ADHDと診断されるまで・・・大人編

そんな私にブチ切れた、ある人が「あんた、自分がやってることわかってる?」と一対一で怒られました。
続く一言「あんたは何人の人間を傷つけたら気が済むんや!」
彼女の指摘に非常にショックを受けた私は、人生初めて猛省し、いくら自分が知らずにやっていたとはいえど、自分が原因で傷つけてしまった人たちのことを思うと・・・。本当にこのときはまさに「筆舌尽くしがたい」、自分の罪を責めてせめて攻めまくりました。

変な話?かな・・・「泣けないぐらい」自分自身責めましたこのときは。

それでも、相変わらず、他者との付き合いに違和感を感じ、その状況を改善するすべも知らないまま、そのことに対するフラストレーションを徐々にためつつその日、その日をすごしていました。

彼女からの指摘を受けて以来、他者に対応するときは、言葉を選び、態度を選び・・・気をつけていましたが、それでもどうやら人を傷つけていたようです。
初めての職場でも他人を傷をつけてました。

これに関しては、退職後も私のお友達を続けてくれている人から教えられ再び猛省。

しかし、このときは、自分を反省しつつも学生のときのように自分を追い詰めるようなことはしませんでした。しかし、自省の日々は続き、ストレスはどんどんたまっていきました。

初めての職場を退職するとき、私はさまざまな問題を抱えていて、とうとうノイローゼになってしまったのです。
退職とほぼ同じく、家の近所にあった精神科に通院をはじめました。

カウンセリングと医師の診療・・・ここには3年ほど通いましたが、担当医の「私は一日に50人も診ますから、あなたの望む治療はできないんですよ」の一言にブチ切れて通院をやめようかと思いましたが、薬欲しさに通い続けました。

前職場からの退職から、間をおかずに次の職場へ・・・ここでOAインストラクターという仕事とめぐりあいます。

非常にやりがいのある仕事で、とても楽しかったのですが、一つだけつらいことがありました。

それは「自分で講習会の企画や、カリキュラムを組まなければいけない」ということでした。

企画は浮かびます。カリキュラムの大まかな流れも漠然と頭に浮かびます。
ただそれらをまとめていく作業が非常につらかった・・・・

この他にも、会社が小さな小さな会社であったため、私の仕事は事務や営業補助・・・いろいろな雑用もこなさなければなりませんでした。

社長にも何度も呼び出しをくらいました。
「どうして、ちゃんと手順が組めないの?」
「どうして、仕事の優先順位を決めることができないの?」

言い返す言葉もない私でした。しかし、今ならわかります。なぜできないのか!!それは・・・
優先順位のつけ方がわからないから!!
なのでした。

でも、結婚までは何とかがんばれました。しかし、やはり、家庭と私にとってはハードな仕事内容は両立できるはずもなく、社長から退職勧告される前に辞表を提出しました。

 

結婚編に続く      TOPへ戻る