなかった。しかし、3月10日の空襲を体験したことによって「炎」を神に似たものとして感じるようになる。「鬼道衆」や「ヒの一族」のように炎を崇拝する「炎の眷属」になったといえる。
 渡部健は社会から受け入れられていたとはいいがたい。だいいち戸籍さえ焼けてしまいなくなってしまった。そんな健と社会との差異を決定付けたのが、おしのちゃんの死と、そのことによって行ったニ度目の放火の失敗である。これは「炎の眷属」である健と現実との差異を明らかにし、社会に対してのマイナス性を強調している。
 健は落ち着いていく戦後社会に完全に取り残されて、自殺を思い立つ。このどうしようもない状況に追い込まれた時「そんな君がナンバーワンさ」と健にいう人物を登場させる。それが穂村恵太郎である。

  君は豊かだ。豊かな財産を持っている。
  僕は君を嫉妬する。炎の愛し方が本物だ。
  お願いだから、もっとすばらしい炎で死んでくれ。君がそれを見つけるんだ。君がそれを作るんだ。君は女に死なれたくらいで死んじゃいけない。意味も灰も残さず、死んだ事実すら残さない炎で死んでくれ。戸籍がないなんて、実にすばらしいじゃないか。もう誰かを愛したりしないで欲しいな。誰からも愛されちゃいけないよ……。俺にできなかったことが、君にはやれそうだ。

 この穂村恵太郎の言葉によって、健の空襲の記憶や戸籍がないなどのいままでのマイナスが一気に逆転して、一躍ナンバーワンになる。上野昂志の言葉を借りるならば、渡部健は穂村恵太郎によって「それまでマイナスであったものをすべてプラスとしてうけいれる」(注64)世界を見ることになる。このように、作品の発想・思想という観点で考察してみれば「炎の陰画」は、半村良の得意とする「伝奇ロマン」としてとらえることができる。

 

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