file 28 命取りの片想い

 ポイオティアという河の神様に、一人の息子がいた。

 彼は幼少の頃からみずみずしい容姿をしており、成人する頃には人、精霊、そして神を問わず誰一人としてその美しさを知らぬ物はいないほどの美少年に成長していた。名をナルキッソスと言う。
 当然、彼に対して何人もの女性が求婚した。近隣の町娘しかり、河の精霊であるナイアデスたちしかり…だが、彼は決してこれを受け付けなかった。どの女性も美しかったが、自分と釣り合うとはとても思えなかったのである。

 エコーもまた、ナルキッソスに恋したナイアデスの一人であった。彼女もまた、いわゆる中の上の容姿を備えていたものの、ナルキッソスにはふられてしまう。悲しみのあまり、彼女は声の一部分を失ってしまった。自分の意志で話すことはできず、ただ相手の声の最後を繰り返すだけになってしまった(=こだま、エコー)のだ。河のほとりの洞窟にこもったエコーは、やせ細って死んでしまうまでひたすら、ナルキッソスに言われた別れの言葉を繰り返していた。

 このつらい仕打ちに対して怒りを燃やした女神がいた。復讐の女神、ネメシスである。
「これほどまで想いを募らせている乙女を前に、なんと自儘な男か! この男にふさわしい死をくれてやろう」
復讐の女神を怒らせてしまったら、たとえ神と言えども止めることはできない。ただその制裁を待つのみである。
 ネメシスは、ナルキッソスに呪いをかけた。「彼は、決して自分以外の存在を愛することはできない」、と。

 呪いをかけられたことも知らず、ある日ナルキッソスは水を汲みに泉へと向かった。水をくもうとかがんだ瞬間、水面に映った彼の姿が目に映る。
「こ、この美しいひとは……!!!」

 この後は想像に難くない。水面に映し出された自分の姿に見も心も奪われたナルキッソスは、その『人物』に口付けをしようと身を乗り出し、そのまま溺れ死んでしまった。自己陶酔を意味する『ナルシスト』は彼の愚行から来ているのは有名だ。

 ナルキッソスは、死んでからもその『人物』に対する想いを捨てきれず、浮かび上がって水仙の花(=narcissus)になって自らの姿を見つめ続けた。

 後に残ったのは泉に浮かぶ一輪の水仙の花と、彼の死を悲しんだ女性たちの声をこだましたエコーのなきがらだけであった。


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