未来派
futurizm

未来派とは1910年代初めにおこった前衛的な芸術運動である。D.D.ブルリューク、マヤコフスキーフレーブニコフ、クルチョーヌイフ、V.V.カーメンスキーらを中心とする“立体未来派”(kubo-futurizm、別名ギレヤGileya)、I.セベリャーニンらの“自我未来派”(ego-futurizm)、V.G.シェルシェネビチらの“詩の中二階”(mezonin poezii)、パステルナーク、アセーエフに代表される“遠心分離機”(tsentrifuga)など、おもに4つのグループが活動した。なかでも立体未来派は、過去の文学的遺産のトータルな否定を旗印に、真に自立的な芸術の創造を目ざし、ラリオーノフ、マレービチら同時代の前衛画家たちとも連帯しながら《裁判官の飼育場》(1910)、《社会の趣味への平手打ち》(1912)など数多くの文集を刊行した。詩と絵画との方法的アナロジーに立脚した彼らの作品は、いずれもシンタクスや文法の無視、新造語やザーウミzaum(超意味言語)の利用、異化、転位の手法といった実験性に満たされ、その内容も初期マヤコフスキーの強靭な抒情性を秘めた都会詩からクルチョーヌイフA.E.Kruchyonykh(1886-1968)の音声詩、さらには古代社会やスラブ異教へのあこがれをうたったフレーブニコフの牧歌詩と多岐にわたっている。立体未来派は成立当初からイタリア未来派との影響関係を否定し、みずからの優位性を強く主張するとともに、一貫して反戦的な立場をとった。1914年、イタリア未来派の指導者マリネッティF.T.Marinetti(1876-1944)がロシアを訪問した際、彼らの一部が妨害工作にでたことは有名である。未来派の運動そのものは第1次世界大戦の混乱のなかで解体へと向かったが、その精神はロシア革命後も受けつがれ、レフ(LEF)や構成主義の運動に大きく花開いた。