『このままだと、近いうちに死んじゃうかも知れません』

ある夏の日に、私はそんな未来を一人の男の人に予言した。



未来視の女の子  「空の境界」SS 


1.再会。

「あ、あの……っ」
それは新年度を迎えたばかりのある春の日のこと。
学年が変わってから初めて外出許可を得た私は、町中で「その人」を見つけて、思わず呼び止めた

「え?」
突然の呼びかけに、その人は驚いたような声を上げる。
だけど振り向いて私の顔を見ると、すぐにその人の表情は和らいだ。

「静音ちゃん」
私の名前を呼ぶその人は、黒いシャツに、ズボン。黒縁眼鏡に、黒い靴といった出で立ち。
その人―――「黒桐さん」は、去年の夏と出会ったときと同じように、黒づくめの格好で、私に向かって片手をあげる。

「久しぶり。夏休み以来だね。元気だった?」
「は、はい。お、お久しぶりです……っ」
その暖かな笑みに、私は不安と緊張に吸い込んだ息を、深々と安堵の思いとともにはき出した。
朗らかな笑みと、優しい物腰。それは、間違いなく、あのときに出会った黒桐さんと同じものだったから。

だから、彼があのときから変わらずに、無事だって言うことで。
その事実に、私は心の底から安堵を感じて、黒桐さんに駆け寄った。

「あ、あの……っつ」
「え?」
「あの……黒桐さん、ですよね……?」
「うん、そうだよ。僕の名前、覚えててくれてたんだね」
「も、勿論ですっ」
黒桐、なんて名前、そうそう忘れるはずはない。なんといっても私のルームメートと同じ名字なんだし、
それに何より―――あの夏の日に、忘れられないような「未来」を視てしまった人の名前なんだから。
それでもやっぱり名前を確認したかったのは、彼が彼であることをどうしても確かめたかったからかも知れない。

「……よかった、です」
「え?」
あの夏の日に「幻視」した未来。その「未来」は、「現在」につながっていなかった。
黒桐さんが、無事だった。ちゃんと、こうして生きていてくれた。あんな不吉な未来は―――、消えてしまってくれたんだ。

「ご無事、だったんですね」
「うん。おかげで、元気にやっているよ」
「良かった……良かったです」
「……静音ちゃん」
あの夏の日に、黒桐さんと別れてからずっと心に引っかかっていた棘。
それが抜け落ちる感覚に私は感極まって、必死で泣くのをこらえるだけで精一杯になって。
だから、ちゃんと言葉を紡げない私に、黒桐さんはそっと優しく頷いてくれた。

「ありがとう。心配してくれて」
そう言いながら、黒桐さんはハンカチを取り出して零れかけた私の涙をぬぐってくれる。

「あ……」
「静音ちゃんが忠告してくれたおかげで、今もこうして元気だよ」
「あ、いえ、その……」
優しい声と視線。そして、ハンカチの感触にちょっとどきどきしながら。
私は「お役に立てたなら良かったです」って言葉を返すために、私は涙をこらえて、視線をあげて。

その、刹那。

「―――え」
『その傷』に気がついて、文字通り、絶句した。

「静音ちゃん?」
「……あ、あの」
黒桐さんは黒づくめのまま。だから、髪の毛も染めたりなんかしないで真っ黒なまま。だけど、その髪の長さだけは違っていて。
あのときより長くのばした前髪。その下にあるのは……傷跡で。

「こ、黒桐さん……そ、その」
「え?」
わざわざ髪を伸ばして隠さなければならないほどの傷跡。
閉じられたままの瞼と、それを縫いつけるような傷跡の深さに気づいて私は言葉を失って、でも、その傷から視線を外せずに、凍り付いて動けない。

だから、そんな私の態度と視線に彼はすぐに気づいて。
だけど、気を悪くしたそぶりも見せずに、その傷にそっと振れながら、小さく笑った。

「あ、これ? うん。ちょっと、怪我しちゃってね」
「ちょ、ちょっと、って……」
見た限り、全然「ちょっと」という傷に見えない。
でも、私がそう見えないだけで、実は大したことはないんだろうか……?

「……だ、大丈夫なんですか?」
「うん。まあ、遠近感は怪しくなったけどね。でも随分、慣れたから。平気だよ」
「―――っ」
遠近感が、ない。
何気なく告げられた黒桐さんの言葉。その言葉の意味に、私は息をのむ。

「う、そ」
だって、それはもう。
その傷の下、その目に光が届いていない、ということじゃないの……?

「黒桐さん、その、目……」
信じたくなくて、「見えていないのか」、と言葉に出来なかった私の問い掛けに。
黒桐さんは、一瞬だけ考えるような目をしてから、それでも静かに首を縦に振る。

「……うん。こっちの目は、見えてないんだ」
「そんな、そんなのっ」
嘘だ。
だって、黒桐さんは、あのときと同じで。朗らかに優しく笑ってくれているのに。
だって、私はあの時、ちゃんと見えた未来を教えて。だから、逃げないと駄目だって、言ったのに。

あんな血まみれの、冷たい未来は嫌だから。
だから、変えて欲しいって言ったのに。

……さっきは良かった、なんて言っちゃったけど。全然よくなんか、ないじゃないか。
  さっきは変わってないって思っちゃったけど。変わってないなんて、嘘じゃないか。

「……っ」
さっきまで胸にあった安堵は、もう霞のように消え去って、代わりに目眩のように訪れた感覚に、私の意識が遠ざかっていく。
それは貧血を起こす一歩手前のような感覚で、自分でも倒れそうになるのを予感した瞬間、

「静音ちゃん」
「え、あ……?」
黒桐さんが、その意識をつなぎ止めるように、ぽん、と私の肩に手を置いてくれた。

「大丈夫? ごめん、驚かせて」
「あ、えっと、は、はい!」
私の顔をのぞき込むように近づけられた黒桐さんの顔。
その近さに驚いて、私ははねるように頷く。けれど、視界に入った傷跡に、また血の気が引くのを感じて、私はまた少し蹌踉めいた。
「だ、大丈夫? ……って、大丈夫じゃないよね?」
ふらついた私の体を、黒桐さんは慌てて腕を伸ばして支えてくれた。

「す、すみません、ごめんなさい、わ、わたし……」
「少し休もう。ちょうど、落ち着ける場所がそこにあるから」
「え?」
動揺に狼狽えて、まともに思考が回らない。
そんな私を落ち着かせるように優しく微笑みながら、黒桐さんは、お茶ぐらいは奢るよ、と目の前の喫茶店を指さした。

「あ……」
「こういう偶然ってあるんだね」
「…………はい」
少し驚いたような彼の言葉に、私も半ば呆然としながら、頷いた。

そこは、喫茶店アーネンエルベ。
黒桐さんが指さしたのは、あの夏の日に、私と彼と彼女が出会った場所だったのだから。


2.夏の日の未来視。

それは去年の夏。
私は黒桐さんと、そして両儀さんっていう女の人と出会った。

全身黒づくめって事を除いたら、どこから見てもごく普通の男の人と。
すごく美人だって事を考えても、どこから見てもごく普通じゃない女の人の組み合わせ。

そんな奇妙(というのは失礼だけど)な二人と出会って話をしたのは、ほんの一時間にも満たない短い時間だった。
だけど、その短い邂逅の中で、私は一つの「未来」を視た。

……信じてもらえないかも知れないけれど。私には「未来視」という未来を見る能力がある。
未来を見通す力、と言えば聞こえは良いし、便利だって思われるかも知れないけれど、実際はといえば、そんなに便利な能力じゃなかったりする。
何しろ見たい未来が見える訳じゃないし、そもそもいつ未来が見えるのかも自分ではわからないのだから。
その力は、私の意志や意図を無視して、突発的に未来の映像を私の脳裏に刻み込む。

だから、去年、黒桐さんと話していたときにその未来が見えたのは偶然だし、そしてそんな未来を私がみたかったわけでは決してない。
だって、そんな未来は私がもっとも見たくない類の光景だったから。

それは、誰かの死を予感させる未来。
突如として私の脳裏に描かれた映像は、一言で言うのなら、「凄惨」だった。

暗がりの中、血だまりに沈む黒づくめの男性の姿。
そして―――、それを見下ろす着物姿の「誰か」の後ろ姿。

一瞬、吐き気を催すほどに強烈な死の気配と共に、私の脳裏に描かれたその「未来図」。
そこの光景に登場する人物の顔ははっきりとは見えなかった。だけど……その二人の服装はあまりに特徴的で。

だから……考えたくはなかったけど。
私はその二人を目の前の人物と結びつけて、考えた。

つまり倒れている黒づくめの男の人は黒桐さんで。
そして彼を見下ろして、その手を血に染めている人が……両儀さんじゃないのか、って。

そんなのは信じられなかったし、信じたくなかった。
両儀さんは見た目つめたそうで、素っ気なくて、何を考えている人なのか正直わからなかったけれど。
それでも彼女の傍らに座る黒桐さんが、彼女を気遣って、そして暖かい感情を向けているのは分かったから。

本当に、そんなことは、考えたくもなかった。
だけど……私の未来視はほとんどの場合「放置してしまえば実現してしまう」のだ。
何もしなければ、あの凄惨な幻は、いつかどこかで繰り広げされる本当の惨劇に、その姿を変えるから。

だから、あのとき。
私は、両儀さんが席を外した隙に、私は躊躇いを押殺して、彼にこう告げたのだった。

『このままだと、近いうちに死んじゃうかも知れません』って。

だから……式さんとは関わらない方がいいです、って、そう告げた。
それが二人の関係に傷を入れることになったとしても、あんな未来にだけはつながって欲しくないって、その思いに背中を押されるままに。

それなのに。
それなのに―――。


3.アーネンエルベ

「……落ち着いた?」
「は、はい」
アーネンエルベ。夏に出会った喫茶店で私は再び、黒桐さんと向かい合って座る。

「……」
取り乱した事への羞恥か、それとも「未来」を防げなかった事への後悔なのか、自分でもわからないけれど、
私はしばらく言葉も出せずに黙り込んで、黒桐さんの顔もまともに見れなかった。

けれど、漂う紅茶の香気と、静かに聞こえてくる音楽に、少しずつ気持ちがほつれていく。
気まずい筈のその時間は、でもどこか心地よくもあって。その沈黙の中、波打っていた私の心は、少しずつ落ち着きを取り戻していくみたいだった。

ただ黙って二人で向き合うだけの時間。
それが、どれくらい続いただろうか。

「あ、あの……」
ようやく落ち着きを取り戻した(と自分では思えた)私は、黒桐さんに取り乱したことを謝ろうと口を開いて。

「ごめんね」
そんな彼の謝罪の言葉に、先を越されてしまっていた。

「驚かすつもりはなかったんだけどね」
言いながら黒桐さんは、その前髪を揺らして、傷跡に触れた。

「でも、見えないのに見えるって、そう言う嘘をつくのもいやだったから……だから、ごめん」
「あ、いえ、その……謝っていただくような事じゃないんです」
黒桐さんは悪くなくて、ただ私が取り乱しただけ。
だから、悪いのは私だって慌てて首を振りながら、黒桐さんが口にした「見えない」って言葉に、また感情が揺らいで、じわり、と視界が滲んだ。

「黒桐さんは、悪くなんか、ないです、から」
私が、あのとき、別れてしまうんじゃなくて。
私が、もっと必死で訴えておけば、未来は変わったかも知れないのに。

そのことが……悲しくて、悔しくて。
だから。だから、悪いのは―――。

「静音ちゃんは悪くないよ」
自己嫌悪に沈み込む私の心。それを見越したみたいに、黒桐さんはそう言って首を横に振る。

「静音ちゃんが忠告してくれた未来はちゃんと外れたよ? だから、そんなに落ち込まないで。ね?」
私が気に病む事なんて何一つ無い。
そういって、彼は私を安心させるように微笑んだ。

「怪我はしちゃったけど、それだけだよ」
「そ、それだけって……」
視力を失うような怪我が「それだけ」なんて筈はない。
その思いに絶句すると、「大丈夫」だって言いながら黒桐さんが笑う。

「この目でもあまり不便は感じてないんだよ。片方が見えにくいのは確かだけど、助けてくれる人もいるからね」
「……で、でも」
「それに、まあ」
更に言い募る言葉を遮ると、黒桐さんは少し気まずそうに頬を掻きながら、私の目を見て、言った。

「言いつけを守らなかったのは僕だからね。
 まあ、怪我をしたのは自業自得といえば自業自得なんだ」
「……え?」
「だから、静音ちゃんが責任を感じる必要なんてないんだ」
言いつけを守らなかった。自業自得。
黒桐さんが口にしたその意味に気づいて、私は軽く目を見開く。

「あ、あの、黒桐さん」
「うん」
「ひょっとして……あの人と、あれからも?」
「うん。一緒にいたよ」
「……っ」
それは、つまり。
つまり彼は私の忠告には従ってくれなかった……、ということ。

今のままだと―――両儀さんと一緒にいると、死んじゃうかもしれないって、そう言ったのに。

「こ、黒桐さん……っ!」
なのに、彼は彼女と一緒に居続けた。
その事実に、また別のショックを感じて、私は思わず責めるような口調に変わっていた。

「私の言ったこと、信じてくれなかったんですか?」
「信じてたよ」
「嘘です! じゃあ、どうして―――」
彼女と一緒に、いたのか。
あんなに……あんなに、死を連想させる女の人と、一緒に居続けたのか。

『こんなこと、言ったら、嫌われる』
誰かに不吉な未来を告げるときに、いつも私を襲う臆病な不安。

それを押殺して、精一杯に告げたのに。

そして、黒桐さんは。

あのとき、そんな私の言葉を笑いもせずに、受け止めて。
『……わかった。ありがとう』って。
私を、信じて、頷いてくれた―――そう、思ってしまったのに。

自分でもびっくりするほどに荒げてしまった声。そんな声で綴った詰問に、彼は考え込むように目を閉じる。
まるで、自分の罪を自問して、その答えを深く探るような仕草。でも、そんな仕草の後、黒桐さんが返したのは同じ答えだった。

「……うん。やっぱり、信じてたと思う。
 少なくとも、後の時の静音ちゃんが、いい加減なことを言っていないのは分かってたつもりだよ」
彼は私の言葉を信じた上で。「死につながる未来」を知らされた上で。
それでも彼女と一緒にいたんだって……そんな答えを穏やかな声で繰り返す。

「じゃ、じゃあ、どうしてですか……?」
咎めるような私の視線を、まっすぐに受け止める彼の目は、嘘を言っているようには、思えない。
でも……だからって、やっぱり、納得なんか出来なくて、私は頭を振った。

「怖く、なかったんですか」
「そりゃ、怖かったよ。僕だって死にたくなんからね」
「だったら、どうして……?」
問い掛ける私に、彼は困ったように頬を掻く。
教師にいたずらを見つかった生徒みたいに、少し子供っぽい仕草で彼は答えを探すように視線を巡らせて。

「まあ簡単に言うと……惚れた弱みって奴かな」
そんな平和すぎる答えを口にした。

「ほ、惚れたって……」
「流石に恥ずかしいね。こういう台詞」
自分で言っておきながら、黒桐さんは照れくさそうに頬を掻く。
照れ隠しのような笑い。だけど、その目が冗談を言っていないことを告げている。

彼女のことが好きだから。
死んだって、彼女の側にいようと決めたんだって。

「で、でも、そんなのっ!」
惚れているからって。好きだからって。

「死ぬのが……怖く、ないかったんですか?」
死んでしまったら、お仕舞いになっちゃうのに。
だから「怖くないのか」と繰り返してしまう私に、彼もまた「怖いよ」とまた同じ答えを繰り返す。

「怖いよ。それに痛いのも嫌だし、怖いのも勘弁して欲しい」
「じゃあ、どうして、ですか」
私の未来視を「おかしな女の子の世迷い言」だって、思ったんなら、わかる。
だけど、そうじゃないって、あのときも、そして今も、黒桐さんは言ってくれた。

『信じるよ。そういう普通じゃない能力があるのは、知ってるしね。
 それに……静音ちゃんが今、冗談を言っていないって事ぐらいわかるよ』

そう、言ってくれて。そして「怖い」って思ったのなら……どうして、逃げなかったのか。

結果として、彼は死ななかった。でも、その代償に、片目の視力を失った。
ひょっとしたら、それだけじゃないかもしれない。
あの血まみれの光景がすでに彼の身に降りかかった光景なら、もっと体中に傷を負っていてもおかしくない。

あるいは、それ以上に……大切な何かを失っているかも知れないのに。それなのに。

「どうして、ですか?」
そう。
すでに、彼は「あの光景」を体験して。
その代償に、片側の光を失って、大きな傷跡も、その顔に刻まれてしまっているのに。

「どうして……平気なんですか?」

……どうして、この人は。
こんなにも、変わらないままで、微笑んでいられるんだろう。

怖い目にあって、痛い目にあって、そして、片目をなくしちゃうぐらいに、傷ついて。
なのに、どうしてあのときと同じように笑ってられるんだろう。

あんな不吉な未来を告げられて。大切な人と別れろなんて言われて。
あげく、そんな未来を、体験してしまったのに。
そんな理不尽な未来を告げた―――私を、少しでも、恨まないで、いられるんだろう。

今、私に向けてくれるその笑みには、後悔も、怨みも、嘆きも、痛みすら感じられなくて。
それが信じられなくて、私は、黒桐さんに「どうしって」って繰り返し問い掛けた。

「……そうだね。正直、あまり怖がっている余裕がなかったのかな」
「余裕……ですか?」
「うん。だって、彼女と一緒にいるだけで僕が死にそうな目に遭うんだったら……放っておいたら、彼女自身がどんな目に遭うか分かったものじゃないだろう? だから、僕が一緒にいないと危ないなあって」
そう思ったから、彼女と一緒にいた。
それが本心からの言葉だって、私から目を逸らさないままの黒桐さんが告げる。

「で、でも」
「痛いのも、怖いのも嫌いだし、苦手だけどね」
そこで一度言葉を切ると、黒桐さんはまた軽く瞼を閉じて、そして何かに耐えるような表情を一瞬だけ浮かべて、言った。

「だけど―――辛いのは、もっと苦手なんだ。だから、他のこと考えられなかった、のかな」
「辛い……?」
「うん。彼女が痛い思いをして、怖い思いをして……そして、ひとりぼっちで泣いているなんて、考えただけで辛いから」
大切な、その人が「寂しい」って震えることが、何よりも辛い。
だから、自分の痛みなんか二の次で、ただ必死で彼女の側にいた。

「それにね。僕は一度、『彼女』を守れなかった。
 だから―――あんな思いだけは二度としたくないし、させたくない。だから……怖がっている余裕がなかった、のかな」
穏やかに、優しい声。でも、強すぎる想いの言葉を、その人は、私に語る。

「……」
その想いに返す言葉を、私はすぐには紡げなかった。

誰かのために、大切な人のために、身を挺して生きること。
それはほとんどの人にとって、美徳に感じる生き方で、私だってそう思うけれど。

……でも、それはあくまで建前みたいな、一般論で。
一般論だからこそ……そんな生き方難しいはずなのに。
そんな生き方を自分の生き方だって、そう答えた黒桐さんは、呆然とした私の声に、少しばつが悪そうにまた頬を掻く。

「まあ……そういうの、自分勝手だってわかってるんだけどね。こういう性分なんだ」
「……凄い、です。黒桐さん」
少し自嘲するように肩をすくめる黒桐さんに、私は呟くようにそう言った。

「私には、そんな勇気、ないですから」
「それは違うと思うよ」
どこか羨望に似た思いで黒桐さんを見つめると、彼は少し笑いながら首を横に振る。

「……? 違うって、何がですか?」
「だから、静音ちゃんに勇気がないなんて嘘だよ」
「え?」
「未来が見えるなんてこと、初対面の人間に言うのって、すごく勇気がいるんじゃないのかな。違う?」
「あ」
いつもいつも私が未来視を誰かにつげるときに抱いている不安と恐怖。
その感情は、すっかり黒桐さんに見抜かれていて。

「自分が「普通じゃないこと」を相手に告げて、嫌われたりするかもしれない。
 でも、静音ちゃんは、そんな不安よりも、僕の安全のことを優先してくれた。
 だから、僕は静音ちゃんに勇気が無いなんて思わない」
「……黒桐さん」
私の感情を分かってくれている黒桐さんに、心がじわり、と暖かくなった気がして。
私の視界は、さっきとは全然違う感情に、少しだけ滲んでしまう。

「……それとね、静音ちゃん」
そんな私に、黒桐さんは子供をあやすような声で、言葉を紡ぐ。

「ありがとう」
「え?」
「静音ちゃんの予言。凄くありがたかったよ」
「え……え?」
なんで? 結局、私の予言は、ある意味では当たってしまったはずなのに……?
そんな疑問に頭を上げる私に、黒桐さんは表情を改めて私に向かって頭を下げる。

「おかげで、そういう覚悟が出来たから。だから怪我で済んだんだと思う」
「そ、そんなの……」
そんなのは、ただの結果論。だから、違うと首を振る私に、黒桐さんは「違うよ」って諭すように言葉を続けた。

「そう言うことが近いうちに起こりうるって、知っているのと知らないのとではやっぱり違うよ。
 大げさに言っている訳じゃなくて、僕が今こうして、こうして元気でいられるのは静音ちゃんのおかげでもあるんだ。
 だから、ありがとう。あの時、勇気を出してくれて」
「あ……、その……」
「だからね。僕の傷ことで、君に罪を背負う必要なんてないんだよ」
「……っ」
そんな台詞、反則だった。
だって「未来を変えられなかった」って、しょげかえってたばかりなのに。
「ありがとう」なんて言葉、そんなまっすぐな目でぶつけられたら、嬉しくて、泣いちゃいそうに、なるのに。

なのに、そんな泣いてしまいそうな言葉を、止めとばかりに黒桐さんは告げてくれたから。

……本当に、私は感極まってしまって。
  その後しばらく、ぽろぽろと涙をこぼして泣いてしまったのだった。


4.まだ見ぬ未来

「もう落ち着いた?」
「……ご、ごめんなさい。最初から、最後まで」
黒桐さんの気遣いに、私は顔を赤くしながら深々と頭を下げた。
場所はもうアーネンエルベではなくて、私と黒桐さんは駅までの道をゆっくりと並んで歩いている。

アーネンエルベでは、なんだか、もうボロボロと泣いてしまったので、本当にあらぬ誤解を周囲に与えてしまったようで。
店員さんや周りのお客さんの視線がもの凄く集中していることに気づいたのは、さんざん泣いてしまった後だった訳で。

……うう、私も黒桐さんも当分、あの店にはいけないかも。

そんな自己嫌悪に項垂れる私に、黒桐さんは「気にしないで」って努めて明るく笑ってくれた。

「僕だって知り合いがいきなり大怪我していたら取り乱すから」
「うう……重ね重ね申し訳ないです。取り乱してばかりで」
「だから、気にしないの」
しょげる私に黒桐さんが困ったように笑うと、ぽん、とその手を私の頭に置いた。

「こ、黒桐さん……?」
「本当に良い子だね。静音ちゃんは」
「そ、そんなこと、ないです、けれども」
ほ、ほめられたのは嬉しいけれど。
男の人に頭をなでられるなんて、そのあんまりというか全然経験ないわけで。
う、うう……は、恥ずかしいんだけど……止めて欲しいなんて言えなくて、言いたくなくて。

どういう風に答えたらいいのかわからずに、結局私は赤くなったまま、しばし黙り込んでしまう。
それは緊張と恥ずかしさの所為……だけじゃなくて、その暖かい手のぬくもりに、しばらく心を浸したい気持ちでもあったから、かもしれない。

だって、本当に暖かい、から。

黒桐さんがいい人だっていうのは、初対面でも分かったけれど、
私みたいな「おかしな力」を持っている人間に、こんなに普通に接してくれる人、あまりいないから。

悪い未来が当たってしまったのに。
それでも「ありがとう」なんて言ってくれた人なんて、いなかったから。

だから、そのぬくもりがもうすく終わって。
もうすぐお別れなんだな、なんて思って、少し胸が締め付けられる。

あの夏の日に会えたのは偶然。
今日会えたのも、偶然で。
でも、次もまた偶然に会えるなんて、そんな奇跡―――私の「未来視」でも、見えてないから。

そんな偶然になんか頼らなくても、彼が側にいてくれる両儀さんが、ちょっと羨ましいって思ってしまった。

暖かさの中に感じる、一抹の寂寥感。
その冷たい感覚に、胸が少しだけ締め付けられて、また少しだけ目の奥が熱くなった、その時。

「あのね、静音ちゃん」
「は、はい?!」
「もし、これからも何か「未来」が見えてしまって、
 そして、それが困った未来で、静音ちゃんが変えたいって思うものだったら、一人で抱え込まない方が良いかもしれないよ」
「……でも」
寂しさを押殺していた私に、不意に告げられた黒桐さんの言葉。
きっと私のことを心底心配してくれての言葉だって思うけれど、私は頷きを返せなかった。

私だって、一人で抱え込みたくなんか無い。
でも……それでも、こんな力、誰にでも話せるわけ、ないから。

黒桐さんみたいな人、多分、他にいないんだから。

そんな私の不安と不満は、顔に出ていたのか。
黒桐さんは、私の顔を覗いて、「頼りないかも知れないけれど」って笑いかけてくれた。

「僕だったら、もう静音ちゃんの事情を知ってるしね。相談ぐらいは乗れると思うよ」
「……え?」
「はい、これ名刺」
「え?」
「あ、自宅の電話番号も書いておかないと駄目か。ちょっとまってね」
「え、え……?」
「これで……よし、と。はい」
「あ、はい。どうも、ありがとうございます……」
矢継ぎ早な黒桐さんの言葉。
その意味を理解するまもないままに、気づけば私の手には一枚の名刺が握られていた。

……って、これ、もしかして。
  いや、もしかしなくても「黒桐さんの連絡先」なんじゃ……?

「こ、黒桐さん?」
「本当に話を聞いてあげるくらいしか出来ないかもしれないけれど」
「そんなこと無いと思います!」
謙遜する黒桐さんに、我に返った私は思わず大きな声で、そう言っていた。
だって本当に、こんな力の相談に乗ってくれる人なんて……世界に何人もいないって思うから。

「そ、その、本当に、相談、させていただいてもいいですか?」
「うん。役に立たないかも知れないけどね」
「そ、それでもいいです。本当に、あの、ありがとうございます!」
それは決して飾った言葉じゃなくて、私の心からの言葉。
だって普通じゃない私に、普通に接してくれる人なんて。
普通じゃない私が、普通じゃないことを隠さないでも、普通に接してくれる人なんて、世界に何人もいないって分かってるから。

だから、渡された名刺を宝物みたいに、私は胸に抱きしめた。

「わたし、大事にしますから」
「え? いや、名刺は別に大事にしなくても」
「大事にします。もの凄く大事にしますから!」
「そ、そう? まあ、喜んでくれたら嬉しいけどね」
私の喜色に気圧されたのか、一瞬、黒桐さんは動揺したみたいな表情を浮かべたけれど、それも一瞬。

「じゃ、いこうか」
そうして、また。
私に向かって、そう微笑んでくれた。

長くのばされた髪。その下にある、取り返しのつかない深い傷。
でも、その傷だらけの微笑みに―――傷ついても変わらないその微笑みに、きっとあの女の人も惹かれたんだろうなって思いながら。
「はいっ」
私は、多分、今日初めて、心から微笑んで頷きを、返した。

駅まではあと少し。礼園に許可された外出の門限までもあまり時間が残っていない。
だから、もうすぐお別れの時間は来てしまうけれど……「また今度」と別れられるから、足取りは軽い。

……でも、多分。足取りが軽い理由は、きっとそれだけじゃなくて。


夏の日にみた凄惨な「悪夢」は、私の心に不安の棘を残したまま。
長い冬の間に、私の知らないどこかで、きっと「現実」に形を変えてしまったけれど。

その悪夢に傷ついて、それでも傷ついていない、その人の強さと、温もりに。
―――私の心に刺さった棘が、春を迎えたこの日、ようやく溶けてくれたから。

私の見た未来に。
『助けられた』って。『ありがとう』って言ってくれたから。
棘がえぐった傷が、見る間に癒えていくのを感じられたから。

だから、足取りが軽いんだ。

そう納得して、私は空を仰ぎ見る。

これからもきっと、私の力は、私に辛い何かを運ぶことがあるはずだけど。
それを、わかってくれる人と、こうして知り合うことができたのだから。

この先、本当に黒桐さんとの未来が私にあるのか。
まだ、私の「未来視」は教えてはくれないけれど。

でも―――。

「きっと、ありますよね」
そう。
未来につながる扉は、この手の中にあるから。
今は「未来視」が、そんな未来を見せてくれないことに感謝しながら、私は黒桐さんと歩く道に、知らない未来を見た気がした。



ちなみに、この後、
「黒桐さん」が私のルームメイトの「黒桐鮮花」のお兄さんだったことが判明したり、
黒桐さんの名刺を巡って鮮花と藤乃ちゃんに追いかけられたり、
伽藍の堂って事務所におじゃますることになったりするのだけれど……それはまた、別のお話。

(了)



須啓です。

静音ちゃんルートフラグが立ちました(違う。ということで、久しぶりのSSはかなりイレギュラーな感じで、
「未来視の少女」こと瀬尾静音ちゃんとの再会のお話となりました。久しぶりに書くとよっとテンポが悪いかなあとか反省してみたり。

イメージ的には月姫の瀬尾晶ちゃんそのまんま、なんですけれどもいかがだったでしょうか。
本編に出てこないキャラクターをメインに据えて書くのはいろいろと思うところもあったのですけれど、
未来視の少女との再会、というのはずっと前から書きたかったテーマだったので思い切って書いてみたりしました。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

追記:なお空の境界本編では幹也は予言の内容を「死ぬことはないって言われた」と巴に話していますが、
これの真相は空の境界設定用語集の瀬尾静音の欄で明らかにされています。(つまり本当は「死んじゃうかもしれません」と言われていた。)
このSSは、その用語集の方で明らかにされた設定に基づいてかかれております。説明が足りなくて申し訳ないです(謝

メールや、BBS、下記メールフォームなどでご指摘・ご感想などでいただけますと非常に嬉しいですので、
よろしくお願いいたします。

2008年1月31日。須啓。



お名前(省略可)
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ご感想 うん。かなり面白かった。
面白かった。
普通かな。
うーむ。イマイチ。
ダメ。書き直し。
何か、一言(省略可)