諸外国の食器と作法

諸外国の食器

 -欧米-
 属人器的なものは殆ど存在しない。欧米の家庭では、オードブル皿から始まってデザート皿に至るまでの食器がすべて一時的属人性しかもたない銘々器である。しかし属人器的なものが一つも存在しないわけではなく、オランダではかつてフォークとスプーンは属人器であり、またナプキンリング(ナプキンを折りたたんで通しておく環)を食具としてみるならば、北ドイツ・デンマーク・オランダでは、このナプキンリングを今なお属人器として使っている。食事中に口のまわりの拭いたりして汚れるにもかかわらず、ナプキンを毎日取り替えないで数日間も使い続ける。だから食事が終わってリングにさしておけば、次の食事までそのままの状態で保管され、誰のナプキンか識別できるようになっている。

  -中国-
 中国語には「公用器」「自用器」という言葉が存在し、「共用器」「銘々器」を意味する。欧米と同様属人器に相当するものは存在せず、また佐原眞氏によると、中国では食事が始まって終わるまでの一時的属人性すら危ぶまれるという(1)。ウェイターにお代わりを求めて碗を渡す際、何人かが同時に碗を出すと、自分が使っていた碗は他人の所に行き、自分の所へは他人が使っていた碗が来ることが多々ある。佐原氏はこれが偶然ではなく頻繁に起こっていることから、ウェイターは間違えたのではなく、碗を使っていた人に返さなければならない意識がないのだとし、その碗の一時的属人性は、飯一杯で消えてしまうと指摘している。箸についても属人性がない。男女長幼関係なく同じ大きさの箸を使うのが一般的である(2)。つまり男物・女物・子供用の区別がないのだ。箸の形状は日本のものよりも長く、しかも先が尖っていない。この理由として箸の用途が、摂取(口への運搬)よりも配膳(共用のさらから料理をとること)に重点をおいていることが挙げられる。また沖縄には属人器をみることができない。これは沖縄が中国の食文化の影響下にあったからとも考えられている(3)

  -朝鮮半島-
 朝鮮半島では飯碗・汁碗・箸・匙が属人性をもっている。これらには男性用・女性用の区別が存在しており、男物は深くて大きく頑丈で、女物は浅く華やかなものである。これら四つの食器は、初誕生の時に母親から与えられ、その次は結婚の際に花嫁が自分と夫の分を用意することになっている(4)。佐原氏によると、店では花嫁道具の一種として食器セットも売っているとのことである(5)。飯碗・汁碗・箸・匙は、それぞれ共通したデザインで飾られ、一対になっており、夫婦用も対応するデザインとなっている。日本の夫婦茶碗よりも更に深く共通した飲食具を夫婦が共有することになり、仮に片方の飯碗が壊れたとするなら、対の飯碗あるいは汁碗の形・デザインとの調和を守るため、飯碗・汁碗一対を新しくすることも一般的とのことである(6)。また日本では葬式の出棺の際に、戸口の所で故人が生前使用していた茶碗を壊す風習が存在するが、朝鮮でもこの風習が存在しており(7)、別な言い方をすれば、属人性が存在しているからこそ成立する風習であるということができる。

  -日本-
 「日本は外国か?」と文句が来そうだが、何故日本かというと日本の家庭にある「洋食器」について採り上げるからである。家庭にある洋食器には、ナイフ・フォーク・スプーン、あるいは紅茶・コーヒー用の茶碗がある。欧米の影響だろうか、これらの洋食器には属人性が与えられていない。そのため家庭では他人が使った(所有している)箸は使えないが、ナイフやスプーンは気にせず使用できる。意識の使い分けを無意識におこなっているのである。この点についてはいろいろな学者がふれているが、箸と茶碗は人格が投影しやすいからという理由に留まっており、それ以上については言及していなかった。

  -インド-
 インドにおいては属人器が存在していないが、銘々膳を使用していた日本と同じくらい個人別の配膳法が徹底している。日本のような膳ではないが、金属製の大きな盆を使用し、その上に金属製の小さな皿を載せるのである。インドにおいては「浄」と「不浄」を峻別する観念が発達しており、またカースト制もこの浄・不浄観に結びついている。自分より下のカーストの者が触れた食物は食用不能になってしまい、それを防ぐために個人別の配膳を徹底しているのである(8)。属人器は存在していないが、ケガレの伝染を防いでいる点で日本に近いということができる。


食作法の違いについて

 諸外国の食器についてみてきたが、食作法についてはどうであろうか。日本の食作法と比較するかたちで、中国・朝鮮の食作法をみていくことにする。

  -直箸-
 日本ではこの直箸は無作法にあたる。しかし中国・朝鮮において、この行為はこれといって無作法としては扱われていない。それどころか中国では直箸の方が作法とされている。主人が来客に食べ物を取り分ける際も直箸であり、その箸の長さが長いほど信頼を表すマナーとされているのである。

  -食器を持つ-
 日本では普段我々がそうしてるように、食器を持ち上げ、時には口元まで持ってきて食事をしている。中国も日本と同じであるが、朝鮮ではこれが無作法にあたる。食器は常に食卓の上に置き、箸・匙を使って食事をするのである(9)。朝鮮では日本式の食べ方、つまり食器を持って食べることを「乞食の食べ方」としている。逆に日本では、朝鮮式の食べ方は「犬食い」とされ、「お茶碗をきちんと持って食べなさい」と母親や先生から注意される経験は、日本人なら誰でもあることではないだろうか。
 日本でも平安時代に貴族の公式の食卓において匙を使用していた。正倉院の御物のなかには鉄製の箸と匙が存在し、また『類従雑要抄』の「大饗の公卿膳」には、箸と並んで匙が描かれている(10)。しかし匙を使用して食事をする風習が民衆に浸透した形跡は存在せず、また当の貴族のなかでも消滅してしまう。この理由として石毛氏は、日本では木椀が発達し、汁などは椀に直接口をつけてすすることができたことに関係していると述べている(11)

  -食べ残し-
 食べ残すことは日本では良いこととはされていない。中国・朝鮮をみると、両国ともほぼ同じような理由で食べ残すことが作法となっている。その理由は、料理を作ってくれた人に「あなたも召し上がってください」という感謝の意を表すため、または残さず食べてしまうと「この人はまだ満足していないな」と思われてしまうこともあり、食事の終了の意を表すためなどが挙げられる。この理由の要因として、まず前者は客やお供やその家の使用人が多くいた関係上、その人たちにも行き渡るようにという心遣いであり、後者は料理を食べきれないほど出すことが、その家の富を表すことにも繋がっていたことが挙げられる。しかし現在では必ずしもそうでなく、全部食べてしまうことの方が、主人の心づくしに応えることになり、喜ばれる場合もある。


まとめ
 以上のように諸外国における食器と食作法についてみてきた。これらをみるに、いかに日本人が目に見えない汚れを感じてしまっているか、それを比較することができる。
 中国では佐原氏の経験談からもうかがえるように、身内・他人関係なく他人が口を付けた食器に何の嫌悪感も抱かない。欧米でも属人器は特に存在しなかった。また日本では忌避されている直箸は、中国・朝鮮においては何の制限もなく、中国ではむしろそれがマナーであり、信頼を表す手段でもあった。これらをみても日本人は目に見えない汚れ、つまりケガレを感じてしまっていることがわかる。先述したがインドには浄・不浄観が存在し、ケガレの伝染を防ぐために個別配膳を徹底している。ケガレを感じているわけだが、日本人の感じ方とは違っている。インドにおいては、ケガレはカースト制度等にも影響を及ぼし、目に見えるかたちで現れている。つまり「目に見えない汚れ」が一体何なのかを理解したうえで防御しているのだ。しかし日本人はそれが何なのか分からず、ただ感じてしまっているのである。この点が日本とインドの大きな差と言えるだろう。
 朝鮮半島では属人器が存在している。しかし日本のような「他人の使った食器を使用したくない」という理由で、食器が属人性をもっているのではない。朝鮮半島における食事作法・食事様式に深い影響を与えた要因は、男女長幼の別を強調する儒教思想である。十六世紀の中宗の時代から『朱子家礼』が李朝のもとで一般に浸透していくので、この時代に現代の食事作法・食事様式が成立していったと石毛氏は述べている(12)。この儒教の影響は食事の場面において、食事をする場所、食事をする順番等も規定するものであった。男女長幼の別が食器にまで反映し、また食事をする場所が年齢層・男女で異なっていたことも影響して、属人性が生まれていったと考えることもできる。


  -参考文献-
(1) 佐原 眞 『全集 日本の食文化 第九巻 台所・食器・食卓』雄山閣出版 1997 p.175
(2) 西澤治彦 『講座 食の文化史 五 食の情報化』味の素食の文化センター 1999 p.354
(3) 前掲(2) p.176
(4)  石毛直道 『講座 食の文化史 四 家庭の食事空間』味の素食の文化センター 1999 p.395
(5)  前掲(2) p.177
(6) 前掲(2) p.177
(7) 韓東亀 『韓国の冠婚葬祭−民俗学上よりみた今と昔−』国書刊行会 1973 p.306
(8)  前掲(4) p.402
(9)  前掲(4) p.395
(10) 神崎宣武 『「うつわ」を食らう』日本放送出版協会 1996 p.95
(11) 前掲(4) p.396
(12) 前掲(4) p.391





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