
卯月
始まりの季節が、誰にとっても始まりであるわけではない。
何かどうしようもない終末を担ってずるずると落ちてゆくような錯覚を味わっている人も必ずいる。
満開の桜のもとで、きっとそれは吹雪の夜以上に苦しみを増長する。
むしろ、こんな季節にこそ心を独りにしてはいけないのかもしれない。
秘密について思う。
隠していること。
昔それは甘美なものであったけれども、いつも誰かに話したい衝動を伴っていたように思う。
いつのまにかそうではなくなっていることに気が付いた。
隠さなければいけないようなことも含めて、その境界線が曖昧に、自分自身になじんでいるのかもしれない。
こうなってしまうと、あえて秘密を口に出す必要はなくなるし、
無限に様々なことを飲み込んで、内包して存在してゆける化け物にでもなった気分だ。
考えてみれば、多少なりとも全ての人間が秘密を持っているわけで、
むしろ、ある意味、秘密はその本人がそれを秘すべきものであると思っているかどうかによって存在しているのかもしれない。
本来、明かされてしまったら秘密にはならないわけだが、
あくまで本人の定義を強化し、さらに価値を付加させるためには、他者による認知を必要とする。
だから、きっと「秘すべきもの」と自分の中で定義してしまった瞬間、「話したい衝動」は分離できないものとして出現するのだろう。
それはあくまで意識の問題だ。
客観的に見た事実なんて、あまり大きな論点ではないように思う。
おしゃべりな心。
結局のところそれは孤独に起因している。
秘密にとって共有は、必要栄養素。
「うそをつくなら、死ぬまでだましてほしかった。」
という歌があったような気がするが、まったくの他者が入り込むことのない個人的な秘密は、ある意味その存在すらあやふやだ。
はじめから、あったかなかったか誰も確かめることができないのだから。
誰かと秘密を共有することによって、初めてそれは呼吸をはじめ、生き物のようにきらめき始める。
そして、それは共有が持続する間だけ続く。
こう言うと、独りになった時、思い出す秘密はどうなるのだ、と思うかもしれない。
あえて言うなら、多分それはすでに秘密ではない。
いくら苦しくても、いくら涙を流そうとも、それは化石となった過去の事実でしかない。
もちろん、その秘密がそれを共有した人間以外に影響を及ぼし、
その共有が持続できなくなった後も、影響を及ぼしつづけるというのであれば、
それはまた、その影響を与えられているものとの共有という形で、その存在を持続させてゆく。
でも、大概その場合、それはすでに秘密と呼ぶには、あまりにも公になってしまった事実に姿を変えているはずであろう。
そういう意味で、やはり秘密は、限られた人間の間でのみ共有され、
その持続のためにある一定の努力を要するベクトルをもった種類の物質であると思う。
だからこそ秘密には求心力があり、大方の場合それは恋愛に応用されることが多い。
その意味で別離とは秘密の共有という契約の破棄のことをいうのだろう。
取り残された秘密はせつない。
それは二度と誰とも共有することができない、鳴かない鳥のようだ。