先秦史

伝説時代・夏王朝史

【三皇】

中国古代伝説上の三人の聖なる帝王。伏羲・女<カ>・神農。あるいは、伏羲・神農・黄帝、または天皇氏・地皇氏・人皇氏などともいう。

【伏羲】

中国の伝説上の帝王。八卦をつくったとされ、東方の神、春の神として祭られる。

【女<カ>】

中国伝説上の人頭蛇体の女神。五色の石を練って青空の割れめを修繕したという。

【神農】

中国古伝説中の帝王。三皇の一。人身牛首で、人民に耕作を教えたところからいう。五行の火の徳によって王となったので炎帝ともいう。初めて医薬を作り、五弦の瑟を作り、八卦を重ねて六十四爻を作ったという。在位一二〇年、子孫八代、五二〇年で黄帝の世となったという。

【五帝】

中国古代の聖君五人。諸説あって、「史記‐五帝本紀」は黄帝・<センギョク>・帝<コク>・帝堯・帝舜とし、「書経‐序」は少昊・<センギョク>・帝<コク>・唐堯・虞舜とし、また、伏羲・神農・黄帝・堯・舜をいうこともある。

【黄帝】

中国古代の伝説上の帝王。三皇五帝のひとり。姓は公孫。軒轅氏とも、有熊氏ともいう。蚩尤の乱を平定し、推されて天子となる。舟車、家屋、衣服、弓矢、文字をはじめて作り、音律を定め、医術を教えたという。黄神。

【少昊】

中国における伝説上の太古の帝王の名。黄帝の子。後世、秋をつかさどる神とされる。

【センギョク】

中国伝説上の五帝の一人。黄帝の孫。少昊の後を受け、高陽に都をつくり、重黎に命じて天地を分かち、暦を作ったという。

【堯】

中国古代の伝説上の帝王。帝(コク)の子。姓は伊祁。名は放。日月星辰を観側して暦を作り、舜に二女を与えて、帝位を譲ったという。後世、舜とともに理想的帝王とされた。唐堯。帝堯。陶唐氏。

【舜】

中国古代の伝説上の聖天子。堯と並称して「尭舜」という。虞舜。

【夏】

中国最古の伝説的な王朝。始祖禹が舜の禅譲を受けて位につき、前後四七一年間続き、第一七代桀王の時、殷の湯王に滅ぼされたとされる。

【禹】

中国古代の伝説上の聖王。夏王朝の始祖。姓、「女似」。治水に功を立て、舜から帝位を譲られた。夏禹。大禹。

【桀】

夏の末代の王。名は癸。暴虐無道の王で、殷の湯王に亡ぼされた。殷の紂王と並んで暴君の代表とされる。

【易姓革命】

(統治者の姓がかわる(易)のは、天命があらたまった(革)ものだの意)中国古来の政治思想。徳のある者が徳のない君主を倒し、新しい王朝を建てること。

戻る

殷王朝史

【殷】

紀元前一〇二七年(諸説あり)まで黄河下流域に栄え実在した中国最古の王朝。王都の名から商ともいう。伝説上の夏王朝、次の周王朝とともに三代と総称される。

【湯王】

殷王朝の創始者。成湯ともいう。河南地方に都し、名臣伊尹を用いて諸部族を討伐し、夏の悪王桀を滅ぼし、殷王朝を開いた。生没年不詳。

【伊尹】

殷の宰相。阿衡または保衡ともよばれる。殷の湯王を助けて夏の桀王を討ち、殷王朝を成立させた。

【紂】

殷王朝最後の王。名は辛。紂は諡。夏の桀とならんで悪王の代表とされる。愛姫妲己におぼれ、酒池肉林による長夜の宴にふけり、良臣を殺し、民を苦しめたという。後に周の武王に討たれた。生没年不詳。

【伯夷】

殷末周初の賢人。名は允、字は公信。叔斉の兄。周の武王が殷の紂王を討とうとした時、叔斉とともに諫めたが聞き入れられず、周が天下を統一すると首陽山に隠れて餓死した。伯夷叔斉と並称される。弟とともに「史記」の列伝第一に収録される。生没年不詳。

【叔斉】

殷代の賢人。名は智。字は公達。周の武王が殷の紂王を討とうとしたとき兄の伯夷とともに諫めたがいれられず、周の天下になると、首陽山に隠れ、餓死したという。

【殷墟】

河南省安陽県小屯村にある中国古代の殷王朝の都の遺跡。土壇の上に宮殿の礎石があり、土壇の周囲に多くの竪穴式住居、郊外には陶器、銅器を作る職人の工場と住居の遺跡が多数ある。また、侯家荘などの大墓には、多数の侍従、婢妾の殉葬がみられ、墓室から豪華な青銅器、玉器などの美術品が発見された。王都ではなく祭祀場の説もある。

【甲骨文】【甲骨文字】

(「文」は文字の意)亀甲、獣骨に刻まれた文字。中国、殷代の占いの記録で、漢字の最古の形を示す。一九世紀末に存在が知られ、二〇世紀に殷墟から多数出土し、それとともに解読、整理が進んで殷代史研究の重要な資料となっている。

戻る

周王朝史

【周】

中国古代の王朝(前一一〇〇頃〜前二五六)。姓は姫。陝西に起こり、渭水盆地に定住、殷の支配を受けたが、のちにこれと対立、武王のとき殷王紂を滅ぼして建国、鎬京に都を定めた。礼的秩序による封建的政治体制をしき、黄河流域から揚子江岸まで支配したが、第一三代平王のとき(前七七一年)犬戎の侵入を受けて東遷、都を洛邑に移した(遷都以前を西周、以後を東周という)。以後周室の権威は失われ、諸侯の割拠する春秋・戦国時代にはいり、三七代で秦に滅ぼされた。

【文王】

紀元前一二世紀頃、中国周王朝を創建した王。姓は姫、名は昌。号は西伯。殷の紂王の暴政下にあって、陝西地方で治績をあげ、やがて殷に代わる勢力となった。古代の理想的な聖人君主の典型とされる。生没年不詳。

【武王】

周の初代の王。姓は姫、名は発。西伯(文王)の長子。紀元前一一世紀頃の人。殷を破り、紂王を敗死させて、周による天下統一に成功。鎬京を都とし、一族功臣を分封して、中国の封建制度を創設。生没年不詳。

【周公】

周時代の政治家。文王の子。武王の弟。名は旦。また、姫姓の旦であることから姫旦ともいう。武王を助けて殷王紂を滅ぼし、内政を治め天下を平定。武王の死後、成王を補佐し、制度・礼楽・冠婚葬祭の儀などを制した。孔子憧れの人。

【太公望】

周の政治家。春秋時代斉の始祖。姓は呂、名は尚。渭水で釣りをしていて文王に見出されてその師となり、文王、武王をたすけて殷を滅ぼした。周の祖太公が待ち望んでいた賢者という意味で、太公望と名づけられた。生没年不詳。

【封建制度】

天子の直轄領以外の土地を、諸侯に分割領有させ、諸侯はそれをさらに臣下に分与してそれぞれ自領内の政治の実権を握る制度。

【卿大夫士】

古代の天子および諸侯の家臣の身分の称。諸侯の家臣は正式には大夫、士の二つあったが、上大夫はとくに卿と称された。

【卿】

古代中国における世襲的身分の一つ。天子や諸侯の有力家臣を卿・大夫・士の三等に分ける。その最も上位の身分。

【大夫】

周代の職名。卿の下、士の上に位する執政官で、上大夫、中大夫、下大夫の三等に分かれる。

【士】

古く中国で、天子や諸侯の家臣で大夫の下に位する者。

【宗法】

中国、周代に行われた家族制度。祖先を同じくする数家族で大宗(本家)が小宗(分家)を統制し、祖宗廟の祭祀、一定期間の服喪・同宗不婚・共同饗餐の四事を行った。

【井田】【井田法】

中国古代に施行されたといわれる田制。丁年に達した有妻の男子に平等に耕地を使用させる制度。周代には一里四方の田を井字形に九等分し、中央の一区を公田、他を私田として八家に分け、公田を八家の共同耕作としてそこからの収穫を租として国に納めさせた。

【九刑】

古代中国、周の時代に定められた九つの刑罰法。墨(ぼく=いれずみ)、「鼻+刀」(ぎ=はなきり)、「非+刀」(ひ=あしきり)、宮(去勢)、大辟(たいへき=死刑)の五刑と流(左遷)、贖(しょく=罰金)、鞭(べん=笞刑)、朴(ぼく=笞刑)とを加えたものをいう。

戻る

春秋時代史

【春秋戦国】

周の東遷から秦の統一までの約五五〇年の時代(紀元前七七〇〜紀元前二二一年)をいう。一般に韓・魏・趙が晋から独立した紀元前四〇三年を境に、その前を春秋時代、後を戦国時代と呼ぶ。

【春秋時代】

東周の前期。紀元前七七〇年の周の東遷から紀元前四〇三年、晋の韓・魏・趙三氏の独立によって戦国時代が始まるまでの時代。魯の年代記「春秋」に記載された時代のにあたることからこう呼ばれる。封建的氏族秩序の崩壊してゆく時代で、周室の権威が次第に衰え、諸侯間の対立・抗争が激化し、蛮族の中国侵入が相ついで、有力諸侯が覇者として中原の支配にあたった。

【春秋十二列国】

春秋時代の十二国、すなわち周と同姓の魯・衛・晋・鄭・曹・蔡・燕、異姓の斉・宋・陳・楚・秦。十二列国。

【五覇】

春秋時代の五人の覇者。斉の桓公。晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王とする。他に諸説ある。

【晏子】

春秋時代の斉の宰相。名は嬰、字は平仲。勤倹力行、良政を行ない人々に尊敬された。(〜前五〇〇)

【桓公】

春秋時代の斉の一五代王(在位前六八五〜前六四三年)。名は小白。管仲を登用して、富国強兵策を推進。侵入した北方民族を討ち、諸侯と同盟を結んで盟主となり、春秋五覇の第一として覇業を完成した。(〜前六四三)

【管仲】

春秋時代の斉の宰相。安徽省の人。名は夷吾。親友鮑叔牙の勧めで桓公に仕え、富国強兵策を推進。斉を強国とし、桓公を中原の覇者とした。「管鮑の交わり」の人。(〜前六四五)

【文公】

春秋時代の晋の王(在位前六三六〜前六二八年)。名は重耳。善政をしき国力を充実させた。春秋五覇の一人。(前六九七〜前六二八)

【襄公】

春秋時代の宋の君。名は茲父。斉の桓公の後を受けて諸公の盟主となり覇を楚と争い、泓に戦った時、相手に情をかけ、大敗して死んだ。後世これを謗って「宋襄の仁」という。(〜前六三七)

【穆公】

紀元前七世紀の中国春秋秦の王(在位前六五九〜前六二一年)。繆公ともいう。春秋五覇の一人。賢士を内外に求め、田余・百里溪などを得て内政を整えた。(〜前六二一)

【百里奚】

春秋時代、秦の政治家。字は井伯。楚に捕らわれていたとき、秦の穆公がその賢を聞き、<コ>羊(こよう=黒い牡羊)の皮五枚で買い、宰相とした。百里奚はこれにこたえ、のちに穆公を春秋五覇の一人とした。

【荘王】

春秋時代の楚の王(在位前六一四〜前五九一年)。春秋の五覇の一人。紀元前五九七年、晋の景公の軍を破り中原の覇者となった。「鼎の軽重を問う」や、「三年鳴かず飛ばず」の故事の人。(〜前五九一)

【闔閭】

春秋時代の呉の王。名は光。諸樊の子。紀元前五一五年、呉王僚を殺害し、即位。楚を討ち、勢威を中原に広げたが、のち越王勾践に敗れて死んだ。(〜前四九六)

【孫武】

春秋時代の兵法家。紀元前六世紀頃の人。呉王闔閭に仕え、楚・晋を威圧し、呉を覇者とした。軍隊に節制規律を徹底させ、兵書「孫子」を著したとされている。生没年不詳。

【夫差】

春秋時代の呉の王(在位前四九六〜前四七三年)。父の闔閭が越王勾践と戦って死ぬと、薪の上に臥して(「臥薪」)復讐を誓い、ついに越軍を破ったが、勾践を殺さなかったため、のちに滅ぼされた。(〜前四七三)

【伍子胥】

春秋時代の呉の臣。名は員。父の奢と兄の尚が楚の平王に殺されたため、呉に亡命し、呉を助けて楚を破り、平王の墓をあばいて復讐した。のち越を破った時、呉王の夫差が、越王勾践を殺さなかったことを諫めたが、逆に怒りを買い自殺を命じられた。(〜前四八五)

【勾践】

春秋時代の越の王(在位、前四九六〜前四六五年)。呉王闔閭を敗死させたが、その子夫差と会稽山に戦って敗れ、のち名臣范蠡と謀って呉を滅ぼす。「嘗胆」の人。(〜前四六五)

【犬戎】

古代中国の異民族、西戎の一種族。殷、周および春秋の各時代にわたって中国の北西部陝西省付近に住み勢力をふるったが、戦国時代になり、秦に圧迫されて衰えた。

戻る

戦国時代史

【戦国時代】

周の後期。一般に晋が韓・魏・趙に三分された紀元前四〇三年から秦が天下を統一する紀元前二二一年までの動乱期をいう。周室の権威が失墜し、諸侯はそれぞれ王を称したが、有力諸侯が戦国の七雄として割拠、互いに覇を争った。学芸思想から、農・工・商の各面にいたるまで未曾有の発展を示した時期で、(郡県制度などによる)秦漢統一帝国を出現させる母胎となった。「戦国策」が名称の由来。

【戦国七雄】

戦国時代の七大強国。韓・魏・趙・斉・秦・楚・燕の七国をさす。

【廉頗】

戦国時代の趙の名将。紀元前二八三年に恵文王の将となり、秦や斉を破って信平君に封じられた。藺相如と「刎頸の交わり」を結んだ話で有名。生没年不詳。

【藺相如】

戦国時代の趙の名臣。紀元前三世紀の恵文王に仕え、名玉和氏の璧を城一五と交換するため秦に使いし、秦の昭王が約束の城を与える気がないのを見破って、身命を賭して璧を持ち帰った(「完璧」の故事となる。)。また、名将廉頗との間は「刎頸の交わり」として知られる。生没年不詳。

【呉起】

戦国時代衛の兵法家。儒家の曾子に学び魯、魏に仕え、さらに楚の悼王に重用された。兵法書「呉子」の著者といわれ、呉子と尊称される。(〜前三八一)

【孫「月賓」】

戦国時代、斉の武将。魏将の「广龍」涓(ほうけん)にその才をねたまれ、「月賓」刑(両足を断つ刑)に処せられたが、威王の軍師となり、紀元前三五三年に「广龍」涓の率いる魏軍を敗った。生没年不詳。

【魯仲連】

戦国時代、斉の雄弁家。高節を持して仕えず、諸国を遊歴した。その弁説によって趙や斉で功を立てたが、賞や爵位を与えられようとすると常に辞し去り、最後は海辺に隠棲したという。魯連とも。生没年不詳。

【楽毅】

戦国時代の武将。燕の昭王に招かれてその将軍となり、斉を討って大勝し、名将とうたわれた。生没年不詳。

【田単】

戦国時代の斉の武将。燕の侵入に対し、謀略で燕将楽毅を失脚させ、火牛の計を用いて燕軍を破った。生没年不詳。

【范雎】

戦国時代の秦の宰相。字は叔。諸国を遊説し、はじめ魏の大夫に仕えたが、異心があると疑われて、秦に逃れ、昭襄王に仕えて遠交近攻の策を献じた。生没年不詳。

【白起】

戦国時代、紀元前三世紀の秦の武将。昭襄王に仕え、韓・魏・趙・楚と戦って功があり、武安君と称された。(〜前二五七)

【屈原】

戦国時代の楚の政治家、文人。名は平。字は原。楚王の一族で懐王に信任され、左徒、三閭大夫となる。傾襄王のとき、中傷にあって江南に追放され、時世を憂えて悩みを苦しんだすえ、汨羅の淵に身を投じた。「楚辞」の代表詩人で、その抒情的叙事詩「離騒」は後世の文学に大きな影響を与えた。(前三四〇頃〜前二七八頃)

【孟嘗君】

戦国時代の斉の宰相。姓は田、名は文。孟嘗君は号。楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君とともに戦国末期の四君の一人と称された。生没年不詳。

【平原君】

戦国時代の趙の公子。姓は趙、名は勝。食客数千人を養い、恵文王・孝成王の宰相になった。斉の孟嘗君、楚の春申君、魏の信陵君とともに戦国の四君の一人。(〜前二五一)

【信陵君】

戦国時代、魏の政治家。昭王の末子。名は無忌。信陵君はその封号。食客を三千人集め、斉の孟嘗君、楚の春申君、趙の平原君と共に戦国末期の四君と称された。(〜前二四四)

【春申君】

戦国時代の楚の政治家、姓は黄、名は遏。楚の襄王、考烈王に仕えて功があり、宰相に任ぜられて勢力は王をしのいだ。城を築いて食客三千人を招き、斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君と共に戦国末期の四君の一人と称された。(〜前二三八)

【荊軻】

戦国時代の刺客。燕の太子丹に依頼され、秦都咸陽に赴いて、秦王政(のちの始皇帝)の刺殺をはかったが、失敗し、殺された。荊卿(けいけい)。(〜前二二七)

【合従・合縦】

(「従」は「縦」と同じく「たて」で、南北の意)戦国時代に、最強国秦に対抗するために蘇秦が説いた同盟政策。南北に連なる六国を連合させ、西方の秦に対抗させたもの。→連衡(れんこう)。

【蘇秦】

戦国時代の縦横家。秦に対抗して六国である燕・趙・韓・魏・斉・楚の合従を説いて、成功。のちに張儀に合従を崩され、斉に仕えたが、暗殺された。生没年不詳。

【連衡】

(「衡」は横で、東西の意)戦国時代、秦の恵王の相であった張儀が、合従政策を切り崩すために唱えた同盟政策。秦と六国(韓・魏・趙・楚・燕・斉)とが個別に和平条約を結ぶことをめざした。→合従

【張儀】

戦国時代の縦横家。蘇秦とともに鬼谷子に学ぶ。秦の恵文王のために、連衡の策をたてて六国に遊説、蘇秦が説いた対秦同盟である六国の合従を崩した。(〜前三一〇)

戻る

諸子百家

【諸子百家】

周末から漢にかけて出現した、諸学者と諸学派の意。陰陽家(鄒衍)、儒家(孔子・孟子・荀子)、墨家(墨子)、法家(管仲・申不害・商鞅・韓非子)、名家(恵施・公孫竜)、道家(老子・荘子・列子)などの総称。史記では以上の六家に分類し、漢書ではそれに兵家(孫子・呉子)、縦横家(蘇秦・張儀)などを加える。

【儒学】

孔子を祖とする伝統的な学問。尭・舜から周王にいたる聖天子を理想とし、仁と礼を根本概念として、修身にはじまって治国平天下にいたる実践をその中心課題とする。「易経」「書経」などのいわゆる経書がその重要な経典である。

【孔子】

春秋時代の学者、思想家。名は丘。字は仲尼。儒教の開祖。魯の昌平郷陬邑に生まれる。司寇として魯に仕えたが、いれられず、辞して祖国を去り、多くの門人を引き連れて、約一四年間、七十余国を歴訪、遊説。聖王の道を総合大成し、仁を理想とする道徳主義を説いて、徳治政治を強調した。晩年、教育と著述に専念し、六経、すなわち易、書、詩、礼、楽、春秋を選択編定したとされる。後世、文宣王と諡され、至聖として孔子廟に祀られ、非常な尊敬を受けた。(前五五一〜前四七九)

【性善説】

人間の本性は生まれながらにして善であり、悪い行為は、物欲の心がこの性をおおうことによって生ずる後天的なものであると主張する説。中国の孟子が首唱したもの。⇔性悪説

【孟子】

戦国時代の儒家。魯国鄒の人。名は軻。紀元前四世紀後半に活躍。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性をもつことを主張。また、富国強兵を覇道としてしりぞけ、仁政徳治による王道政治を提唱。後世、孔子と並んで孔孟と称され、亜聖の名がある。生没年不詳。

【性悪説】

(「荀子‐性悪」の「人之性悪、其善者偽也」による)荀子が首唱したもので、人間のうまれつきの性質は悪であって、善なる行為は教育、学問、修養など後天的な作為によって生ずると主張する説。ここから韓非・李斯の法術思想が生まれる。⇔性善説

【荀子】

戦国末の思想家。名は況。斉の祭酒となり、のち、楚の春申君に仕えた。荘周や五行説を否定し、孟子の性善説に対して性悪説を唱えた。荀卿(じゅんけい)。著「荀子」。(前二九八〜前二三八頃)

【墨家】

諸子百家の一つ。戦国時代初期の人と思われる墨<テキ>を祖とする一派の称。兼愛交利(無差別の愛と相互扶助)を説き、礼楽をしりぞけ、節倹勤労の重んずべきことを主張。当時儒家と対立する勢力を保持していた。秦・漢時代に没落。

【墨子】

戦国時代初期の思想家。名は<テキ>。墨家の始祖。兼愛交利(血縁によらない無差別の愛、相互扶助)を説き、礼楽を無用の消費として排斥、節倹勤労の重んずべきことを主張、儒家と対立した。生没年不詳。その思想は「墨子」五三編に見える。

【道家】

老子、荘子、列子など、無為自然を信条とする学派。宇宙間に存する理法を道と名づけ、人もそれにならって無為自然を旨とすることにより、結果としての大成を期待できるとし、あるいは心の安らぎを得るとする。

【老子】

中国古代の思想家。道家の祖。古来の伝説によれば、姓は李、名は耳、字は<タン>一説に伯陽)。春秋時代の末期、周の守蔵の史(蔵書室の管理者)。周末の混乱を避けて隠遁を決意し、函谷関を通過するとき、関所役人の尹喜(いんき)に請われて「老子(道徳経)」二巻を著したという。

【荘子】

紀元前四世紀後半の戦国時代の思想家。道家思想の中心人物。名は周。南華真人と称される。儒教の人為的礼教を否定し、自然に帰ることを主張。老子と合わせて老荘という。著書は「荘子(そうじと読む)」。生没年不詳。

【法家】

道徳よりも法律を重んじ、礼楽を排して刑名を主とし、これを行う政治を帝王の道とする学派。管仲・申子・商子・韓非子など。

【申不害】

戦国時代の法家の思想家。道家の思想に基づき刑名学を説く。韓の昭侯の宰相となり、富国強兵策をとって国家を安定させた。著に「申子」がある。(〜前三三七)

【商鞅】

戦国時代の政治家。名は鞅。姓は公孫。商君と号す。衛の公族出身で、秦の孝公の宰相になり変法の令を定め、富国強兵と厳格な法治主義を行い、秦の覇業の基礎を作った。孝公の死後、王室・貴族の恨みをかい、車裂きの刑に処せられた。「商君書」を著したといわれる。(〜前三三八)

【韓非】

戦国時代末期の法家。韓の公子。李斯とともに儒家の荀子に学ぶ。「韓非子」五五編を著わして政治の方法を論じ、秦の始皇帝に注目された。のち秦に使者として赴いたが、李斯の奸計にあって毒殺された。(〜前二三三)

戻る

春秋・戦国時代書評へ

戻る