フォルマリズム
formalizm

フォルマリズムとは1910年代半ばから20年代末にかけてロシアの若手研究者や言語学者を中心に展開された文学運動である。“文学ではなくて、文学性、つまりある作品をして文学作品たらしめているもの”こそ文学研究の対象とすべきであると主張した。おもなメンバーとしては、1915年に設立されたモスクワ言語学サークルのヤコブソン、ボガトゥイリョフ、1916年に設立されたオポヤース(詩的言語研究会)のシクロフスキー、エイヘンバウムB.M.Eikhenbaum(1886-1959)、トマシェフスキーB.V.Tomashevskii(1890-1957)、トゥイニャーノフY.N.Tynyanov(1894-1943)らがあげられる。

彼らは、それまでの文学研究が文化史や社会史、あるいは心理学や哲学に依拠していることを批判した。一方、文学作品を自立した言語世界としてとらえ、言語表現の方法と構造の面から文学作品を解明しようとした。すなわち、“何が”書かれているかではなく、“いかに”書かれているかが先ず問題とされた。シルロフスキーの言を借りれば、芸術の目的は物事を異化・非日常化することにあり、知覚を困難にし長びかせるのが芸術の手法である。すなわち、“手法こそが唯一の主人公”であった。

フォルマリストたちのこのような見解は、当時の未来派のザーウミ(超意味言語)による詩やキュビスムの絵画と密に関連している。具体的な成果としては、詩の分野に関するものが中心をなしているが、散文に関してもプロット構成の手法、語り、パロディなどの分析に注目すべきものが少なくない。また、文学史に関しても独特な所説を残している。

フォルマリズムは、20年代半ばより“反マルクス主義”として厳しい非難をあびるようになり、その見解も一時のような極端さを解消していくが、結局は政治的に弾圧された。
30年代には、文学のみならず映画、演劇、音楽に携わる者までも“フォルマリズム(形式主義)”を口実に非難されるようになる。しかし、“詩的言語”論に代表されるロシア・フォルマリズムの遺産はプラハ言語学派に受けつがれ、のちに構造主義の先駆として再評価せれるようになる。また、バフチンの著作活動や現在のロシアにおける“モスクワ・タルトゥ学派”の記号論への影響も看取される。