file 3 匠の神ヘルメス

 流れからオーディンの次には同じ北欧神話のトールやロキ、あるいはギリシア主神のゼウスを扱おうと思っていたが、同じギリシア神話の中でも全能の神ゼウスに次ぐ多能者と言っても言い過ぎでないヘルメスを扱おうと思う。

 ヘルメスはローマ神話で言うところのマーキュリー(メルクリウス)にあたる。主神ゼウスを父に、女神マイアを母に持つ。母マイアは巨人アトラスの娘で、少なくとも女神ではあったから、ヘルメスは純粋な神の子であるといえる。と言うのも、ギリシア神話には北欧神話とは異なり神々よりも多く名前付きの人間が登場している。当然、確率的にも神と人間とが結ばれることはあるわけで…有名なところではギリシア神話最強の英雄ヘラクレスは大神ゼウスを父に持ちながら母アルクメネは人間であった。決して多くはないが、神と人間が結ばれる神話はギリシア神話くらいのものであろう。

 ゼウスの子供には、その万能の力を受け継いだものが多い。太陽神アポロンは太陽だけでなく音楽や医術の神であり、器用さならヘルメスにも劣らない。ちなみに医術の父と呼ばれているヒッポクラテスが医術の神アスクレピオスの子孫であるという伝説があるが、アスクレピオスはアポロンの息子である。つまり、ヒッポクラテスにも微少ながらゼウスの血が流れているということになるが…。
 ゼウスと彼の正妻ヘラとの間にできた子供ヘファイストスは、生まれつき足が不自由であったにもかかわらずその器用さを活かして鍛冶の神となった。変わったところで、アポロンの妹である女神アルテミスは、恋や美のエピソードでは美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)よりも多く登場している。ゼウスの子供には自分の専門の分野以外に能力を開花する器用なものが多かったと言えよう。

 今回の主役のヘルメスはどうであったか。一般には商業と医術の神として知られ、黒白二頭の蛇が巻きついた神杖カドゥケウス(ケーリュケイオンとも)を片手に翼のある靴で天空を飛び回るとされている。このカドゥケウスを校章としている商業大学や薬科大学もあるらしい。一説にはこのカドゥケウスに巻きついている蛇こそがアスクレピオスである、とする資料もあるのだがそれは置いておこう。ヘルメスは商業と医術に精通している神であることは間違いない。

 しかし、彼が司っているのはそれだけにとどまらない。私が持っている数少ない文献を見ただけでも、ヘルメスは力、盗賊、音楽、伝令、競争、富、発明を司っていたらしい。中でも伝令と発明の力は有名である。翼のついた靴により神速で伝令を伝えることのできたヘルメスは、人間界と神界の間は言うに及ばず、死者の国までも行き来したとされている。人間界で戦争があったときには、あたかも北欧神話のオーディンやヴァルキリーのように人間の魂を冥府へと運んでいる。ローマ神話のヘルメスであるメルクリウスはオーディンと同一視されているのはこの役目によるものらしい。
 また、発明の才においては、亀の甲羅から最初の竪琴を作り出したのも彼だと言われている。彼はアポロンにその竪琴を与える代わりにカドゥケウスを貰い受けた。アポロンとヘルメスという、音楽の神が二人いるのにはこういう理由があったからであろう。

 司る分野から始まってヘルメスには風変わりな点が多いが、中でも風変わりなのが彼の子供である。彼はアフロディーテと結婚し、二子を授かった。しかし一人は両性具有者、一人は巨根の小人という、愛の女神アフロディーテの作用だったのだろうか、性的に特殊な子供であった。正しく言えばその両性具有の神ヘルマプロディトスは、最初は普通の美少年だったのだが、彼へのプロポーズを無視されたニンフ(女性の形をした森羅万象の精霊)・サルマキスの呪いにより彼女と融合してしまった。こうして「両性」を具(とも)に有することとなった。神々に及ぶまで男女の区別がはっきりしていたギリシア神話においてこのような神が誕生したのは、やはり親神たちの奇妙な組み合わせに原因があるのだろうか。

 ゼウスやポセイドンたちとは対照的に、ヘルメスは絵画において多く少年や青年の姿で描かれている。素行は腕白でいたずら好きで変わり者。しかし決してゼウスに歯向かうことはなく、ゼウスの行くところにヘルメスはどこへでもつき従っていった。光源氏並みに妻が多いゼウスが妻に内緒で新しい女性に求愛するときも、新しい女性が見つからず探しているときも、橋渡しをするのは息子ヘルメスの役割であった。その万能さや器用さ、果てはゼウスが密会の秘密を明かすほどにまでの信頼を持ち合わせていたヘルメスならば次世代の主神となるのも可能であったろうに、彼はそういう野望を一切もたなかった。彼には大神の庇護の元に自由奔放に走り回るほうが性に合っていたのだろうか。


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