以上のように、内外から「炎の陰画」を見てきた。最後にこの作品を通して、半村良の小説について述べてみたい。
 この作品は半村良が「私小説ではないが、私の書く小説のクセの目いっぱいのところをやった気がする。無数の構造とかフィクションとか」(注65)と述べていたように、中編ながら半村良の小説作品としての手法をほぼすべて内在させているといえる。私小説でもあり風俗小説でもあり、伝奇小説でもある。
 けれども筆者はやはりSFであるといいたい。SFを言い換えるのであれば「嘘」といってもいい。嘘をもっともらしく見せるために、大きな嘘をつくために、小さな本当を沢山ちりばめる。(注66)小さな本当をちりばめるのなら、当然自分の経験したことを書くのが一番いい。そうなれば「私小説」的になるのは当然である。ある時代を描こうと思えば、必然的に当時の社会の流れと絡まっていく。それを突き詰めれば半村良の言う「風俗小説」になる。
 「伝奇」という言葉は中国から来た言葉であるが「ありえそうもない」ことであれば、それはもう伝奇であったらしい。極論すればメロドラマでさえ伝奇であった。(注67)この定義はそのままSFと同意義である。伝奇の「ありえそうもない」ことは、そのまま「物語」を意味している。SF=嘘=伝奇=ありえそうもないこと=物語ということは「物語=嘘」をつくことといえる。その物語を「小説」とすれば、小説は嘘をつくことということになる。写実的な表現や、自分の内面を描くと言われていた私小説であっても嘘をついてないと言うことはありえない。では、「SF=嘘=伝奇=ありえそうもないこと=物語=小説」と考えて嘘を書くのがSF小説であるならば、まさしく半村良はSF小説を書いている。その中でも「炎の陰画」は数多くの本当の入った集約的な小説作品であると言える。

 

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