「シルキーとホイリーの冒険」
written by sleepdog
〜 大江戸第三世界公園編 〜

* * *   第1話   * * *

 

 シルキーは、ご近所一回転が速いジャンガリアン・ハムスターのオスだ。足の回転はもちろんのこと、頭の回転も速いし、口でも負けない。
 しかし、その生い立ちは決して恵まれていない。工場で生まれ、早々に両親と離れ離れになり、親の顔すら満足に覚えていない。そして、同じ月に生まれた連中と一緒に臭く狭い箱に押し込められて、小さな町のペットショップ「アイドルハウス」にトラックで運ばれて来た。
 シルキーはトラックの中で、他のハムスターからひとつの伝説を耳にした。幸運と勝利の光に照らされた勇敢なる『キングハムスター』の称号が今ひとつ空いているらしい。世界に三匹いるのだが、最近一匹寿命で失われたらしいのだ。どうやったらその称号を得られるか誰も知らなかったが、とにかくシルキーの野心は静かに燃え上がった。もちろん、その称号にふさわしいハムスターでなければならない。他の連中を見渡しても貧弱な臆病者ばかりで、シルキーは一層自分に対する確信を深めた。

 飼い主はメルシュという小柄な女の子。十三歳の誕生日に、大好きな従兄弟のお兄さんからプレゼントしてもらった。メルシュは、そのハムスターのまるで絹のような美しい毛並みがすごく気に入って迷わず「シルキー」と名付けた。
 そのすぐ後に従兄弟のお兄さんは遠い町へ引っ越してしまったので、メルシュはシルキーを忘れ形見と想って一層大切にした。
 メルシュはお菓子作りが大の得意で、シルキーはおやつによくヒマワリケーキのかけらをもらう。ヒマワリ油で作ったパウンドケーキで、上にまぶしたヒマワリの種がオーブンで程良く焼けて最高に芳醇な香りを立てるのだ。シルキーはオーブンの音を聞くと嬉しくてケージの中を飛ぶように走り回る。
 そしてヒマワリケーキを食べると、エネルギーが何倍も湧き出てきて、火が出るような勢いで何万回と回し車で走り続ける。おかげでプラスティック製の回し車はすぐに壊れてしまい、その度にメルシュを困らせている。
 シルキーは虫の居所が悪いと「壊れるほうが悪い」と居直るたちだった。そして、三代目の回し車を壊したその時も、積み木のオモチャなどを齧って退屈な夜を過ごした。

 次の日、メルシュはシルキーを連れてペットショップ「アイドルハウス」に出かけることにした。
 天気が良い、最高に青い空。たくさんの人で賑わう大江戸第三世界公園の横を通り過ぎて、巨大な金魚の頭の形をした看板の店に着いた。
「奥さん、今日もきれいだね。奥さん、今日もきれいだね。」
 ペットショップの主人がオウムに新しい言葉を教えている。しかしオウムは首を傾げ、とりあえずお愛想代わりに「バカウケ、バカウケ」と繰り返している。終いに欠伸のような大きな口を開けて横を向いてしまった。
「おじさん、回し車が欲しいの」
 メルシュが声をかけると、主人は笑顔で振り返り、いつも買っている黄色いプラスティックの回し車を持って来てくれた。メルシュは首を横に振る。
「ううん、それじゃダメなの。もっと頑丈なやつある?」
「頑丈な……? それなら、ちょっと古いのだけど奥にあるよ。待っててな」
 そう言って主人は豚のような尻を揺らしながら一旦店の奥に消えた。やがて、ほこりをかぶった汚いビニール袋入りの回し車を持ってきた。ぶっと豚のように息を吹きかけると塵が舞い上がった。そばにいたオウムは驚いて「バカウケ、バカウケ」と繰り返し叫んだ。
「これはステンレス製だから丈夫だし軽いよ」
 主人が持ってきたのは厳密に言えばハムスター用の回し車ではない。主人が店の一角で、趣味で売っているミニカーの改造用パーツだ。もっともこれは相当昔に作られた物で、今や店頭にも並んでいない、ただの売れ残りだった。
 メルシュはきれいな銀色の車輪を手に取ってじっくりと眺めた。回し車と思えないほどの美しい輝き。思わずため息が出た。そして、ちょっと予算オーバーだったが、この車輪のオモチャが新しいシルキーの相棒になった。
 シルキー当人は「ほこりっぽい奴が来た」とつぶやき、歓迎ムードは半分くらいだった。

 メルシュは家に帰って、早速「ホイリー」と名付けた。
 ホイリーには説明書も何もなかったが、袋の中に小さな日記帳が付いていた。『車輪の日々』と表紙に書いてある。指先でつまんで中を開くと、車輪のすり跡が何ページにも渡って書かれていた。未開封なのに、とメルシュは不思議に思ったが、あまり深く考えずホイリーをケージの中に取り付けてみた。
 シルキーは新しい頑丈な回し車を手に入れて小躍りしている。早速走ってみると、最初は軸がなじまず動きが固かったが、たちまち目も回るようなスピードで回転し始めた。
 ところが突然車輪が軋みを立て始め、耳が痛むほど異質な音が鳴り響いた。
「えっ! 何だ何だ何だっ!!」
 ケージの中から慌ただしく叫び声が上がる。
「シルキー、どうしたの?」
 メルシュが覗き込むと、シルキーが汗をかきつつ回し車から這い出てきた。
「回し車が悲鳴を上げたぞ」
 シルキーは人間の言葉を話す才能がある。もちろん聞く才能もある。メルシュはその第一声を聞いた時、部屋から逃げ出すほど驚いた。もっとも今では慣れっこになった。ただ、シルキーはメルシュに対してしか心を許さない。
「ホイリーが? やっぱりダメだった?」
「違う。こいつ、しゃべった。悲鳴だった。『痛い痛い』って叫んだんだ」
 シルキーは優しい手つきで、ホイリーの銀色の体をそっと撫でた。メルシュは息を詰め、状況を見守るしかない。シルキーは車輪に向かい、耳をそばだてた。
「……ん? 何か聞こえるぞ」
 そして顔を上げ、メルシュのほうに手を横に振り合図する。心配ないということのようだ。
「寝息だ、こいつの。――ウソだろ、あんだけ走ったのに」

 二時間後、ホイリーは目を醒ました。見慣れない景色、体についた獣の匂いと無数の足跡――頭が破裂しそうに取り乱しているのが、シルキーには見て取れた。
「起きたか」
「日記は?! 日記はどこですか?」
 ホイリーは真っ先にそう叫んだ。もちろん車輪に口はないが、そう叫んだ。
「日記?」
 袋に一緒に入っていた日記帳のことを思い出す。
「うっ。あ、あなたは何ものですか? 私を、何でこんなところに?」
「落ち着けよ。俺はシルキーだ。日記なら持って来てやる」
 シルキーはケージの扉を叩き、メルシュに日記帳を渡すよう言った。メルシュには中のやりとりが全然分からない。シルキーも人間の言葉で話していないから、口をもぐもぐ動かしているようにしか見えないのだ。メルシュは黙って頷いた。
 シルキーが『車輪の日々』と題された日記帳を目の前に置くと、ホイリーは体を動かし、大事そうにその上に乗っかった。
「読んだんですか?」
「いいや。回し車の文字は読めねえよ。それ、何が書いてあるの?」
「日記です。私が工場で製造されてから、あの店に来るまで。――青春の自省禄です」
 ホイリーは恥ずかしげもなく答えた。工場生まれと聞いて、シルキーは少し親近感を覚えた。試しに自分の身の上を聞かせてみた。しかし、ホイリーが警戒を解く気配は一向に見えない。
「だいたい、私はその……『回し車』じゃないです。れっきとしたホイールです」
「分かったよ。でも、ここは俺のケージだ。お前、あの子に買われたんだ」
 シルキーはケージの外を指差した。メルシュが心配そうに中の様子をじっと窺っている。
「あの女の子が、私のご主人様ですか……」
 ホイリーは遠い目をしてメルシュを見上げている。もちろん車輪に目などないが、シルキーには何となくそんなふうに感じられた。
 袋にミニカーのパーツと書いてあったのを思い出す。確かに機械いじりが好きな男の子に買ってもらえば、こいつも幸せだったかもしれない。しかし、一度袋を破いてしまったら、もう戻る場所はどこにもない。これも巡り合わせというもんだ、観念しろ。
「そうだよ。なんだ、残念なのか?」
 シルキーは少しいじわるな言い方をした。
「いいえっ、滅相もありません! ご主人様に忠義を尽くすのみです」
 ホイリーは居住まいを正し、かすかに体を震わせた。
「お、言ったな」
「へっ?」
 ホイリーの声に怯えの色が走る。
「じゃあ、俺の回し車になるんだぞ。よし、楽しくやろうや」
「楽しく……、そうですね」
「ホイリー、俺はお前を大切に使うよ。――約束する」
「はい。お世話になります」
 シルキーはそばに寄ってホイリーの肩を強く叩いた。金属製はさすがに頑丈だ。新品だから銀色の光沢も見事なまでに輝いている。そう言って褒め称えて、ホイリーの気がゆるんだ隙に日記を奪おうとしたが、ホイリーは咄嗟に寝そべってそれを死守した。
「せっかくだから、少し内容教えてよ」とねだると、
「ダメです!」と激しく抵抗した。
「ええー、いつか本にするとか?」とシルキーが軽口で返すと、ホイリーは機嫌を損ね、ぴたっと口をつぐんでしまった。シルキーが「今の本気なのか?」と尋ねても、何も答えは返ってこなかった。
 シルキーはご機嫌直しにメルシュから小さいタオルをもらい、ホイリーの体を丹念に磨いてあげた。それでもむっすりと黙ったままだ。まあいいと思って磨き続けているうちに、いつの間にかホイリーは眠ってしまっていた。シルキーは何とも言えない脱力感から「金属製は難しいや」と音を上げて、小屋でごろんと横になった。

 ホイリーは回し車生活に慣れてくると、シルキーと一緒にケージの外で走ることを覚えるようになった。ホイリーの車輪にはゴムが付いている。シルキーが車輪の中に入って、部屋中を縦横無尽に走り回るのだ。
 シルキーは抜群の運動神経の持ち主だが、ホイリーも一見内気なように思えて意外にスピードへの慣れが早かった。ルームランニングを始めて一週間くらいで、直進だけでなく右折左折を練習するまでになっていた。遊びの上達はさすがに早い。
 呼吸を合わせるため、シルキーは合言葉を決めることにした。しかし、右折左折と言ってみても、どうも語感が硬くて調子が乗らない。そこでシルキーは右折を「迂回」、左折を「左遷」と名付けた。ついでに同じ場所を回り続けることを「堂々巡り」、直進のスピードアップを「栄転」、ジャンプを「昇進」とそれぞれ命名した。メルシュの両親が食事中、口喧嘩する時いつもこういった言葉を出すのを聞いていて、シルキーが面白がって決めたのだ。
 ホイリーはもちろん言葉の意味が分からないが、とにかく「栄転!栄転!」と連呼されれば、最高速まで自分自身を持っていく覚悟を決めなければならない。そして「栄転」の後にはたいてい「昇進」が来る。ホイリーにとっては着地の難しい「昇進」が一番厄介だった。じゅうたんにゴムがこすれて瞬間的な高熱に見舞われる。けれども、ホイールの誇りに懸けて、摩擦くらいで弱音は吐けない。これがホイールの生きる道なのだ。
 その分、涙のにじむような苦しい思いはひたすら日記に書き綴っていた。この『車輪の日々』はいつか世間で陽の目を見て、素晴らしい日記文学作品になるんだと心の底から確信していた。これこそがホイリーの生きる支えなのだ。
 それから一番の楽しみは、天気がいい日曜日に家の外に出ることだ。平日メルシュは学校に通っていて、土曜日はコーラスのレッスンがある。だから日曜日に限って、メルシュに連れられて二人は外へ散歩に出ることができる。行き先はたいてい大江戸第三世界公園だ。あそこは思い切り走り回れる。
 シルキーは土曜日になると必ず天気予報をチェックして、晴れと分かれば小躍りし、部屋でホイリーと熱心に走行練習を積んだ。

(つづく)

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