喜多嶋本書評?・感想文

喜多嶋氏の著作について。きわめて個人的な考察・感想を綴ります。
あらすじや引用などはありませんのでご安心を。
これから読む方も感想として参考にしていただければ。。。
ただしあくまで管理人の主観と独断です。
要は自分の眼でギュッと見、良い心で読み、肌で感じることです。

ふざけんなよ!えぇぇぇ?などのご意見は。。。当然、受け付けます。



過去の感想文はこちら
キャット・シッターの君に。 ―2006/11/26―

自分を語ることの難しさ。

本作の登場人物すべてが自分で自身を語る。
しかも飾らない自分を語るのではなく、飾る自分を殺しながら語る、淡々と語るのだ。これは実に難しい。

挫折、弱さ、そして想い。

そんな一つ一つのエピソード、人々の想いが行間から伝わってくる。まさに良作。



私は「喜多嶋隆」を知らないという方。

名前も知らないし作品も読んだ事がない。
ただ本の顔を眺めるのは好きだし平積みをチェックするのも好きだという方。

行きつけの書店へ出かけよう。

店の一等地。入り口近くの新刊コーナー。
正面左手の中央寄り、そこに一箇所へこんでいる場所がある。



そこに気持ちよさそうに寝そべる猫が居るはず。



是非手にとって欲しい。

猫の天骨は良い香りがする。あれはお日様の香りだナ。
水恋―SUIREN― ―2006/04/27―

読書に作法があるわけではないが。

一気読みしてその読後感に酔う作品と一句噛みしめるように味わうべき作品がある。
それは同一作家においても作品毎にとるべき姿勢である。

ここ3作続いた角川作品について感じてはいたが、今作で一層後者の感を強くした。

今作はまさに噛みしめて味わう文章のための作品である。

ストーリーもさることながら味わえる一冊。

これはもう作品に対する想いでしかないわけだが、その想いをかき立てるに足る良作である。


喜多嶋作品の主人公は変わるため、成長するために旅立ってきたが途中下車のための旅立ちもあるのだ。。。


想い。


ファンとしての想いもある。



喜多嶋隆、もしくはその作品に対して何らかの「文学賞」を贈らないということは文学界にとって大きな損失である。



う〜ん、今回も感想文ではないな。
ただ、愛のために ―2005/11/21―

喜多嶋隆は追いつけない作家だ。

かつて読者の成熟に追いつけなくて消えていく作家が多い中で稀有な才を持った作家だと書いた。
今作ではストーリーではなく「流葉爽太郎」という人間を読んでその感を強くした。

旧シリーズにおいても今も流葉は自由だ。

しかしその自由は昔彼が持っていた自由感とは少し違うように思う。

人は年齢を重ねるうちにどうしてもしがみついたり甘えたりする存在を作り出してしまう。それは恋人であったり恋愛関係や会社、結婚している者なら家庭や子供であったりする。
しかし流葉は違う。相手次第で自分の人生が決まるポジションに入ってしまうことが決してない。

だから自由なのだ

当然、すべてのものから手を放したほうが自分の力になる、実力がつく。CFディレクターとして、人間として。
甘えから離れれば離れるほど自由になれる。

今の流葉がまさにそうだ。だから読んでいて不安がない。

かつての若さが前面に出た自由とは違う。

真の大人の自由を持った「流葉爽太郎」

新鮮な彼への憧れが今私の中にある。

やはり、喜多嶋隆は追いつけない作家である。



う〜ん、今回は感想文ではないな。
もう、若くはないけど ―2005/10/08―

上質の文学作品である。

今売れている本には、特異な世界、特異な体験が溢れている。
驚きをもって読む作品、新しい世界を覗いたような気になる作品。

そして反発するように馴れ合いの日常を書いた作品。

まさに数年前の芥川賞の様相そのままだ。

本作品にはそんな弱々しさはない。
ゆるぎない筆致に支えられた強さがある。魅力ある人物たち、いいイメージと素材があれば脇も舞台も自由に生きてくるという典型的な良作。また喜多嶋氏が言いつづけた課題。良質なリアリティとはまさにこの作品にあると言いたい。

「文学とは草原を断崖のように歩くことだ」

今、書きつづけることは本当に難しい。想いを作品にするために絶大な力を要する時代だ。
そんな中で心情を含めて知覚できる作品。それがこの一冊である。

お薦めする、是非読んで欲しい。
恋はフェニックス ―2005/06/14―

この作品を読み返すたびにココロがささやく。

愛・こそがすべて

どれだけ情報が駆け巡り、映像が配信され、理解という言葉だけが走り、ネットが整備されようとも国や民族はなくならないだろう。ましてや政治などという醜悪な価値観では。唯一その障壁を破るのは愛でしかない。

この作品が大好きだ。

シンデレラストーリーというだけではない。
香菜の”存在”。これは日本人に残された希望だろう。
「アホちゃう。こんな話」と言われてもいい。
今、活字による涙だけは大事にしたい。喜多嶋作品は多くの人に影響を与えはしないだろう。

しかし涙で答える読者がいることを忘れないで欲しい。。。
シャワー ―2005/05/19―

もしこの作品が語られることがあるとすれば。

角川書店が贈る現代の寓話。   NO

やはり大人の恋愛は書けなかった。   NO

スタンド・アローン・コンプレックス。   YES

予測はつく。こんな言葉が溢れるのだろう。
しかしそんな目やココロではこの作品は読めない。

「現代の寓話」?「大人の恋愛」?そんなジャンルがあるのか。 間違いなくステロタイプされた意識や想いやポーズを持った大人など喜多嶋作品には存在しない。

そんな大人のストーリーなど読みたくもない。

性も生もすべては一瞬。

子供から大人など徐々になるものではない。すべては一瞬。

解らないから解るになるのと同じことだ。 だからこの作品を大人向けなどとは決して思わない。性も生も解るか解らないかだけだからだ。

スタンド・アローン・コンプレックス。キーワードは好奇心と再生。

しかし読み応えのある作品である。
少なくとも凪に浮かぶ エメラルド色の燃え立つ炎や、主人公との約束の守り方は最高にチャーミングだ。 。
SING3〜さよなら、イエスタディ ―2004/09/01―

これでシリーズ3作目になる「SING」
一読二読して今作止まってしまった感がある。文体はこなれ、登場人物は文体に乗っている。
しかしストーリーの本道はどこにあるか。
各々のエピソードは非常にうまく完結しているが何かしっくりこない。

主人公を取巻く状況があまりにご都合主義であることがこの作品を小さくしているのかもしれない。ただ今作それがないと何も始まらないのだが。。。(紙一重である、少なくとも創作なのだから)

でここから本音。
「SING」は「ブラディ・マリー」「湘南探偵物語」などとは違い一話完結で重なるシリーズではない。むしろ「ポニーテール」に近い。このようなシリーズには今作のような「止まった一冊」が重要である、きわめて重要である。
そしてシリーズが完結したときにその一冊が各々のエピソードが光を放つのだ。

読者も大切に育てて欲しいシリーズ、一冊。

まさに今後の為の寒肥ということか。
ハワイアン・ジゴロは眠らない―2004/06/22―

何かがおかしい。何かおかしくなってるんじゃないか、日本人は。。。

ハワイイを舞台にしてはいるがバブルに踊った日本人の変貌、金満主義を強烈に考えさせられる作品。
とはいうものの堅苦しくはない、清冽な「喜多嶋節」が光る短編群。

主人公はアンダーカバー(喜多嶋ファンなら説明不要ですね)日系ハワイイ人だが作者喜多嶋氏のスタンスは違う。あくまでもハワイイ系日本人、批判でも嘆きでもなく淡々と描いている。ハワイイでの日本人がらみ事件、日本女性が読めば怒るかもしれないがけして誇張されてはいない、これも一つの現実。
何はともあれブラディ・マリーやその他ハワイイものの魅力をすべて注いで作った澄んだスープ。

是非味わって欲しい。

しかしこの時期の氏のゆるぎない筆致、乾いた風、懐かしく心に染み入ります。


思いつきの「ハワイイ系日本人」我ながらいい造語だなぁ。。。

へへへ、使ったろ。
サヨナラには早過ぎる―2004/05/29―

これぞ新生「CFギャングシリーズ」第一作と呼びたい作品、秀作です。前2作でしっくりこなかった部分が修正され見事に登場人物が文体にのっている。
「SING2」と同じくこのシリーズにも新しい風が吹き始めた。喜多嶋氏自身が作家として「何か」、意識しても決して手に入れることの出来ない「何か」を得たに違いない。

装丁のセンスも良く、思わず惹かれて購入したという方もあるだろう。そんな読者にとって作品の魅力の一つであるCFシーンも今のTVCFに飽き飽きしている方には新鮮に写るかもしれない。しかしこれを含めて「CFギャング」喜多嶋作品なのだ。

そして今作で私的に思い入れの強いシーンがある。源がビーフシチューを食すシーン。魅力あるキャラクターと胸に来るセリフ、久々に読み返しました。


「良く覚えておけ。これが男のやることだ」


ク〜〜〜〜〜ッ堪りません!名セリフ誕生。

ということで善哉!

SING2 〜もう一度、ステージに〜   ―2004/04/11―


これは文学作品である。

喜多嶋作品には今までに何度か文体の転機があった。
その都度あとがきには説明されていたがを再読してなおしっくりこない作品もあった。
その大きな要因は登場人物と文体とのズレにあったと思われる。文学作品にはそのキャラクターにあった文体というものが必要である。喜多嶋隆という作家がこれほどの人気作家になったのはキャラクターを最大限に生かす文体を持っていたからだ。
「CFギャングシリーズ」「ポニーテールシリーズ」はまさにそれで、跳ねた文体に跳ねた登場人物たちが生きていた。それに加えて初期の珠玉とも言える短編があったのだからまさに稀有な才である。

しかしそれは「マリーシリーズ」で少しづつ変わっていった。ズレが双方を生かせなくなり風が止まった。

今回の「SING2」で主人公は最高の文体に出会った、まさに文学作品である。
前作で魅力ある新ヒロインが生きていないと書いた。しかしそれは今作で撤回する、そんなものは微塵も感じない。シリーズ2作目であるがこの作品が氏の新たなる文学のスタートのように思える。

また風が動き出した。。。

激しいのではなく強い、それでいて花のようなやさしさを持つ。

そんな風が全編に吹いている。



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