
いちごま小説の掟
「うそっ!」
楽屋に飛び込んできた保田は、いきなりそう叫んだ。
「うそよそんなの、紗耶香がモーニング娘。を脱退するなんて……」
ひたちなかで走り終わったメンバーたちは、競技場の特別控え室で疲れた
身体を休めていた。ちょうど、市井と後藤の2人はシャワーを浴びに行っ
ていてこの場にはいなかった。
保田は、よろよろと、楽屋のテーブルに手をついた。下唇をきつく噛みし
めて、何度も首を左右に振った。そして(三年なんて長すぎるよ……)と
つぶやいた。
そのオーバーアクションを見ていた吉澤と石川――彼女たちは第四期メン
バーとして活動を始めたばかりである――はうつむいて、肩を震わせてい
た。だが、彼女たちは泣いていたのではなかった。
笑いをこらえていたのだ。
つつ、と辻が保田に寄り添う。小声で耳打ちする。
(やすださんやすださん、その演技はしつこすぎれす。逆に投げやりれす)
保田はキッ、と辻を横目で睨んだ。
(やってらんないわよ! どうせこのあとは紗耶香とごっつぁんのラブラブ
な話が展開するんでしょ? でもさあ、いまさらいちごまの王道をやっても
読む人なんていないわよ。誰か1人くらい、私と紗耶香の濃密な夜の卒業話
を書きなさいよ!)
「やっぱりれすね、いちごま、いしよし、やぐちゅーが三大CP(カップリ
ング)じゃないれすか。K1なんてマイナーな組み合わせ、聞いたことない
のれす」
保田の視線に力が込められた。お前、普段はれすれす言わねえだろ、とその目
は語っていた。
「それが娘。小説の掟なのれす」
そう言われてしまえば、いち登場人物に過ぎない保田は黙るしか無かった。
横を見ると、掟どおりに中澤は矢口を手ごめにしようとしていたし、吉澤の
手は石川の服の下で淫らにうごめいていた。
ちっ、と舌打ちし、保田は説明口調で話し始めた。
「ごっつぁんさあ、まだこのこと知らないんだよね。せっかく教育係だった
紗耶香になついてたのに。今回の卒業の話さあ、ごっつぁんには秘密にして
おいて欲しい、自分から説明するから、って紗耶香には頼まれたんだ。紗耶
香、今さっきごっつぁん連れ出したみたいだけど、2人っきりでどうするつ
もりなんだろうね」
状況を台詞で説明させるのってさ、本当はダメな小説の書き方なんだよね、
と矢口は余計な解説をした。
シャワーだべさ、シャワー室に2人っきりだべさ、と安倍はニヤニヤ笑っ
て言った。
「こーゆー時ってさ、どこまでするんだろね?」
と、飯田は素朴な疑問を発した。飯田は辻とほのぼのと組み合わされること
が多いからか、彼女自身は過激な恋愛体験はほとんどない。
紗耶香はごっちんを抱いちゃうべさ、抱いて抱いて抱いてあーんだべさ、と、
ホンマにそれ方言か?作ってへんか? とDT浜田も思わずツッコミたくな
るような道産子弁で安倍は言った。
「でもさあ、抱くっていったってさあ、ウチら、女同士じゃん? そこんとこが、
疑問な訳よ」
飯田は、真面目な顔のまま安倍に問う。
後ろで見ていた2人――まるで恋人同士のよう身体をぴったり密着させ、どう
するのかな? と、石川は夢見るようにつぶやいた。
「ごっちん、市井さんの指がロストバージンの相手か……」
吉澤の意味ありげな言葉と視線に、いやん、と石川は顔をおおった。
「ごっちんは処女だからね」
矢口はぼそりと、お約束をつぶやいた。
「みんなごとぉを子ども扱いしてさ……」
グスングスンと鼻をすすりながら、後藤は市井を睨んでいた。
「ごとぉは処女じゃないもん! 下着も黒だもん!」
訳分かんねえよ、と市井は小声で言った。それよりもさ、と市井は声量を戻した。
「なにさ」
後藤が唇を尖らせる。
「こう、女2人でさ、裸でシャワー浴びてる図って、結構恥ずくない?」
カップリング対象者が2人っきりでシャワーを浴びるのはよくある設定だ。
シャワールームという密室で仲直りしたりほのぼのしたりハードになにかを
したり、というシーンも無数にがいしゅつではある。そして、いざ、という
ところで保田が『あんたたち何やってるのよ!』と乱入してくるのだ。
しかし、と市井は思う。
女の子同士で、こうやってまじまじと裸を見せあうのは、実は恥ずかしい。
でーん、とハダカを市井の前にさらしている後藤を見ているのも恥ずかしい。
「恥ずかしくないよ! だってごとぉは処女じゃないもん!」
「い、いや、ショマちゃんはもういいからさ」
そういや、こいつネタじゃなくてマジで裸には羞恥心なかったっけ、と市井は
思いだし、やっぱ処女だわ、とつぶやいてしまった。
うわあああん、と泣きながら、後藤はシャワールームを走って出ていった。
まだ髪もびしゃびしゃで、濡れたTシャツとGパンの姿の後藤は、走って廊下
の角を曲がろうとしてまともに中澤とぶつかった。
「な、なんやごっちん。……泣いてるんか?」
どうやら中澤は心配して様子を見に来たようだ。
向こうから、市井が申し訳なさそうに姿を現した。
「紗耶香……ごっちんにあの話したんか?」
市井は、ふるふると首を左右に振った。
「それやったらなんでこの子は泣いて……ああっ、紗耶香、アンタもしかして、
ごっちんの処女をマジで奪って……」
市井は、奪ってないッスー、後藤はバージンのままッスー、と廊下を挟んで大声
で言った。
「なんや、まだごっちんは処女のまんまかいな」
うわあああああん!
後藤はまたもや泣きながら、その場から走り去った。そのままタクシーで自宅
に帰り、母親のパソコンを勝手に借用してインターネットの某巨大掲示板に
『【衝撃】後藤真希は処女じゃなかった!【真実】』というスレッドを立てた。
三日後。
「ごめん、ごめんね後藤。でももう決めたことだからさ」
夜のスタジオ。
誰もいないスタジオ。
市井の決心をついに打ち明けられた後藤は、目を大きく見開いて、市井を見て
いた。ずっと続くと思っていた。ずっと、ずっとこの幸せな時間が、続くのだ
と信じて疑わなかった。
(三年も、待ってられないよ)
後藤は、ぽろぽろと涙を流した。言葉は何一つ出てこなかった。今、やっと
気づいた。目の回りそうなくらい忙しい毎日が、なのにこんなに幸せな気持
ちで過ごせたのは、彼女の教育係――市井紗耶香がモーニング娘。にいたか
らこそだった。市井に誉められて感じていた嬉しさは、彼女にいだいていた
あこがれは、いつの間にか後藤の中で違う感情に変化してしまっていた。
(バカだ……私、ほんっとにバカだ……)
うつむいて、声を出さずに泣き続ける後藤を置き去りにし、市井はスタジオを
出ていった。後藤は市井を呼び止めなかったし、市井は後藤を振り返らなかった。
(ごっちん、大熱演だねえ。大号泣だよ)
(なんでマンネリ脱退話をさ、こんなにテンションあげていけるんだろうね?)
録音室に隠れてこの様子を伺っているのは、保田と矢口である。
(あーれー? 圭ちゃん、なんでもらい泣きしてるのさ)
(してないわよ! ちょっと眠いのよ!)
(へーへー。そうですか)
これから、どうなるんだろう? と保田と矢口は首をひねった。
(起承転結で言えば、今が承、の部分だよね)
(なら次は転か。飯田ロボ発進ね!)
(それは違うから。それはリレー企画のほうだから)
リレー企画でも、そういう展開は無いのだが。
通常のいちごまの場合、このあと後藤が問題行動を起こして市井どころか
モーニング娘。全員を振り回すことになってしまうか、もしくは2人の仲
は疎遠になって行き違ったまま卒業の日を迎えようとするも、前日くらい
に月明かりの差す市井の部屋で2人は結ばれたりなんかしちゃったりなん
かして!!<by広川太一郎>
(ちょっと矢口興奮しすぎ!)
(傷心のごっちんに近づいた肉体の悪魔保田圭が、14才の身体を思うが
ままに蹂躙するハード百合的展開もアリなんじゃないの?)
(黒ヤッスーなんてきょうび流行らないわよ)
2人の密談は、泣き疲れた後藤がスタジオを去った後も、夜更けまでだら
だらと続いた。
これが吉澤と石川だったならば、疲れちゃったね三階の休養室でちょっと
休憩しようか、みたいなぷっちエロ分岐も可なのだが、保田×矢口という
組み合わせはむしろ読む人を引かせるだけなので、これ以上の進展はない
のであった。
(映像:日めくりカレンダーがパラパラとめくれていくイメージ)
雨の東京。
九段下の駅からずらりと続く、傘の行列。
紗耶香やめないでくれ! と散発的な叫び声。
北の丸公園は、コンサート会場に入れないファンたちで溢れかえっていた。
「やっぱ、いちごまのラストは4.21武道館なんだね……」
あの恥ずかしいTシャツを着せられた保田は、控え室の窓の外に見える熱狂を
眺めながらつぶやいた。
ステージからは、アンコールの代わりに紗耶香コールがわき上がっていた。声
に押し出されるように、市井は舞台に飛び出して行った。
(これで素直に終わってくれたらいいんだけど)
そう、保田は祈った。まあ無理だろうけど。すでに後藤の姿は見えなくなって
るし。
「わたしはー、悲しくありません。なぜなら――」
『ちょ、ちょっと後藤さんやめてください!』
急に、加護の声が会場に響きわたった。
どすん、ばたん、ともみ合うような音。
観客たちがざわつき始めた。
どうやら、音声だけが入っているようだ。
(アナウンスの部屋だ!)
一体、加護は何やってるのよ、と保田は駆け出そうとして、
『いち〜ちゃ〜〜ん、辞めちゃヤダ〜〜〜び〜〜〜』
後藤の絶叫が、スピーカーから爆音で降り注いだ。
保田は耳を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。鼓膜が共振してビリビリと
震えた。やっちゃったよ、ここでやっちゃったよ、と保田は口の中で繰り返
した。
「後藤? あんたどうしてそんなこと言うのよ!」
市井が、怒気を孕んだ声で、会場をふり仰いで叫ぶ。
『後藤真希は、市井紗耶香のことが大好きだからだよ!』
しん、と。
突然、神鳴に貫かれたように、世界が沈黙した。
ステージに、スポットライトがもう一本伸びる。
その光の中に後藤が立っている。
(ちょっと待ってよ。こんな演出聞いてないし、この照明は誰が――)
アナウンスルームに向かって走っていた保田は、どういうカラクリで後藤と
入れ違ったのかいぶかしく思いながらも舞台裏に移動した。圭ちゃーん、こ
っちこっち、という声に顔を上げると、なぜか飯田が後藤に照明を当ててい
た。親指でガッツポーズを作っていた。
(あんた、無理ありすぎでしょ! いつ裏方のスキル身につけてたのよ!)
(圭織、いつも美打ちに出てるからさ。これっくらい、イマドキの娘。は出来
ないとね)
(出来なくていいから。出来なくていいから)
いろんなものを都合良く無視しながら、舞台では感動のクライマックスを迎え
ていた。
「私も……」
市井は、観念したのか、後藤に笑いかけた。
「後藤のこと、好きだよ」
「いちーちゃん!」
シルエットになった二つの影が重なる。
会場は、感動の渦に包まれた。あちこちから拍手がわき上がった。
ほーんのちょこっと なんだけど
髪型を変えてみたー
会場の誰かが最初にフレーズを口ずさんだ。
それは、会場全体に爆発的に広がった。
ヲタたちは、両隣と肩を組みあい、市井と後藤へ向けて、ちょこっとLOVE
を歌った。
外は相変わらずの雨だ。
どう情報が伝わったのかは分からないが、武道館の外に集まっていた十万人の
ファンたちも、笑顔で涙を流しながらこぶしを空に突き上げていた。
「三年、待ってるぞ!」
「絶対、帰って来るんだぞ!」
彼らは、傘を捨て去り、身体が濡れるのも構わずに歓喜の声を張り上げた。
「いちごま万歳!」
「いちごまよ永遠なれ!」
鉛色にうねる海面のような、重低音のシュプレヒコールは、遠く、新宿まで届
いたという。
(いいの? あんたたち、本当にこれでいいの?)
保田は、ステージの袖で、ガックリと膝をついた。
そばに、腕を組んだ中澤が立った。ぽん、と保田の肩に手を置いた。
「……裕ちゃん」
抱き合う2人を眺めながら、
「みんな、熱いな」
中澤は言ってはいけないことを口にした。
「紗耶香、1年半で帰って来るのにな」
雨はまだ、降り止みそうにない。
おわり