ゴンチャローフ、イワーン・アレクサーンドロヴィチ
1812-1891

Goncharov, Ivan Aleksandrovich
Гончаров, Иван Александрович

ゴンチャローフ肖像 リアリスト作家。

ゴンチャローフは、裕福な家に生まれた。家系は商人階級だが、ロシアの地方領主の家庭によくある族長的雰囲気の中で育だてられた。モスクワ大学を出た後官職に就き、以後多年にわたって、これといった功績がないまま辛抱強く勤め上げた。文学で頭角を現したのは、1847年、最初の小説「平凡物語」の発表がきっかけであった。ロシアの大批評家ベリンスキーが激賞したこの作品は、若い田舎の理想主義者はやや世俗的で、現実的な若者に変貌する様子を描いた、半ば自伝的小説である。

1849年にゴンチャローフは短いスケッチ風の「オブローモフの夢」を発表したが、これは後年の大作「オブローモフ」の核になる作品であった。52年から55年にかけて、彼は政府が後援した探検隊の秘書として世界を周航する。彼にとって楽しい旅ではなかったが、その報告は鋭く、旅行記は、58年に「フレガート艦パレラーダ号」となって世に現れた。

ゴンチャローフが1858年に完成させた、彼の代表作として知られる小説「オブローモフ」は、その翌年刊行されている。主人公オブローモフは、農奴制度に依存する貴族階級の安逸と無為と倦怠の、ロシア文学における典型となって、体を動かすくらいならいっそう夢でもみていようという人間であり、しばしば彼の学友シュトルツと対比される。シュトルツは精力的で自意識の強い新しいタイプの人間だが、オブローモフを行動的な生活に駆りたてようとして見事に失敗するからである。後にオブローモフは“余計者”として、プーシキンの創造したオネーギン、レールモントフによるペチョーリン、ツルゲーネフのルージンと並んで、ロシア文学が生み出した典型的な人物群の一角を占めるようになった。この作品の評価から特異な高等民族気質を指す言葉として“オブローモフ主義”という新語さえ生まれたのである。

ゴンチャローフの最後の重要な小説「断崖」(Обрыв)は、1869年に世に出た。「平凡物語」と同様なテーマをもつこの小説で著者は、新しいものと古いもの、理想的なもの日常的なものを扱っており、ゴンチャローフの主題のなかで、おそらくもっとも重要な葛藤を摘出した作品といえよう。古きロシアの族長的な気長でのんきな生き方への愛惜と、古きロシアの殻を破ってほとばしる奔放で急進的なものへの興味、好奇心などとの葛藤がその中心にすえられているのである。

ゴンチャローフにはまた、1870年に書かれ、79年に公刊された自伝的な弁明の書「遅くとも為さざるよりはよし」がある。そこで彼が試みたのは、若い世代にたいして、自分もまた同様の時代精神を分かちもっていることを証明することであった。以上のほかにも、彼は「わが大学回想」(1870)、批評分野における業績「百万の苦しみ」(1872)、「ベリンスキーの個性に関するノート」(1874)などを書いている。


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