カラムジーン、ニコライ・ミハイロヴィチ
1766.12.1-1826

Karamzin, Nikolai Mikhailovich
Карамзин, Николай Михайлович

ロシア作家、ジャーナリスト、歴史家。

《モスクワ雑誌》、《ヨーロッパ通報》の編集に携わり、また大著「ロシア帝国史」によって国家学派の先駆的な歴史家とされる。

カラムジーンは、オレンブルグ地方のミハイロフカ村にある父の所領で生まれた。近在のドイツ人医師からドイツ語を、隣の地主の妻からフランス語を習ったが、1777年から1781年までの4年間モスクワへ出てヨーハン・シャーデン教授の寄宿学校で教育を受けた。一時近衛連隊に勤務し、退役して故郷で暮らしたのち、モスクワの知識人仲間に加わった。彼は詩のほかに「哀れなリーザ」をはじめとする数編の小説を書いた。また活動的なフリーメーソン運動にも参加し、有名な作家で出版社でも会った二コライ・ノーヴィコフの自由主義的サークルにも接近した。

1789年から90年にかけ、ベルリン、ライプツィヒ、パリ、ロンドンなどに旅行した。ロシアに帰ると、ジャーナリズムに身を投じ、《モスクワ雑誌》の編集に携わるとともに、同誌に「ロシア人旅行者の手紙」を掲載した。この「手紙」は旅行中の彼の知的成長を物語るものであった。彼の著作の多くと同様に、「手紙」はローレンス・スターン風のセンチメンタルでロマンチックな文体を持っていた。しかしこれは、当時流行した文学様式を代表したにとどまらず、カラムジーン自身が自由主義的な、フリーメーソン的な立場から、後の著作にみられる保守的な立場へと移行しはじめたことを示唆するものであった。

1802年、19世紀ロシアでももっとも重要な”厚い雑誌”の一つ、月刊《ヨーロッパ通報》を創刊したが、2年後にはこの雑誌から手を引き、ロシア国家史の研究に没頭するようになった。ロシア国家史は彼にとって終生に関心ごとであった。1811年、ロシア専制政治が古くから伝えてきた美徳を歴史的に強力に擁護する「古きロシアと新しきロシアについての覚書」を執筆し、これをアレクサンドル1世に奉った。一方、ライフワーク「ロシア帝国史」(1819-26)の執筆を続け、全12巻のうち11巻までを生前に刊行した。この大著における愛国的かつ保守的な分析は、フランス革命とナポレオン戦争の災いを通じてロシアに生まれた識者たちの排外的国粋主義に通ずるものであった。

1816年、ペテルブルグに移り、皇帝アレクサンドル1世と密接な、しかし用心深い関係を保ちつづけた。「ロシア帝国史」の一部を皇帝に献呈し、これを読んだ皇帝と歴史や政治問題についてしばしば議論を交わすこともあった。カラムジーンはヨーロッパ文明を全面的に否定するようなことはなかったが、ヨーロッパにおける進歩を人為的に追い求めるあまり、ロシア国家がもつ独特の美徳を捨て去るようなことがあってはならないと常々してやまなかった。彼自身の知的成長がヨーロッパ文化の影響に負うところが大きかったため、彼はヨーロッパの伝統的価値のすべてを否定することなく、なおかつ自国の歴史的特質の最善のものを発見して保存しようという立場をとったのである。ロシアとヨーロッパの間に立って、保守的で人道的で、知的なバランスと保とうとしたわけであった。

1825年、アレクサンドル1世が急死し、急進的なヨーロッパ志向の将校たちによるデカブリストの反乱が起こってから間もなくカラムジーンは健康を害し、1826年5月22日に死んだ。


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