チェルヌイシェフスキー、ニコライ・ガブリロヴィチ
1828-1889

Tschernyschevski, Nikolai Gavrilovich
Чернышевский, Николай Гаврилович

チェルヌイシェフスキー肖像 批評家、作家。

僧侶の家に生まれ、サラトフの神学校を経て、ペテルブルグ大学歴史言語学科を卒業。大学時代にゲルツェンベリンスキーの農奴制批判の主張から大きな影響を受け、革命的民主主義とよばれる世界観、唯物論無神論に確信をいだき、1848年には、若い空想的社会主義者の集まるペトラシェフスキー・グループに参加した。大学卒業後、故郷に帰り、サラトフ中学で教鞭をとったが、1853年にふたたびモスクワに戻り、ネクラーソフと親交を結び、《現代人》(Современник)誌に執筆、以後、1862年まで、革命的民主主義運動の機関誌としての同誌の指導的理論家として論陣をはり、文学、社会、経済、哲学などの広範な分野にわたって、精力的な筆をふるった。

60年代初頭の農奴制廃止の前後、ロシアにおける解放運動の高揚期に、農民の利益を擁護し、農奴制との闘争にもっとも急進的な立場をとり、農奴制の撤廃を主張し、60年代の革命的な若いインテリゲンチアの先頭に経ち、1862年逮捕され、1864年、終身刑の刑を受け、約20年間をシベリアの流刑地でおくった後、サラトフ居住が許された。チェルヌイシェフスキーの社会主義思想は、フォイエルバハやドイツ唯物論、フランス社会主義の文献に基礎をおき、空想的社会主義の限界を指摘し、社会の下部構造としての経済学の研究と結びつき、とりわけロシアの社会の特殊性に注目した。

しかし、彼の思想がもっとも開花した分野は文芸批評の領域においてであって、学位論文「現実にたいする芸術の美学的関係」(Эстетические отношения исскуства к действительности,1855)や「ロシア文学のゴーゴリ時代概観」(Очерки гоголевского периода русской литературы,1855-56)の主著はロシア思想史に一大時期を画するものである。それの著作で、チェルヌイシェフスキーは観念論的美学を排し、芸術にたいする人生の優越性を主張し、自然および社会における現実の人生は芸術をとおして表現され、この表現は現実の告発という性格おびるとし、芸術至上主義の理論を否定し、社会発展の武器としての文学を唱えた。

これは文学の社会的批評の古典となり、ソ連時代になってからはマルクス主義文芸批評に哲学的な基礎を与えた。また、長編小説「何をなすべきか」(Что делать?,1863)は60年代の若い人々を主人公西、個人に利益と社会の利益を合致させる社会主義的道徳“理性的エゴイズム”に基づいた思想と行動を結びつける“新しい人々”を描き、生活において何をなすべきかの問いに答えを与えようとしたものであった。この作品は、チェルヌイシェフスキーが逮捕されて要塞監獄にいる時の書かれたもので、出版後ただちに発売禁止処分を受けたが、写しによって、当時の若い人々にひろく読まれ、熱烈な支持を受けた。


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